イノベーション推進の取り組みが盛んに行なわれる昨今、「組織の創造性をいかに高めるか?」といったテーマに対する社会的な関心が高まっています。こうした問いに応えるかたちで、CULTIBASEは、イノベーションを起こし続ける組織づくりの見取り図として、“Creative Clutivation Model(CCM)”を提唱しています。
組織の創造性を高める:Creative Cultivation Modelの提案
CCMは、主に次の6つの要素で構成されています。
1. CREATIVE IMPULSE:個人の創造的衝動
2. CREATIVE DIALOGUE:創造的対話
3. PHILOSOPHY:哲学・パーパス
4. Sense-making:意味の生成
5. Meaningful Organization:意味深い組織
6. Meaningful Product:意味深い事業
本シリーズでは、CCMにおける6つの要素について解説します。今回のテーマは「2. CREATIVE DIALOGUE:創造的対話」です。前回の記事で解説したように、イノベーションを起こし続ける組織づくりでは、メンバーの一人ひとりが創造的衝動を発揮できているかどうかが鍵を握ります。しかしながら、いくら個人で力を発揮したところで、チームにその衝動を活かすための仕組みや環境、風土がなければ、エネルギーは集約されず散り散りになってしまいます。
また、創造的衝動が発揮されるきっかけはメンバーによって異なります。今回の記事では、こうした個人の創造的衝動をチームの創造性へと昇華させる「CREATIVE DIALOGUE:創造的対話(以下、創造的対話)」について解説します。
対話とは、「意味の共有」を通じた創造的行為である:デヴィッド・ボームの思想
ここ数年、「対話」に対する世間的な注目度が日に日に増しています。ライフスタイルや働き方、考え方の多様化が進む現代社会において、「価値観の違う他者同士が”わかりあう”」ための手段として、「対話」を必要とするケースが多いようです。たしかに、企業や学校、地域などあらゆる領域において、集団が一致団結して共通の目的に向かっていくためには、強固な信頼関係が必要不可欠であり、そうした関係性を築くために、深いコミュニケーションを行なう場を設けたいと考えるのはごく自然のことのように思えます。
しかしながら「対話」とは本当に「わかりあうためだけのもの」なのでしょうか。そもそも、何をどうすれば、私たちは「わかりあった」と言えるのでしょうか。「創造的対話」を深く理解するためには、まずは「対話とは何か?」という問いについて、もう少し精緻に見ていく必要があります。
対話について論じた古典的名著のひとつに『ダイアローグ -対立から共生へ、議論から対話へ』という本があります。この本の筆者であるデヴィッド・ボームは、誰もが異なった「想定」や「意見」を持っていることを前提とした上で、重要なのは対話を通じて「意味の共有」が行なわれていることだと主張しています。「意味」も輪郭を掴みにくい言葉ではありますが、ボームは『ダイアローグ』で、「意味」を「意義や目的、価値」と言い換えています。つまり、やや乱暴な解釈でいうと、ボームは、対話とは「自分自身が特定のヒトやモノ、コトに対して、どんな意義や価値を感じているかを共有すること」であると述べています。
ここまで読んで、「なるほど、対話とは『意味の共有』を行なうことなのか」と、ボームの考えをわかった気になってしまうのは、いささか早計です。『ダイアローグ』におけるボームの対話論の特筆すべき点は、ボームがこうした「意味の共有」を、単なる相互理解にとどまらず、新しい何かを生み出す創造的な行為として捉えているところにあります。
ボームは対話の重要な前提に「自分と他者が異なった『想定』や『意見』を持っていること」を挙げています。ここでいう「想定」や「意見」は、ひとまずの理解として「価値観」と言い換えてしまっても良いと思います。当たり前ですが、私たちの価値観は十人十色です。そして対話では、こうした価値観の違いが重要な役割を果たします。異なる価値観を持つ他者が、想定外なアイデアや意見を投げ返してくれるからこそ、私たちは純粋にコミュニケーションを楽しみ、新たな気づきを得ることが可能となるからです。そして自分が何を気づいたのかを相手に語り、共有することで、その気づきは両者にとって「共通の気づき」となります。ボームはこの対話の中で共通のものが絶えず生まれ続ける現象を、次のように述べています。
対話では、話し手のどちらも自分がすでに知っているアイデアや情報を共有しようとはしない。むしろ、二人の人間が何かを協力して作ると言ったほうがいいだろう。つまり、新たなものを一緒に創造するということだ。(『ダイアローグ -対立から共生へ、議論から対話へ』p.38 )
対話を創造的な行為として捉えるボームの考え方は、組織学習の大家であるピーター・センゲをはじめ、幅広い領域の識者たちに大きな影響を与えました。他方でボームは、「コミュニケーションで新しいものが創造されるのは、人々が偏見を持たず、互いに影響を与えようとすることもなく、また相手の話に自由に耳を傾けられる場合に限られる」とも記しています。詳しくは後述しますが、誰しもが大なり小なり抱えている偏見、あるいは固定観念は、創造的対話によるコラボレーションを阻害する要因となり得ます。とはいえ、偏見や固定観念を完全になくすことは不可能です。そのため、創造的対話を組織的に活用していくためには、「自分やチームメンバーの偏見や固定観念とどう向き合うか」という点に留意しなくてはいけません。
創造的対話の基盤となる考え方:「社会構成主義」とは何か
もうひとつ、対話の源流として紹介したいのが、「社会構成主義」と呼ばれる考え方です。
ファシリテーターはなぜ「対話」を重視するのか:社会構成主義入門
社会構成主義は、対話の基盤となる考え方と言われています。ケネス・ガーゲンによる書籍『現実はいつも対話から生まれる』を開くと、冒頭に社会構成主義について、このような記述がされています。
(前略)私たちが「現実」だと思っていることはすべて、「社会的に構成されたもの」です。もっとドラマチックに表現するとしたら、そこにいる人たちが「そうだ」と「合意」して初めて、それは「リアルになる」のです。(『現実はいつも対話から生まれる』p.20)
これだけ聞いても、今ひとつピンとこないかもしれません。まず「社会的に構成される」とはどういうことでしょうか。またやや雑な言い換えになりますが、平易な言葉で言うと「関係性の中で構成される」ということです。そして「関係性」ということは、ここでも「自分」だけでなく「他者」の存在が想定されていることが伺えます。つまり、「自分と他者との間で合意されたことだけが、自分と他者にとっては現実である」ということが社会構成主義の要旨となります。
例えば、上述の社会構成主義入門記事にも関連して、新型コロナウイルスを例にとると、組織におけるコロナウイルスへの対策を講じるにあたって「コロナによって組織崩壊は十分に起こり得るから、できる限りの対策をすべきだ」と考える現場の代表者・Aさんと、「コロナは風邪と変わらないのだから、それほど厳重な対策は必要ない」とする経営層のBさんとで意見の対立が起こったとします。その瞬間、AさんとBさんとの間にコロナに対する認識の差異が浮き彫りになり、対話の余地が生まれます。
先ほど述べたように、対話とは「(異なる価値観を持つ者同士による)意味の共有」です。Aさんは万が一組織のメンバーが罹患した場合、現場がどれほど混乱するかを言葉を尽くして説明するでしょうし、Bさんは対策を講じることで引き起こされる組織的な負担を詳らかにするかもしれません。語り合ううちに、きっとお互いに知らなかったコロナや組織に関する情報も出てくるはずです。時には「そんな可能性もあり得るのか」と衝撃を受けることもあるでしょう。AさんとBさんは、そうしたショッキングな事実によってコロナウイルスとの向き合い方に関するイメージを互いに変容させ合いながら、新しい認識の創造と共有をともに経験します。こうした対話による共創のプロセスは、先ほどボームの考えを説明する中でも見てきた通りです。
そして、仮にこの対話が、「〇〇といった段階までの対策は講じるが、それ以上に厳重な対策は組織の状況的に不可能である」という新たな認識で合意を得たとします。その時、社会構成主義に基づいた言い方をすれば、「そのような現実が、AさんとBさんの関係性の中で創り出された」と言えるのです。
逆に言えば、Aさんが一人で「コロナに対して、組織として最大限の対策を講じるべきだ」と勝手に思っているだけでは、「Aさんは“コロナが組織崩壊を招き得る”ことを現実だと感じているが、Bさんとの間では、まだそのことは現実として構成されたわけではない」という段階にとどまっていると言えます。このように、「自分はそう思っているが、あくまで自分がそう思っているだけに過ぎず、誰かとの対話を通じて今後変化する可能性があることも理解している」といった”半身の姿勢”こそが、言うなれば社会構成主義的な態度であり、創造的対話に求められる心構えでもあります。
CULTIBASE編集長の安斎勇樹による共著『問いのデザイン -創造的対話のファシリテーション』では、こうした社会構成主義の考えを踏まえた上で、創造的対話を「新たな意味やアイデアが創発する対話」と定義しています。とてもシンプルな定義ですが、シンプルだからこそ、正確に使いこなすためには本質を押さえた理解が大切です。そういった理由から、これまで創造的対話の基盤となる考え方に触れてきました。やや回りくどかったかもしれませんが、社会構成主義を理解し、対話的な態度を身につけることは、ファシリテーターとしては欠かせないスキルでもあります。
ここまで創造的対話の基盤となる考え方を重点的に紹介してきました。次節からは実際的な観点として、「なぜ多くの組織は創造的対話を起こせていないのか」と「困難さを乗り越え創造的対話によるコラボレーションを起こしていくために何ができるのか」という二点について、触れていきたいと思います。
組織の創造的対話を阻害する二つの問題:「認識」と「関係性」の固定化
冒頭でも示した通り、組織は「わかりあえなさ」に満ちています。チームメンバーとどこか温度差を感じる、コミュニケーションが上滑りしていて、本音で話せている気がしない…など、価値観の相違によって冷え込んだ関係性は、次第にメンバーの自律的に活動する意欲を奪い、ただでさえ解決の難しい組織や事業における複雑な課題への対応をより困難にしてしまいます。こうした「わかりあえなさ」は、何に起因して生じているのでしょうか。
『問いのデザイン』では、現代社会にはびこる「わかりあえなさ」の原因として、「認識と関係性の固定化」が指摘されています。「認識の固定化」とは、様々な経験を積み重ねるうちに、多くのことに慣れ、「当たり前のもの」として認識するようになることを指しています。これは決して悪いことだけではなく、この暗黙の前提があるからこそ、効率の良い所作を身につけていくことが可能となります。しかし、時にはこうした暗黙の前提が、「偏見」として誰かを傷つけたり、「固定観念」として新たな学習を妨げたりすることもあります。
こうした「認識の固定化」をさらに深刻にしてしまうのが、「関係性の固定化」という問題です。集団で活動する以上、組織には様々な関係性が溢れています。これらの関係性も、様々な経験を積むことで、徐々に固定化していきます。信頼関係が深まるなどプラスの側面ももちろんありますが、双方が認識のズレを抱えたまま関係性が固定化してしまうと、容易には解決できない問題を引き起こすこともあります。また、認識の固定化も関係性の固定化も、無自覚に行なわれるため表面化しにくいことが、この問題の厄介さに拍車をかけています。
企業でよくあるパターンを例にあげると、「これくらいできて当然だろう」と考えているマネージャーと、「頑張ってやり遂げたのだから、高い評価が得られるはずだ」と考えているメンバーでは、認識のズレが生じます。こうした認識のズレは次第に「わかりあえない」という諦めに近い感情に変わっていくと同時に、コミュニケーション機会の減少をもたらします。そのような冷え切った関係性が一度常態化してしまうと、なかなか最初の関係性に戻ることは難しく、ますますわかりあえない状態が固着化してしまう。これでは創造的なコミュニケーションを起こるはずもありません。現在、こうした関係性の固定化によるマイナスの側面に多くの企業が悩まされています。
こうした、「認識」と「関係性」の固定化の問題は、こちらの記事でも詳しく解説されています。
「問いのデザイン」が解決するもの:組織に蔓延する2つの病い
先立ってボームの主張を説明するにあたり、ボームがコミュニケーションで新しいものが創造される条件として、「人々が偏見を持っていないこと」「互いに影響を与えようとしないこと」「相手の話に自由に耳を傾けられること」の3点を挙げていることを紹介しました。その指摘から鑑みるに、現代の組織において創造的対話が困難となっている原因の一つは、固定化された認識のズレによって生じる「あの人はわかってない」という偏見に固執し、相手とのコミュニケーションを拒否してしまっていることだと考えられます。
「固定化」を解きほぐす鍵となる“衝動”:創造的対話を起こすためのファシリテーション
こうした「関係性の固定化」を脱し、創造的なコラボレーションを起こすために、何ができるのでしょうか。CCMにおいては、ファシリテーターの存在と、前回の記事で取り上げた「創造的衝動」がその鍵を握ると考えています。
組織変革は「個人の創造的衝動」から始まる─”CCM”の最初のステップ
簡潔に言えば、メンバーがどんな時、どんなモノ・コトに対して衝動を湧かせるのかを共有するワークショップや対話の場をファシリテーターが設けることで、特定の人への固定化した認識のアップデートや既存の関係性の問い直しが行なわれ、固定化された関係性を解きほぐすきっかけとなる。それがCCMにおける創造的対話の骨子となります。
衝動に火がつくポイントはメンバーごとに異なります。そのため、差異から新しい関係性を生み出す創造的対話のきっかけとして、衝動は非常に適した素材でもあります。対話というと、”腹を割って話す”といった慣用句にも見られるように、どこか身を切るような痛々しさが想起されます。しかし、創造的衝動を起点とした創造的対話では、それぞれの衝動がくすぐられるポイントをプレイフルに探索し合いながら、新しい関係性を築き上げていくことが可能となります。そういった組織の問題を語り合う際の切迫感を軽減できることも、CCMによるアプローチの大きな特徴のひとつと言えるでしょう。
また、創造的対話を起こすための技法として、「問いのデザイン」も効果的です。問いのデザインに関しては、本メディアCULTIBASEでも理論と実践の双方からノウハウをまとめています。興味のある方はこちらの記事も合わせてご覧ください。
当たり前を異化する:連載「問いのデザインの思考法」第1回
今回は、CCMにおける「創造的対話」とは何か、というテーマで解説を行いました。今回紹介しきれなかった、創造的衝動を起点としたワークショップの具体的な事例などに関しても、機会があればのちのち記事にしていきたいと思います。次回は、個人のチームの組織アイデンティティを支える「PHILOSOPHY:哲学・パーパス」をテーマに、イノベーションを生み出し続ける組織に必要なエッセンスを紹介します。
また、会員制オンラインプログラム「CULTIBASE Lab」では、CCMの関連領域であるワークショップデザイン・ファシリテーション・イノベーション開発・組織開発・組織デザインなどについて学べるコンテンツを配信しています。興味のある方は、下記バナーより詳細をご確認ください。
▼CULTIBASE Labの詳細・お申し込みはこちら
https://db.cultibase.jp/lab/
ライター:水波洸
CULTIBASE 編集者
株式会社ミミクリデザイン(現・株式会社MIMIGURI) Editor。法政大学経営学部経営学科卒業。千葉県出身。在学中から「対話の場のデザイン」を主な探求テーマとして、様々なワークショップや哲学対話の実践に参加・参画。卒業後はそうした活動の臨床心理的意義を模索する傍ら、NPOの広報担当としてワークショップレポートを多数執筆。現在はワークショップや対話イベント専門のライター・編集者としても活動。ミミクリデザイン(現・株式会社MIMIGURI)では、メディア編集を担当している。