組織ファシリテーターは、組織に介入するプロセスにおいて「対話(dialogue)」と呼ばれるコミュニケーションを重視します。
組織開発の実践においても、「対話型組織開発」という言葉が注目されている通り、対話のプロセスは不可欠です。組織の課題を客観的にサーベイして、手術するように変革するのではなく、内部メンバーの「対話」を挟まなければ、前向きな変化は生まれません。
また事業開発も同様です。CULTIBASEでも注力して特集している「意味のイノベーション」の方法論においても、ペアやグループで批判的に解釈を加える対話のセッションをプロジェクトに組み込みます。またデザインを協働で行う「コ・デザイン(Co-Design)」にも注目が集まっています。
自分たちのことを深く理解するためにも、共通したビジョンをつくるときにも、思いも寄らないアイデアを導くためにも、いずれのプロセスにおいても「対話」が重宝されているのです。CULTIBASEが基盤とする”Creative Cultivation Model(CCM)”においても、創造性の源泉として「創造的対話」を重視し、組織の中核に位置付けています。
しかしなぜ「対話」がそこまで重要なのか。対話をしなければ、組織開発や事業開発は推進することができないのか。ファシリテーターはなぜ対話を重視するのか。明快に回答するためには、議論の整理が必要です。本記事では、ファシリテーションの背景理論に迫ることで、この問いに答えを出したいと思います。
対話(dialogue)とは何か
そもそも「対話(dialogue)」の定義について、確認しておきましょう。「対話」とは、あるテーマに対して、自由な雰囲気のなかで、それぞれの「意味づけ」を共有しながら、お互いの理解を深めたり、新たな意味付けを作り出したりするためのコミュニケーションです。
「議論(discussion)」や「討論(debate)」とは異なり、正しさや勝ち負けはありませんから、他者を打ち負かそうとする必要はありません。自分とは異なる意見に対して早急な判断や評価を下さずに、どのような前提からその意味付けがなされているのか、理解を深めることを重視します。また「雑談(chat)」のように、自由な雰囲気だけれど、他愛のないやりとりを横滑りさせていくカジュアルなコミュニケーションとも少し違います。
「対話」では、コミュニケーションのなかで、お互いの暗黙の前提を意識化し、理解することを重視します。その過程で、対話をする前には形成していなかった「お互いに共通する新たな意味」を発見し、自分たちにとっての現実をかたち作っていく。それが「対話」の特徴です。
ファシリテーションの基盤となる社会構成主義の考え方
ファシリテーションにおいて「対話」が重視される理由は、この「共通する意味」「自分たちの現実をつくる」といったキーワードによく現れています。
組織開発や事業開発では単に「良い答え」を出せばよいのではなく、「答えにいたるまでの過程」が重要だからです。
さらにいえば、イノベーションにおいて「客観的な正解」は存在しません。どんなに新奇なアイデアで、実現可能性が高かったとしても、当事者である自分たちが「これが納得できる正解だ」と思えなければ、コトは動きません。対話を通して、関係性のなかで作りだされた「自分たちにとっての現実」を作るしか、主体的に前進する術はないのです。
この考え方は、「社会構成主義」という認識論に基づいています。社会構成主義では、私たちが「現実だ」と思っていることは、客観的に測定できるものではなく、関係者のコミュニケーションによって意味付けられ、合意されたものだけが現実である、というふうに考えます。
社会構成主義を普及した第一人者であるガーゲン夫妻の著書『現実はいつも対話から生まれる-社会構成主義入門』では、社会構成主義について以下のように書かれています。
社会構成主義の基礎的な考えはとてもシンプルなようでいて、非常に奥深くもあります。
私たちが「現実だ」と思っていることはすべて「社会的に構成されたもの」です。
もっとドラマチックに表現するとしたら、そこにいる人たち が、「そうだ」と「合意」して初めて、それは「リアルになる」のです。
たとえば、2020年、私たちは新型コロナウイルスの脅威にさらされ、さまざまなパニック、不安、社会の変化にさらされました。結局のところ、新型コロナウイルスとは、どのようなウイルスだったのでしょうか。社会構成主義では、これに対する「客観的な現実」は存在しないと考えます。
もちろん、さまざまな科学的な調査結果に基づいてウイルスの性質や特性について示すことはできるでしょう。けれども2020年を振り返ると、私たちにとっての”新型コロナウイルス”の意味は、メディアとのコミュニケーション、周囲の知人や友人とのコミュニケーションを通して、何度も書き換わっていったように思います。そこでつくられていた現実は「人類を滅ぼす恐怖のウイルス」「経済を破綻させるウイルス」「ただの風邪」「社会のつながりとコミュニケーションの在り方を変えたもの」「現代の潜在的な課題を炙り出してくれたもの」などさまざまで、それは時期や地域、また所属するコミュニティにおいても異なるものだったのではないでしょうか。
2020年の初夏にメディアを賑わせていた“夜の街”をめぐる騒動などをみていると、政府、メディア、飲食店の経営者や利用者、それを批判する人たちでは、客観的に同じ性質のウイルスに対峙しているようには、到底思えませんでした。周囲とどのようなコミュニケーションをとって、どのような意味づけに納得をしているかによって、”新型コロナウイルス”という現実は、全く異なるものになるのです。
イノベーションの納得解は、対話によって発見される
事業開発のイノベーションプロジェクトにおいても、同様です。ユーザーの不満を解決しなければいけない。新しい技術を搭載しなければいけない。価格競争に勝たなければいけない。これらはすべて、自分たち自身が、コミュニケーションを通して社会的に構成した認識にすぎません。対話を通して意味づけを変えれば、至上の使命だと感じていた「ユーザーの不満」は、もしかしたらイノベーションにおいては取るに足らないことかもしれません。執着していた新しい技術から離れてみることが、プロダクトのブレイクスルーにつながるかもしれません。いずれにしても、自分たちが「対話」をすることで、手触りをもって「これだ」と思える課題と解決策のセットを、探索していくしかないのです。
その行き着く先にある成果物としてのアイデアは、別の方法でも生み出すことができるかもしれません。けれどもそれを”先回り”して、第三者のコンサルタントから提案されたとしても、それは自分たちのコミュニケーションによって生み出された現実ではありませんから、まったく違った意味になるでしょう。客観的に同じアイデアでも、主観的な意味付けが異なれば、それは「異なるアイデア」であり、同じ結果にはならないのです。
社会構成主義は、あくまで認識論であり、世の中をこのように眺めてみると、理解が捗るよ、というメガネにすぎません。けれども、社会構成主義のメガネをかけることで、イノベーションを阻害していたボトルネックが「対話の不足」にあったことに気が付き、ブレイクスルーをファシリテートする突破口が見えてくるのです。これが、組織ファシリテーターが「対話」を重視する理由です。