経営者やビジネスパーソンといった「実践者」が知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論とは? 自らの経験に向き合い「疑って、超える」ようになるための「実践研究方法論」を研究する、MIMIGURIのリサーチャー・西村歩による新連載。第2回は、研究においてもっとも重要なポイントの一つである「問い」を立てる際のポイントについて解説します。
西村歩(にしむら・あゆむ)
株式会社MIMIGURIのリサーチャー(企業専属研究職)。東京大学大学院情報学環客員研究員。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。科学哲学・科学社会学を専門とし、修士課程ではデザイン学における実践研究方法論に関する調査に従事。現在はデザインファームに内在する実践知の形式知化を目的とした「実践知型研究組織」の概念構築に従事している。電子情報通信学会HCGシンポジウム2020にて「学生優秀インタラクティブ発表賞」、電子情報通信学会メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究会にて「MVE賞」を受賞。
疑って超えるには「問い」が不可欠。
前回の記事で佐々木毅(2012)における「学びの四段階」を紹介しました。
【学びの四段階】
①知る
事実ないし確実とされている知識や情報を「知る」こと、記憶すること。大人になっても知識の獲得や情報の収集が必要であり、際限なく「勉強」は続いていく。
②理解する
原因と結果で示される因果関係に目配りしたり、物事の広範な構造に遡って事実とされていることを理解したりする。つまり個々の事象次章を「知る」ことや「記憶する」ことから、「どうしてそうなるのか」という問いに関心を移動させる。
③疑う
事実や事実関係の知識や情報は「それなりの」事実や事実関係であることは疑う余地はない。しかし「そもそもの」事実や、事実関係とされている知識や情報を「疑う」ことはでき、その既存の分析を「疑う」ことから新しい「問いかけ」が生じる。そして、それが「新しい」事実の発掘につながっていく。
④超える
「疑う」という段階を超えて、事実や現実に対置される新たな「適切な」可能性を追究し、時には新しい境地に帰依することを意味する。
このうち、③疑う、④超えるというステップに進めるかどうかが、実践者の知的生産の鍵を握っていると考えられています。ただこの③疑う、④超えるというステップは中々難しいものです。③疑う、④超えるというステップに至る上で不可欠なのは「問い」を立てることです。
「問い」は③疑う、④越えるによって為される「探究」活動の基軸となるものです。また、その活動の中で「良い問い」を立てることができれば、探究はより質の高いものとなり、ドリルで掘り進めるように自己の「専門性」が次々と、効率的に発掘・開拓されていくでしょう。このように探究によって専門性が「掘り下げられる」という比喩は、人材育成における「T型人材」論などで多く用いられるものですが、私も図1のようなプロセスで、探究が専門性の獲得に寄与しているものと考えています。
[図1]
大学などで研究活動を行っている研究者を、ここで「専門家」という枠組みとして捉えるならば、その「専門性」は研究活動を遂行して論文を書く(すなわち、問いを立てて解答する)プロセスの中で培われるものであるということに疑いはないはずです。また研究者に限らず、ビジネスパーソンにとっても実は日常的に「現在から営業成績を上げるにはどうすればよいか」などの問いを立て、その問いに解答しようとする過程の中で多様な知見を生成し、専門性を高めていると考えられます。そのような前提に立つならば、すなわち「専門性を磨く」とは、「問いを立てて解答する」という日常的な探究の繰り返しのなかで磨かれていくものとして想定されます。
ところで探究を前進させる「良い問い」とはどういうものでしょうか。またどのように「良い問い」を立てることができるのでしょうか。そこで今回の記事では知的生産の準備段階としての「良い問い」を用意する方法論について共に考えていこうということが趣旨です。なお本連載の内容はビジネスパーソンなどの実務家層の知識創造を支えることを目標として記述していますが、本記事の内容は自分が学位論文を書く上で意識してきた事柄でもありますので、これから卒業論文などに向かう大学生や大学院生(修士課程)の方にも有益な記事になることをめざして記述しています。
「問い」なき探究により、無限回廊に迷い込む
2021年の12月23日に、私の学部時代の恩師である広岡守穂先生の最終講義が中央大学多摩キャンパスで開かれました。最終講義の題目は『経験から学問が生まれるということ』。それまであまり自分の中で意識していたわけではありませんでしたが、「経験」から知的生産を始めていこうという自分の考え方の根底には、師匠から譲って頂いたものがあります。
広岡先生はちょうど学生時代に「学生運動」期を迎え、三島由紀夫の割腹自殺、国際的には東西の冷戦が激化する時代に、昭和期における日本の思想的対立と隆盛の中で学生時代を過ごされてきました。また学生時代にご結婚され、奥さまとの生活における男性の家事育児への参画と省察(当時は性別による役割分担が固定化されていた時代である)を通じて、『市民社会と自己実現』や『日本政治思想史』などの研究成果が形成されています。師匠は常日頃から等身大の自分の生活を通して見つめてきたものから、研究テーマを設定されてきたといえます。
そんな広岡先生から私は、研究を継続できる原動力として「経験からはじめること」があると教えていただき、その上で主に大学二年から三年の間に、幾度となく自分の経験に根差した研究計画をつらつらと書き連ねたレポートを書いては読んでもらっていました。しかし書いている自分も、先生も「うーん」と唸って、「何かがが違う」と顔を見合わせます。
たしかに「経験」を意識するあまり、自分の経験を書き連ねているだけの共感を求めるだけの文章になってしまっていたり、確信をもって「これが新知見だ!」と思って書き出しても、我に返ると独りよがりで当たり前な記述(車輪の再発明)状態になっていました。どれだけ足掻いても知見が深まっていかない。書いた翌日に原稿を読んでみると恥ずかしい気持ちになる。そんな無限回廊を彷徨っている中で、ある日、広岡先生からふと「西村くんの文章には”問い”がないんだよ」「掘り下げてみたい”問い”を探ってごらん」と言われて、はっとすることがありました。
今までの自分は「問い」を設定せずに、闇雲に文章を書いている状態でした。しかしそれでは自分がこの文章を通してどこに着地しようか、何を目指して文章を書こうとしているか分からない状態であり、これでは読者も一体何を読まされているのか分からずに混乱に陥ります。もしも明確な「問い」を立てることができていれば、自分の探究は何に向かっているのかがわかり、どのような状態になっていれば「進んでいる」といえるのか、どこに向かえば終わりを迎えることができるのかも定義されていくはずです。しかし当時はまだ「問い」を立てることの重要性をよく分からずに、闇雲に文章を埋めていたのでした。
知的複眼思考法から学ぶ、探究上の「問い」の立て方
広岡先生からの指導を受け、まず「探究していく問いを設定する」ことから始めました。しかし「問い」は、どのような方法で設定すれば良いのかは分かりませんでした。色々な研究方法が記された書籍を大学図書館で読み漁るのですが、自分の経験に根差した問いの立て方を書いているものは、そこまで数は多くないのです。
そうした中で苅谷剛彦先生の『知的複眼思考法』に辿り着きました。当該著書は「ありきたりな常識や紋切型の考えかたにとらわれずに、ものごとを考えていく方法」のことを「知的複眼思考法」と名づけ、「IT革命」や「情報化の時代」といった決まり文句の発想に流されずに、自分自身との関わりの中から複数の視点から現状を捉え直していく方法を解説するという内容となっています。本著は全体的に「創造的読書の方法」「考えるための作文技法」「問いの立て方と展開のしかた」「複眼思考の身につけかた」など多様な知的生産の方法が示されています。お時間のある方は、ぜひ手に取っていただきたく考えております。
特に『知的複眼思考法』の第三章は「問いの立て方と展開のしかた―考える筋道としての<問い>」という主題が設定されており、実は第三章の内容こそ佐々木(2012)のいう③疑う、④超えるというステップを細かく説明されているような内容となっています。まず「疑問」と「問い」の関係を整理しています。
「ちょっと変だなぁ」「不思議だなぁ」というように、ここでいう「疑問」は感じるもの、思うものです。それに対して、<問い>は立てるものです。感じた疑問はそのままにしておくことができます。ところが、問いを立てることは、答える行為を前提にしています。疑問を感じるだけでは、まだ自分から進んでその疑問を解いていこうということにはつながらない。その疑問を、解答することを前提とした問いとして表現し、位置づけし直すことによって、最初に感じた疑問を、考えることにつないでいくことができるのです(苅谷 2002,pp.178-179)。
この記述の後、苅谷先生は「疑問」とは感じるだけで終わる場合が多いのに対して、問いとは自分でその答えを探し出そうという行動につながっていくという特徴があるとしています(p.179)。この点苅谷先生の記述からは、人間は誰しもが自分の経験のなかで、自然に「疑問」を持つものであることが想定されます。しかしそれらの疑問については放置するという選択ができるはずです。それにもかかわらず「答えを探し出そう」とする志向性と具体的な行動に突き動かさせるものが「問い」にあたると位置づけられます。
次に苅谷先生は「問い」の一種として「どうしたら~」という問いを立ててしまいがちであることについて言及しています。「どうしたらよい企画書を書けるのか」(p.181)などです。確かに疑問に思った問題状況に対して即座に解を求めたくなり、すぐに「どうしたら」という思考に至ってしまいがちです。「どうしたら喧嘩したあの人と仲直りできるのか」「どうしたら成績を上げることができるのか」などです。
ただ、その答えは即座に見つかる訳ではなく、悶々と考えているうちにドツボにはまります。なぜなら「どうしたら~」という形式の問いはいきなり具体的な行動や解決策を要求するものであり、自分が「疑問」に思っている状態について多角的に理解できていない状態にすぎないからです。その点、苅谷先生は「どうしたら~」の中には無数の「小さな問い」が存在しており、具体的に様々な側面に区分していくことが可能であると主張しています(p.181))。すなわち「どうしたら~」が出てきたときは、いくつかの問いにブレイクダウンすることを心掛けてみることを促しているのです。
例えば「どうしたら良い企画書を書けるのか」の中に、「よい企画書とは誰のためにとってよいのか」「どんな判断基準か」「アイデアのよさか」などの問に区分できるとしています。それらの区分された「小さな問い」への回答をつなげていくことによって、最終的な「どうしたら~」という抽象度の高い問いに対しても解答することができるものと想定されています。これらの問いを分解し、最終的に統合していく過程について、苅谷先生は「問いのブレイクダウン」として紹介しています。
「問い」の構造化の手法:TypeA/B Question
知的複眼思考法で論じられている「問いをブレイクダウン」をしていく過程については、大学や大学院のゼミ活動で習うような「リサーチクエスチョン(RQ)の立て方」に共通するものです。研究論文を執筆する場合においても、まず先んじて行わなければならないのは「リサーチクエスチョン(すなわち問い)」を立てることです。
社会科学領域においてよく読まれており、私自身も大学院時代に読んだ「研究の教科書」として、学習院大学の政策科学者である伊藤修一郎先生が2011年に発刊した『政策リサーチ入門』が挙げられます。本著は政治系・政策系のゼミに所属する大学院生が政策研究(政策リサーチ)を行うことを想定して書かれたものでもありますが、実務家や市民に対しても「よりよい政策を形成する」ことの基礎として政策リサーチを位置づけています。ただ特に以下のリサーチクエスチョンを立てるという部分については、政策系のみならず普遍的に調査・探究を通じて解明しようと考えている人には有効性がある内容であると考えています。
本著でも苅谷先生のいう「問いのブレイクダウン」と同種の方法を紹介していました。具体的にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのBarzelay(2003)を引用しながら、リサーチクエスチョンを「TypeA Question」と「TypeB Question」に区別する方法を説明しています。
「TypeA Question」とは、”学会で探究されている論点や多くの現象を説明することのできる法則性”と定義されています(伊藤 2011,pp.22)が、一般のビジネスパーソンなどの実務家に向けては適宜、”自分たちが最終的に知りたい問い”と読みかえても良いものとして示されています(伊藤 2011,pp.24)。
「TypeB Question」とは、”事例に即した問いかけ”と定義されます。例えばTypeA Qustionを「特定の政治制度(政府)が機能するのは、どのような条件のもとであるか」と設定した場合、TypeB Qustionは「北イタリアの都市では州政府がうまく機能し住民の満足を高めているのに、南イタリアの諸都市では州政府が北部ほどにはうまく機能せず住民満足度も低いのはなぜか」などの具体的なものになります(伊藤 2011,pp.22-23)。
ここまで見てきたように、研究上の問いというものは、「TypeA Question」として説明される抽象度の高く一般的法則性を解明するための問いと、「TypeB Question」として説明される具体性が高い個別事例に即した問いによって構成されることが伺えます。
その上で伊藤先生はBarzelay(2003)を引用し、「TypeA Question」と「TypeB Question」はピラミッドの階層構造によって成り立っていることを説明しています。すなわち下層のTypeB Questionに答えることで、それらの解答同士を繋げ合わせていくことで、より上位のTypeA Questionへの解答が可能となっていくのです。
ところがこれを作ってみると意外に難しいのです。よく陥りがちなミスはTypeB Questionで要求されるほどの具体性をもった質問を設定できず、本来はTypeA Questionとして設定されるべき問いがTypeB Questionの方に置かれてしまうことです。あくまでTypeB Questionは事例に即した具体的な問いである必要があり、抽象的な問いであってはならないのです。次の図表に見られるように、TypeA/B Questionは「レベル感を揃える」ことが要求されます。
またTypeB Questionを考える上でもう一つ重要な視点としては、全てのTypeB Questionに解答することによって、本当にTypeA Questionへの解答になるといって妥当なのかを考える必要があります。そこで以下のように各リサーチクエスチョンを構造化して並べて整理することは、TypeA/B Question間の問いの抽象ー具体のレベル感を揃えると同時に、最終的に到達したい問いに本当に辿り着くのかを判断していく上でも役に立つプロセスです。
苅谷は『知的複眼思考法』の中で、区分された問い同士の答えがどのように関係しあって、出発点となる問いへの解答となるかを考えていくことが重要であると語っています(苅谷 2002,p.181)。そして伊藤(2011)におけるTypeA/B Questionの考え方を示しましたが、これらの問い同士の関係性を整理することこそが、苅谷のいう「どうやっていけば解答に到達できるのか、その過程がわかりやすい<問い>に表現しなおすこと」にあたると推察されます。
ところで、苅谷先生は本著のタイトルを『知的複眼思考法』としています。苅谷先生によれば、このように構造的に問いを生成し、最初の問いとの関係性を整理することが、「複眼思考」を身につける上で重要なプロセスとして掲げています。確かにTypeA Questionに解答する上では、多面的なTypeB Questionへの解答を生み、そして統合していく必要があり、それらの過程は複数視点に基づく思考といえるでしょう。
複眼思考とは、ものごとを単純にひとつの側面から見るのではなく、その複雑さを考慮に入れて、複数の側面から見ることで、当たりまえの「常識」に飲み込まれない思考のしかたです。したがって、ひとつの問いを複数の問いに分解し、それぞれのつながりを考えていく方法を身につけることによって、私たちは複数の視点を得ることができます(苅谷 2002,pp.182)
「問い」のワーディング:マジックワードに気をつけよ
ここまで探究(研究)上の「問い」とは、また問いは抽象的・全体包括的なTypeA Questionと、事例に即したTypeB Questionの二種類に区別し、またTypeA QuestionからTypeB Questionに向けてブレイクダウンが可能なように階層的に生成していくことが望ましいことを、伊藤(2011)を示しながら論じました。ここまでは問いのストラクチャリング(構造化)に関する話でした。
ここでもう一つ大事な事項があります。それは一つ一つの問いのクオリティを高めていく必要があるということです。つまり「問い」はTypeA Questionか、TypeB Questionかに限らず、ただ単に疑問形がついていれば成立するというものではなく、探究が前に進みやすい、良質な問いに育てていく必要があることを留意する必要があります。
良い問いを立てる上で重要なのは、「問いの中に、定義が不十分なビッグワードをなるべく用いない」ことにあります。リサーチクエスチョン上でビッグワードを用いてしまうことによる危険性は、大学院時代に口酸っぱく先生方より指導を受けてきました。そして改めて『知的複眼思考法』を読み直すと、確かに苅谷先生も「複眼思考のためのヒント」というコラムの中で、探究上のビッグワードを用いてしまうことにより、思考停止を促す「マジックワード」と化してしまう危険性について論じられています。
学生たちと議論していると、しばしば、抽象的な概念をよくこなれないまま使っている例に出会う。「構造」とか「個性」とか「人間形成」とか「権力」といったビッグワード(概念)が典型的な例である。もともとの概念の定義にはお構いなしに、何となく理解しているレベルで、こうした難しいことばを使ってしまう場合も少なくない。しかし、もともとの意味から離れて、こうした大きなことばを使ってしまうと、概念のひとり歩きが始まる。
その結果、こうしたキーワードは、容易にマジックワード(魔法のことば)に変わる。つまり、魔法の呪文のように、人々の考えを止めてしまう魔力を持っているのだ(苅谷 2002,pp.242-243)
例えば自分が所属していたゼミでよく見られていたビッグワードは「社会関係資本」「関係人口」などの概念でした。他にも企業の中で見られるビッグワードは「顧客満足度」や「お客様の笑顔」「ユーザーエクスペリエンスの改善」などが挙げられます。問いの中にこうしたビッグワードが組み込まれてしまっていると、マジックワードとして概念の思考停止が促され、探究のゴール地点が蜃気楼に包まれてしまうことになります。
蜃気楼に包まれるとはどのような現象でしょうか。例えば「商品aの売り上げを向上するために有効な施策は何か」というTypeA Questionの下に、「商品aの売り上げを高めるためにユーザーエクスペリエンスを改善するべきであるか」というTypeB Questionを設定したとします。ところで「ユーザーエクスペリエンスの改善」とは、ABテストを繰り返して統計学的に最適化されたインターフェースを選ぶことなのか、それともユーザーインタビューに基づき想定するペルソナが強く要望する機能を実装することなのか、などの多様な解釈が想定されます。このような状態では「ユーザーエクスペリエンスを改善が⇒商品aの売り上げを向上する施策として効果があった」という結論には導くことができません。
仮にこの問いにもとづく探究によっていくつかのポジティブな変化が見られたとしても、「ユーザーエクスペリエンスの改善が⇒商品aの売り上げを向上する施策として効果があった」とまとめて主張したところで、その言葉を受け取った人は、あっちではABテスト、こっちではユーザーインタビュー、さらにそっちではデザイナーの勘やセンスに一任しようとするなど、多様な解釈が行われては様々な方向の案が乱立しては現場が混乱に陥ってしまいます。挙句の果てには「〇〇さんが言っていた『ユーザーエクスペリエンスの改善が⇒商品aの売り上げを向上する施策として効果があった』という話を受けて取り組んだけども、あんまり効果なかったなぁ」という声すら上がりかねません。このような状態を引き起こしてしまう根本原因が「ビッグワードを問いに含むこと」にあるのです。
マジックワード化を回避して「良い問い」を立てる二つのコツ
①誰もがその問いを読んで誤読しないような、一義性のある問いを定める
では「蜃気楼」はどのようにして防ぐべきだったのでしょうか。マジックワード化を回避して「良い問い」を立てるための一つの手段は「誰もがその問いを読んで誤読しないような、一義性のある問いを定める」ことです。例えば「商品aの売り上げを高めるためにユーザーエクスペリエンスを改善するべきであるか」というTypeB Questionは誤読してしまいかねないビッグワードが紛れ込んでいることを前に示しました。
そこで「商品aの売り上げを高めるために必要な施策は、ユーザーインタビューを実施して予め想定しているペルソナが要求する機能を適宜実装していくことであるか」のように、誰がどう見ても同じ意味を享受できるような問いを設定してみます。このような問いに設定しなおすことで、幾分か「ユーザーエクスペリエンスの改善」を指し示す概念が明確になり、探究成果の誤解リスクが低下することになります。このように一義的な問いを定めるために、まるでコピーライターのように、リサーチクエスチョンの文言の確認を丁寧に行っていく必要があるのです。
「生き生きとした」「ワクワク」「プレイフルな」「面白い」「エモーショナル」など、つい我々はつい柔らかいビッグワードを使いがちです。そのような言葉を用いる理由は「感覚的な理解」を促すからでしょう。しかしそれらの言葉を問いに含む前には、本当にその言葉を与えられることで、問いに触れる全員が同じ認識を持つことができるのかを確認する必要があります。「面白い」の中には英語でも、interesting、fun、amusing、enjoyable、excitingなど色々な種類があります。これだけの種類があることからも、抽象的なビッグワードは誤読リスクを高めるのです。 練習問題を用意しましたので取り組んでみてください。
【練習問題】
次の「問い」のビッグワードを指摘し、修正案を提案してください。
”ユーザーにエモーショナルな気分に浸って頂けるクリエイティブはどのように実現可能か”
②ビッグワードが一般的にどのような意味で使われているかを調査した上で、今回の問いにおけるビッグワードの定義をする
もう一つの手段は、どうしても問いにビッグワードを含む必要性がある場合に用いるべき手段です。その場合は「ビッグワードが一般的にどのような意味で使われているかを調査した上で、今回の問いにおけるビッグワードの定義をする」ということです。例えば「今回のユーザーエクスペリエンスとは~を意味するものとして扱う」というように予め定義しておけば、多義的な問いの解釈が生まれることは抑制できるはずでした。このように探究上において重要とされるワードや概念を予め定義していくことを「鍵概念(Key Concept)の構築」といいます。
しかし独自・独断で概念を定義してしまうと、また混乱を生み出すため、一般的に用いられている定義を用いて説明する必要があります。そのために学術研究では先行研究(先に出ている論文)を徹底的に調べあげて、妥当性の高い定義を探るという方法がとられます。ただしアカデミックリサーチではなく、ビジネスや日常生活上の「探究」である場合は、広辞苑や大辞林などの辞書でその言葉の意味を調べて参照するという方法でもよいでしょう。探究成果のアウトプットは論文、レポートなどの文書形式の場合は、冒頭部に言葉の定義を列挙することによって誤読リスクを軽減する工夫が重要です。
「良い問い」は探究を前に進める
話は冒頭に遡ります。学部時代の「一体何のためにこの文章を書いているのか」、「この文章はどこに向かっているのか」という状態が改善されたのは、まさしく「問い」を意識するようになってからでした。「予め設定した問いに答える」というゴールが設定されたからこそ、研究がどこに向かっていくのかが想定され、「終わり」を見通して調査することが可能になりました。またその他にも「この問いに答えることによって、読者にどのような知を届け、どのような効果を期待するのか」という、知識そのものの本質的価値についても広岡先生と目線を合わせることもできるようになりました。これらの経験が、知的生産の基礎・基本に「良い問いを立てる」ことがあるのだと実感するに至った経験でした。
本記事で記述した「良い問いの立て方」とは、研究活動のみならず、あらゆる探究的活動を進めていく事前準備として重要なものだと考えています。たとえば読書を通じた探究的活動を行っている人も多くいます。自分の知見を広めたり、教養を蓄えるために読書をするという方です。しかし「いくら読書をしても何も知識が身についていかない」と感じている人も見られます。その場合は闇雲に本を読み出す前に、今自分が探究したい問いは何かを構造的に整理・言語化した上で本を読み出すだけでも、得られるものが変化するはずです。またMIMIGURIの中で半期目標(OKR)を、自己が立てたResearch Questionの解明を掲げている人が見られており、その点からも本記事で述べた「問いの立て方」は学習目標・事業目標の設定という文脈でも応用可能なのではないかと考えています。
参考文献
- 佐々木毅:学ぶとはどういうことか,講談社,2012.
- 苅谷剛彦:知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ,講談社,2002.
- 伊藤修一郎:政策リサーチ入門―仮説検証による問題解決の技法,東京大学出版会,2021.
- Barzelay Michael, Francisco Gaetani, Juan Carlos, Cortázar Velarde, Guillermo Cejudo : Research on Public Management Policy Change in the Latin America Region: A Conceptual Framework and Methodological Guide,International Pablic Management Review, Vol.4, No.1, 2003.
次回はこちら
知的探究を「独りよがり」にしないために。その成果を理解・活用してもらうためのフレームワーク:連載「知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論」第3回
■お知らせ
2022年9月3日(土)10:00-12:00にて、動画で学ぶ『問いかけの作法』を開催します。本イベントでは、書籍『問いかけの作法』の全体像を、著者・安斎勇樹自らによる100分間の解説をお届けします。未読の方はもちろん、改めて内容をおさらいしたい方におすすめの内容です。ぜひご参加ください(終了後はCULTIBASE Labの会員のみアーカイブ動画をご覧いただけます)