みなさんは「誰にも読まれないマニュアルを作ってしまった経験」はありませんか?私にはあります。
それは塾講師のアルバイトをしていた大学時代のお話です。当時の私はいわゆる「意識高い系」で、授業の経験から得られた学びを資料にまとめ、よかれと思って講師仲間に熱心に共有していました。塾全体の授業のクオリティを高めたい──そんな情熱とおせっかいが、読まれることのない無数のレジュメを生み出していたのです。
ある日、傑作の資料が出来上がり、同僚に声をかけました。「すごいのが出来上がった!」と。さぞ褒められると思って、100ページに渡る資料を同僚たちに配って廻りました。説明を聞いていた同僚は「勉強になったよ、力作ですね、ありがとう(笑)」と語り、特に興味を示さない素振りでその日は終わり。その後も同僚の指導に特に変化は生まれず、しばらく経ってから、その100ページの資料が埃をかぶっているのを発見しました。今までの時間は何だったのでしょう。
塾講師に限らず、さまざまな職場で似たようなことがあるのではないでしょうか。貢献したい気持ちを持つ人ほど、自分が持っている知見を伝えようとするあまり“空回り”をしてしまうものです。でも結果としてそれはただの“お節介”に終わってしまうことも少なくありません。
本連載ではこれまで経営者やビジネスパーソンが実践者として知的生産を行うための探究の方法論を語ってきました。しかしいくら知的生産を行ったとしても誰にも受け入れられない状態では「独りよがり」でしかありません。
それを防ぐには、探究を開始する前に「誰にその知識を使ってもらうのか」という戦略を立てることが必要です。そこで本記事では、自分が取り組んでいく探究がいかなる意義を持つかを説明し、周囲の理解を得て、知識を活用してもらう戦略について、4つのステップから考えていきます。
まずは自分がなぜその探究に取り組むかを言語化します(Step1)。その上で自分と同様の問題に悩んでいる他者を見つけ(Step2)、自分と悩んでいる他者との共通点を探ります(Step3)。そして最も重要なのは同様の問題に悩んでいる他者に「どのようなアクションを起こしてもらい、どういう状態になってほしいか」を言語化することです(Step4)。この四点に沿って説明します。
西村歩(にしむら・あゆむ)
株式会社MIMIGURIのリサーチャー(企業専属研究職)。東京大学大学院情報学環客員研究員。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。科学哲学・科学社会学を専門とし、修士課程ではデザイン学における実践研究方法論に関する調査に従事。現在はデザインファームに内在する実践知の形式知化を目的とした「実践知型研究組織」の概念構築に従事している。電子情報通信学会HCGシンポジウム2020にて「学生優秀インタラクティブ発表賞」、電子情報通信学会メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究会にて「MVE賞」を受賞。
STEP1 「自分の経験」を問い直し、探究に取り組む意味を見つめる
前回の記事では、探究上の「問い」を立てる際には「自分の経験」を起点にすべきと論じました。実際のところ探究の「問い」の起点になるのは過去の経験であることが多いです。これまで CULTIBASE Labで定期的にキャリアコーチである山崎奈央さんを招き開催されている「探究の戦略ワークショップ」においても、自律的に探究活動を進める上では、「私はなぜ、探究しようとしているのか?」という原動力を語ることが重要であると論じられてきました。
探究の第一歩は、自らの思考の言語化から始まる──「探究の戦略」実践の道しるべ
探究すなわち「物事の真のすがたを探り、見きわめようとすること」(広辞苑)には、多大なカロリーを要します。とりわけ業務外で探究を行う場合においては、自由時間を投資することになるため、自分自身の経験を振り返って、意義を感じていないことには探究が止まりかねません。
そこで私が冒頭で書いたような「誰にも読まれないマニュアルを作ってしまった」などの悔しい経験が探究上の問いに紐づいている場合、人生を懸けてその問いに答えることが大切な意味を帯びうるため、探究の持続可能性が向上します。したがって自分がどのような経験に基づいて探究を行おうとしているかを問い直すことが肝になります。
STEP2 「自分と同じく悩んでいる他者」を探す
ところで「自分以外の誰か」も同じ問いを抱えている可能性はないでしょうか。たとえば自分の身の回りを見渡した時に同僚であるNさんも「誰にも読まれないマニュアルを作った」経験によって意気消沈していたことを知っていたとします。それこそ「二度とマニュアルなんか作るものか」と虚無になっていたことも──
とするならば、自分の関心をもとにした探究が他の人の役に立つ可能性も見えてこないでしょうか。例えば「そうか、自分の探究は、きっとNさんのためにもなるんだ」と捉え直してみることで、「誰のためにその問いに取り組んでみるべきか」という射程が明確になります。つまり自分だけのためでなく、特定の誰かのために探究を行うと意味づけてみることで、探究によって得られた知見を、まずはその人に活用してもらうという最初の目標を立てることができます。
思い返すと、私は大学院時代の授業の中で、「自分が届けたい読者一人にラブレターを書くつもりで」論文を書いてみるといいんじゃないかというアドバイスを受けたことから、誰か一人を想定して論文を書くようになりました。まず具体的な一人に届けようとすることにより、その一人に確実に届けようという意識が働き、その一人と同じ感覚を共有している人にも届くことで、数珠繋ぎで自分の研究を面白がってもらえる人が増えていく感覚がありました。
STEP3 「潜在的関心層」とは誰なのかを探る
しかし探究成果のアウトプット(レポートやレジュメなど)を一人に向けて、「マニュアル作りで失敗して困っていたNさんのために書きました」のように名指しで書いてしまうと、今度はNさん以外が読まなくなってしまいかねません。そこで探究成果を幅広く伝達していく上では、私とNさんの共通点を探すことで、似た境遇や問題意識を持つ層としての「潜在的関心層」を掴むというステップを踏むとよいでしょう。
今回の場合、探究の成果を届けたい具体的な一人は、同僚のNさんだったとします。私とNさんの間には「常に現場で得られた知識が交換されている組織がよい組織である」「自分の仕事から得た学びも共有することで組織のレベルアップに繋がると信じている」「でもちょっと同僚や後輩にお節介をしてしまう面がある」などの共通性が見つかりました。それらの共通点を広く一般化するとこのような層が「潜在的関心層」といえるのではないでしょうか。
・現場で得られた知識を交換しあう組織状態を理想と捉え、
・自分の暗黙知も組織に共有したいと考えていて、
・でも良かれと思ってマニュアルを勝手に作り出すお節介さ
これらの特徴を持つ層は、「良かれと思って気合を入れてマニュアルを作ったものの総スカンを食らった」「自分の過去の経験をまとめても全然組織に響かなかった」などの経験に直面しやすい、ないしは既に直面したことのある層の特徴といえます。このように「私」と「Nさん」の共通点を探ることによって、他にも届きうる潜在的関心層の特徴が浮き彫りになっていくのです。
STEP4 「どのようなアクションを起こしてもらい、どういう状態になってほしいか」を言語化する
STEP3までで「誰にその知見を届けるか」が明確な状態になりました。次に行うのは潜在的関心層に対して「どのようなアクションを起こしてもらうか」「どのような状態が実現されうるか」を言語化する過程です。
Step4-1 期待されるアクション
ホームラン王を獲った野球選手から、理想的なバットの振り方を学んだからといって、誰でもすぐにホームランを打てるわけではありません。野球初心者の場合はそもそもバットの握り方から学ぶ必要がありますし、熟練者であってもボールを遠くに飛ばす訓練が必要です。ビジネス上の知見も同様に、実績のある人間から知見を授かったからといって、即座に実践に活かされるのではなく、各々が実践の繰り返しを通じて、ゆっくりと身についていくものと考えられます。
しかし私たちはつい「うまくいくための要点」を簡潔に伝えようとしがちです。例えば「営業成績を向上させるための3つのコツ」など。もちろん簡潔かつシンプルに伝えることによって、組織内で知見を受け止めてもらいやすくなる利点はあります。
しかし、簡潔に知見をまとめて伝達すると「そのコツを意識すれば先輩のスキルの再現が可能になる」という誤解を生み出しかねません。そもそも知見をつくりだした先輩自身はそのコツに辿り着くまでに、幾多の試行錯誤を繰り返して成長を遂げていたとします。そこで、もしも職務上の成長が不十分な部下がそのコツを信じて実践の場に繰り出しても、うまくいくケースは稀有です。「先輩はこう言ってたけど、全然その通りにならないじゃん」という、すれ違いが起きかねません。
ここに「インプットの量を増やしても、部下の成績が上がらない」と悩む先輩が陥りがちな落とし穴があります。先輩は後輩に知見を分かってもらいやすいように配慮し、できるだけ単純化されたコツを渡しがちです。しかし多くの場合、そこには「誰の目線で形成されたコツであるか」という視点が抜け落ちがちです。例えば「相当の営業の努力を積み重ねて熟達した先輩の視点で」作られたコツの場合、折角まとめあげられたコツの内容を実践することが、非熟達者である後輩視点ではハイレベルすぎるということも想定されます。
そのような状態に陥らないためには、コツを提供するだけでなく、コツを正しく再現するために、いかなるアクションが必要かを明確にしておく必要があります。ここでいうアクションとは、得られた知見を実践に役立てられるようになるまでの視点獲得に向けた努力の目安を指します。その目安を提示するには、「知見を作り出そうとしている自分自身がどのような視点の上に立っているか」を認知することが必要です。
例えば、今回の記事を通じて論じられている「誰にも読まれないマニュアルを作らないためのコツ」を作り出した私自身は「誰にも読まれないマニュアルを作らないための方法」に悩み苦しみ、多くのアウトプット(論文やレポート)を書いては、指導教員の先生などの数多くの批判を頂いて、なにくそ精神で修正を続けてきた者の視点であるという前提に立っています。
だからこそ読者には、今回の記事の内容を頭に入れるだけでなく、一連の連載内容をもとに知的生産の計画を立て、探究を実施し、知見を組織に伝達していく実践の積み重ねが必要であると考えています。またそれだけでなく、自分が生み出した知見について、信頼している先輩など第三者からフィードバックをいただく経験を積んでいることを「期待されるアクション」として掲げたいと思います。
Step4-2 実現されうる状態
4-1のアクションを経て知見を学習しきることによって、どのような専門性が獲得されるのかを明確にしていきます。例えば「ホームランバッターに近づくことができる」「売上成績が向上する」「自分が作ったマニュアルがもう総スカンを食らわない」のような形です。実践的な知識は理想的な状態に近づくために学習していくものであり、この実現されうる状態に「なりたい」共感が集まるからこそ、探究によって得られた知見の価値が高まるものでもあります。
しかし「実現されうる状態」に対して共感が集まらないケースもあります。例えば加用(2006)が語っていたとする具体例を紹介すると、「2歳の漢字教育プログラム」の実践をもとに「2歳の子どもの漢字学習がかなりできるようになる」という価値が語られていたとします。しかし漢字学習を効果的に進めたい2歳を持つ親御さんは限られている上に、2歳児から漢字学習を求めることは、子どもの発達段階として望ましいものであるかは怪しいところがあります。
そこで「2歳の子どもの漢字学習が非常に進む方法を見つけたんですよ!」と語って共感を集めようとしても、潜在的関心層は「確かに幼少期からの漢字学習は関心はあるけど、2歳からはちょっと極端すぎない?」とネガティブに受け取られる可能性があります。この「2歳の漢字教育プログラム」の加用(2006)の例を踏まえて松本(2017)は、「そこで扱われている問題が現在の社会情勢と照らし合わせた際に意義が想像しやすいか」が重要と語っています。
これらの一連の例を踏まえると「実現されうる状態」を提示するには、潜在的関心層が理想とする「実現されうる状態」と、今回生成された知識の内容にズレが起きてしまっていないかを検討する必要があると推察されます。
Step4-3 フレームワークに挿入して考える
今回の記事では以上の内容を網羅することによって、自分の行っている探究の意義を他者に説明することを趣旨としたフレームワークを用意してみました。このフレームワークは探究活動の意義を組織や社会に過不足なく説明していくために必要な要素を一覧するのみならず、自分自身で探究の目標設定を行うためにも活用できるようにしています。
このフレームワークは一番最下層から埋めていくことを想定しています。
【探究上の問い】
- 今回の探究ではあなたはどのような「問い」に答えようとしているのでしょうか。
問いの立て方については前回記事で論じた内容になりますが、最終的に解答する大きな問いとしての「TypeA Question」と、具体化された問いとしての「TypeB Question」の構造化ができていることが理想的です。
『知的複眼思考法』に学ぶ、良い探究の為の「問い」の立て方:連載「知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論」第2回
【潜在的関心層】
- 今回の探究知見は誰(どのような層)に届けるものにしようと考えているのでしょうか。
ここまででどのような問いを探究するか、また誰に向けてその探究の成果を届けるかという二つの要素を明確にすることができます。その上でStep4-1と4-2によって埋まっていくのが上の二つの階層です。
【期待されるアクションは?】
- あなたは「潜在的関心層」に知見を届けた後に、どのようなアクションを行って欲しいと考えるのでしょうか。
【実現されうる状態は?】
- 結果的にこの探究知見を学習しきることによって、「潜在的関心層」はどのような状態になる(スキルの獲得など)ことが期待されるのでしょうか。
このような目標設定を行うことによって、自分が探究活動を通して生み出す知識が誰に届き、どのように役立てられるのかを理解できるようになります。
またそれだけでなく、自分が所属する組織にも探究活動の意義を説得するために用いて、共に探究を進めていく仲間を集めることや、探究活動に取り組む自分自身の持続的なモチベーションが生み出されたり、何のためにこの探究を行っているのか見失った時の道標になることも期待されます。
参考文献
新村出(著):広辞苑第七版,岩波書店,2018.
松本博雄:「実践研究」論の展開に向けて:四半世紀の経過から(<特集1>実践研究の方法論を問う),心理科学,28巻1号,2017.
加用文男:心理科学研究会秋の研究集会全体シンポジウム 『実践研究の方法論を問う』 話題提供資料, 2006.