イノベーションにおけるデータの誤解:連載「リサーチ・ドリブン・イノベーション」第7回

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イノベーションにおけるデータの誤解:連載「リサーチ・ドリブン・イノベーション」第7回
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リサーチ・ドリブン・イノベーションとは、「リサーチ・クエスチョン(探究の問い)」を起点としながら、イノベーションプロジェクトを組み立てていく考え方です。前回の記事では、探究の問いをデザインするために見取り図「探索のマトリクス」について解説しました。

探究型の問いをデザインするための見取り図:連載「リサーチ・ドリブン・イノベーション」第6回

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リサーチのための「問い」を設定したら、次の手順は「データ」を集めることです。本記事では、リサーチ・ドリブン・イノベーションにおける“良いデータ”とは何かについて、探っていきます。

“良いデータ”とは何か?

リサーチ・ドリブン・イノベーションにおける“良いデータ”は、もしかすると、世間一般でイメージされる“良いデータ“とは、要件が異なるかもしれません。たとえば、ある問いを元に、プロジェクトの方向性の探索しているとき、以下のうちどちらが“良いデータ”だと感じるでしょうか?

(A) 平成30年度に実施された文化庁の世論調査によれば、全国の16歳以上の男女1,960人のうち、1ヶ月にまったく本を読まない人は47.3%、1-2冊読む人は37.6%であった。

(B) 私は、仕事柄、常に新しい情報をインプットしなければならないし、そもそも読書は好きなほうである。けれども1冊の本を頭からお尻まで、くまなく読み込むのが苦手である。たいていの場合、ある本を読み始めたら、最後まで読み終わらぬうちに、新たな疑問や着想が生まれて、別のある本に浮気してしまう。振り返ってみると、この1ヶ月で完全に最後まで読み切った本は、1冊もないかもしれないな。でも、それが私にとっての読書なのだから、よしとする。

データ (A)は、文化庁が調査を専門とする機関に委託して行ったもので、約2,000名の回答を集計した結果です 。データ (B)は、筆者(安斎)自身が、データ(A)の結果を眺めながら「そういえば、自分も1冊も読み切ってはいないかもしれないな…」と、内省しながら書いた独り言です。紛れもない事実の情報ですから、両者とも立派な「データ」です。

結論からいえば、これだけでどちらかが“良いデータ”と判定することはできません。しかしながら、もしあなたが 「(A)のほうが“良いデータ”に違いない」感じたならば、もしかすると、あなたのなかには「データ」というものに対するなんらかのバイアスがあるかもしれません。リサーチ・ドリブン・イノベーションにおけるデータの要件を整理する上で、データにまつわる一般的ないくつかの誤解を解いておきましょう。

データの誤解(1)客観的であるほうがよい

一般的に「データは客観的な情報であるべき」というバイアスがあるように思います。誰かの主観的な考えや感情は参考にならず、客観的に測定可能で、できれば数値に落とし込まれていたほうが、信用できるという考え方です。議論や討論において「それはあなたの主観でしょう」と、反論する場面を見たことがあるはずです。

データの活用目的によっては、たしかに客観性を求める側面もあるかもしれません。一方で、データにおける「客観性」とは、突き詰めていくと、何をもって客観的だといえるのか、実はとても難しい概念です。

「1ヶ月にまったく本を読まない人は47.3%だ」と書かれると、客観的な数値データのように見えます。けれども、そこで回答した一人ひとりは、実在する人間です。おそらくその一人ひとりは、筆者のように、自分の読書習慣を振り返って、「今月はあの本を読もうとしたけど、まだ読めていないなぁ」「ネット記事ならよく読むけど、本は読まないから、ゼロだな」「毎月2冊くらいは読むのだけど、薄い本ばかりだし、中身もそんなに理解できていないから、1冊と答えておくか」などと、さまざまな主観的な思考を巡らせた上で、回答したかもしれません。客観的に見えるデータも、主観的なデータの集合であるわけです。

また「1ヶ月にまったく本を読まない人は47.3%だ」という数値に対する意味づけも、人によって異なります。「なんと、嘆かわしい…!この国は大丈夫だろうか?」と感じる人もいれば、「まあ、そうだろうね。インターネット上の動画コンテンツがさらに普及したら、さらに下がっていくだろうね」と感じる人もいるでしょう。客観的なデータのように見えても、それを解釈する人の眼を通した時点で、意味づけは主観的なものになります。

そもそも、このデータはどのような人を対象に調査を行ったのでしょうか?16歳以上の男女といっても、その年齢や居住地、生活のスタイルはバラバラです。もしかしたら若い人の方が本を読んでいる傾向にあるかもしれません。このデータだけをみて、確からしい情報が読み解けるというわけでも必ずしもありません。

データにおける客観性とは、実に曖昧です。リサーチ・ドリブン・イノベーションのポイントは、人間と社会の本質を探究することであり、外側から「正解」を探すことではありません。探究の手がかりとなるのであれば、とことん主観的な独り言さえも、“良いデータ”になる可能性があるのです。

実際に、もしリサーチの問いが「これから書籍というメディアの在り方はどのように変わるか?」という問いであれば、データ(A)を眺めていると「そもそも書籍というメディアに未来はないのではないか」と思えてきますが、データ(B)の語りからは「“1冊”のパッケージではなく、“章”単位で販売しても良いかもしれない」「ネットサーフィンのように、複数の書籍を次々に探索していけるメディア形式は実現できないか」など、思索が進むかもしれません。

データの誤解(2)たくさんあるほうがよい

データの客観性と関連して、データの分量が多ければ多いほど信頼できる、というバイアスもあるように思います。データの標本として取得した人数のことを「サンプルサイズ」と言いますが、データ(A)のサンプルサイズは1,960人、データ(B)は1人です。したがって、データ(A)のほうがはるかに信頼できる、という考え方です。

これも客観性と同様に、データの活用目的によっては重要ですが、リサーチ・ドリブン・イノベーションにおいては、必ずしも重要な指標にはなりません。データの数がたくさんあればあるほど、人間の内側にある心理や葛藤の本質に迫れるとは限らないからです。

実際にデータ(A)を眺めていても、1,960人もの人たちが、何を考え、何を想い、どんな悩みや欲望が背後にあって、この調査に回答したのかまでは、よくわかりません。推測することはできるかもしれませんが、他方でデータ(B)は、脈絡のない独り言ではありますが、耳を澄ませば澄ますほど「別に、“1冊”を読み切らなくてもいいじゃないか」「自分らしい本の読み方ができればいい」といった心の声が聴こえてこないでしょうか?

このことからわかることは、データには単純な「量」だけでなく、「質」があるということです。サンプルサイズがたくさんあればいいというわけではありませんが、サンプルサイズが少ない場合には、それなりの「質」が求められます。データを浅く広く集めるのか、深く狭く集めるのか、と言い換えてもよいかもしれません。設定した問いの性質や、リサーチの目的によって、適切な質量のデータを集めることが求められます。

データの誤解(3)答えに直結するほうがよい

最後に、データは「答えに直結する」ものであるという考えも、疑っておかなくてはなりません。もちろん、データはリサーチの問いに答えを出すための手がかりですから、何かしらのかたちで、答えを出すことへの貢献は期待されます。

けれども、答えを出すことを意識しすぎると、不思議なことに、“良いデータ”は集められません。その理由を明らかにするためには、そもそも、「問いを深めるプロセス」がどのようなものか、理解しておく必要があります。

もし問いがクイズや学校の試験のような問題であれば、問いを問うプロセスは、単純明快です。回答者は、問いに関連する知識を探索し、それを手がかりに答えを導き出します。

唯一の答えがある問いの思考プロセス

しかしイノベーションのためのリサーチの問いを探究するプロセスは、こう単純にはいきません。たとえば、前述した「これから書籍というメディアの在り方はどのように変わるか?」というリサーチの問いを例に考えてみましょう。未来に書籍がどうなっているのかについては、確かめようがありませんから、自分なりの仮説を考えるしかありません。それでも、あれこれ考えを巡らせていくと、いくつかの思考の種が湧き上がってきます。

「電子書籍が当たり前になってきているから、紙の書籍が衰退する可能性があるな」
「他方で、紙の書籍の良さも、一定の支持があるから、そう簡単にはなくならないだろう」
「ユーザーの趣味だけでなく、出版社の都合や、図書館の意義なども影響しそうだ」
「SNSや動画メディアなど、書籍以外のメディアの影響も考える必要がありそうだ」

などと、問いに呼応したいくつかの仮説的な「気づき」が生まれます。しかし「気づき」だけでは、まだまだ熟考したとは言えず、納得のいく答えにはたどり着けません。もう少し思考の解像度をあげていこうとすると、いくつかの疑問、すなわち「問い」が生まれます。

「現状では、電子書籍と紙の書籍の利用率はどのような割合なのだろうか」
「書籍のカテゴリーによって、その割合は異なるのだろうか」
「紙で読みたい本とは、どのような本なのだろうか」
「電子書籍化に、リアルの書店はどのように対応しているのだろうか」
「図書館学や大学教育の専門家たちは、どのような意見なのだろうか」
「人生における“読書”の意味合いはどのように変わってきたのか」

このように、唯一の答えがない本質的な問いを探究しようとすると、答えには直結しない「気づき」を経由して、いくつかの小さな「問い」がを生み出されます。そしてこれらの問いを深掘りしていくと、さらに新たな「気づき」が生まれ、さらにまた「問い」が生まれる。この繰り返しが、リサーチの問いを探究する思考のプロセスです。

リサーチの問いの思考プロセス

リサーチにおけるデータは、この思考プロセスを前進させるための触媒です。それは必ずしも、問いに対する明快な「答え」に直結するものである必要はないのです。

以上、リサーチ・ドリブン・イノベーションにおけるデータにまつわる3つの誤解を解説してきました。次回の記事では、データの収集についてさらに踏み込んで解説していきます。

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リサーチ・ドリブン・イノベーション

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昨今のイノベーションの手法論は、デザイン思考をはじめとする「内から外へ(インサイド・アウト)」アプローチと、アート思考や意味のイノベーションをはじめとする「外から内へ(アウトサイド・イン)」アプローチのあいだで揺れています。本連載では、その二項対立を超えて、両者を共存させるための手がかりを「リサーチ」という考え方に置き、問いを起点とした「探究」によるイノベーションのプロセスを編み直していきます。

昨今のイノベーションの手法論は、デザイン思考をはじめとする「内から外へ(インサイド・アウト)」アプローチと、アート思考や意味のイノベーションをはじめとする「外から内へ(アウトサイド・イン)」アプローチのあいだで揺れています。本連載では、その二項対立を超えて、両者を共存させるための手がかりを「リサーチ」という考え方に置き、問いを起点とした「探究」によるイノベーションのプロセスを編み直していきます。

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著者

株式会社MIMIGURI 代表取締役Co-CEO

東京大学大学院 情報学環 客員研究員

1985年生まれ。東京都出身。私立武蔵高校、東京大学工学部卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。株式会社MIMIGURI 代表取締役Co-CEO/東京大学 特任助教授。

企業経営と研究活動を往復しながら、人と組織の可能性を活かした新しい経営・マネジメント論を探究している。主な著書に『問いのデザイン』、『問いかけの作法』、『パラドックス思考』、『リサーチ・ドリブン・イノベーション』、『ワークショップデザイン論』『チームレジリエンス』などがある。

X(Twitter)noteVoicyhttp://yukianzai.com/

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