連載「組織学習の見取図」2回目の記事となる今回は、組織学習の重要なキーワードである「経験学習(experiential learning)」という言葉を取り扱います。この言葉は、学習理論のなかでも比較的ポピュラーな用語で、企業研修やビジネス書でもよく登場します。その分、誤解されている部分や、本質が掘り下げられていない側面もあります。本記事では「経験学習」の誤解と本質について、掘り下げていきましょう。
組織学習といっても、いきなり「組織」そのものが、何かを覚えたり身に付けたりすることはありません。あらゆる組織学習は、かならず組織を構成する「個人」の学習からはじまります。個人が業務のなかで学んだことが、チームや組織で増幅されることで、組織レベルの変化へと昇華するのです。
組織における「個人の学習」の性質を捉えるまなざしは、さまざまです。そのなかでもポピュラーかつ便利な枠組みが、「経験学習」の理論です。組織の複雑さに対して、シンプルな理論ではありますが、組織学習を構成する最小単位のユニットを捉えた、強力な理論群なのです。
組織学習は個人の経験学習からはじまる
本記事では、一般的によくみられる「経験学習に関する3つの誤解」を解き明かすことで、経験学習の本質に迫っていくことにします。
誤解(1)とにかく経験を積むことが大事
経験学習とは、人間の学習を外部からの「知識の注入」ではなく、主体的な「経験」を通して生起するものだと捉える考え方です。教育哲学者のジョン・デューイ(1859-1952)の理論に端を発しています。その思想は「真実の教育はすべて、経験を通して生じる」「為すことによって学ぶ(Learning by doing)」などの言葉によって知られています。学習が経験によって生まれることは、当たり前のように思えますが、当時は伝統的な学校教育に対する批判として、非常に重要なメッセージを含んでいました。
筆者が大学院時代に研究していた「ワークショップ」の系譜を辿ると、このデューイの経験学習の理論にたどり着きます。デューイは経験を重視しながらも、「学習を阻害する経験」もあり得ることを指摘し、何よりも「経験の質」を重視し、いくつかの原理を提唱しました。
しかしデューイの理論は、教育や人材育成の現場において、誤解されるところがありました。それは「なるほど、経験が大事なのか」「机に座って本を読んでいないで、とにかく現場で経験を積もう!」という「とにかく経験を積むことが大事」という誤解釈です。
デューイは「経験とは、環境との相互作用である」と述べましたが、「外界」に対して働きかけるばかりでは、学習は深まりません。デューイは同時に、自分の「内側」に籠って深く考える時間も、経験においては必要不可欠だと考えていました。その手段として、デューイは「反省的思考(リフレクション)」の重要性を説いたのです。ワークショップの最後に「振り返り」の時間をとるのは、実はデューイの理論の影響なのです。
リフレクションによる熟慮がなされぬまま、現場経験ばかりを積み重ねることを、教育学では「這い回る経験主義」と批判されます。文字通り、現場という地べたを這い回るばかりで、メタ的なリフレクションが欠落したり、知識と知識を結びつける視点が持てなかったりすることで、学習が断片化してしまうのです。
このことは誰もが頭では「大事だよね」と納得できると思いますが、いざ日々の業務に忙殺されると、なかなかじっくりリフレクションする時間はとれません。事業が順調な組織に属していれば、いやでも経験を積み重ねることになるでしょう。したがって、経験を増やそうとするよりも、むしろ意識的に内側にこもって、じっくり内省することのほうが、経験学習においては重要なのかもしれません。
誤解(1)とにかく経験を積むことが大事
本質(1)リフレクションの時間を確保することが大事
誤解(2)PDCAサイクルのようなものである
デューイの経験学習の理論は、抽象的かつ難解でした。それをビジネスパーソンにとって馴染みがあるように定式化したのが、デイビッド・コルブ(1939-)です。コルブの経験学習のサイクルは、一度くらいは見かけたことがあるのではないでしょうか。
コルブの経験学習のサイクル
簡単にいえば、現場における「具体的経験」があったのちに、デューイが重視するように、その経験を精緻にリフレクションする「省察的観察」を経て、別の場面で応用可能な「抽象的概念」としての仮説を生成し、次の場面での「能動的実験」の計画を立てる。このサイクルの循環のなかで、経験学習は生起されるとしました。
しかしこのコルブの経験学習のサイクルは、広く普及している一方で、単なる「PDCAサイクルのようなものである」と誤解されているきらいがあります。正確にいえば、これは間違ってはいません。けれども、コルブの言いたかったことは「PDCAを回しましょう」ではなかったのではないかと、筆者は考えています。
コルブの整理の本質は、このサイクル図の背後にある「2つの軸」にあります。コルブは、デューイをはじめとする先人たちの学習性質を考察し、第一に、外側の環境に働きかけていく「活動的(Active)」というベクトルと、内側にこもって熟慮する「内省的(Reflective)」というベクトルの対立軸に整理しました。そして第二に、現場に直接的に紐づいた「具体的(Concrete)」というベクトルと、知の汎用性としての「抽象的(Abstract)」というベクトルの対立軸に整理しました。経験から学ぶためには、この相反する対立軸のすべてが重要であると考え、マトリクスの各象限に「適応」「発散」「同化」「収束」という「異なる学習スタイル」を配置したのです。さきほどの「具体的経験」「省察的観察」「抽象的概念」「能動的実験」の4つのステップは、それぞれの軸の方向を示しています。
コルブの学習のマトリクス
コルブは、「遺伝や環境の要因によって、学習スタイルには得意・不得意がある」ことを指摘しています。各象限の学習スタイルについて本記事では詳述しませんが、たとえば右上の「適応型」は、実行力が高く、計画やアイデアをとにかくやってみるのが得意なタイプです。他方で、左下の「同化型」は、観察と抽象化が得意で、理論を作り上げるのが得意なタイプです。当然、自分が得意な象限の逆象限は、苦手な傾向にあります。
経験学習のサイクルを回すためには、この「相反する学習スタイル」を統合させ、高度にバランスすることが必要です。自分の学習スタイルを理解し、苦手なスタイルを意識的に補完しないと、”PDCAを回す”ことは容易ではないのです。
誤解(2)PDCAサイクルのようなものである
本質(2)相反する複数の学習スタイルの統合が必要である
誤解(3)イノベーションとは無縁である
このような経験学習のサイクルは、日々の業務において「やってみる」「ふりかえる」「仮説を立てる」「試してみる」ことを繰り返していくうちに、「前に比べて、だんだんと上手に仕事ができるようになる」サイクルです。
イノベーションは「新結合」と訳される通り、今まで全くやったことのなかったことにトライしたり、新しい事業やアプローチを開発したりするレベルの「大きな変化」が必要です。現場の試行錯誤を通して技を「改善」していく経験学習サイクルを回していても、イノベーションのプロセスとは無縁のように思えます。
経営理論「両利きの経営」では、既存業務の改善を「知の深化」と呼び、実験を通した事業の拡張を「知の探索」と呼びました。コルブの経験学習のサイクルは、一見すると「知の深化」に位置づいているように思えます。
けれども、コルブの経験学習のマトリクスの本質を突き詰めていくと、実はこのモデルはまだ拡張可能性を残しています。その全貌を少しだけお見せすると、以下が、筆者が経験学習モデルを拡張させた「両利きの経験学習サイクル」です。
両利きの経験学習サイクル
このモデルは、経験学習の「回し方」に工夫を加えたもので、単なる「改善」のループから逸脱するサイクルを想定したものです。本記事では、理論拡張の可能性を示唆するにとどめ、また詳細は本連載の後半に解説したいと思います。
誤解(3)イノベーションとは無縁である
本質(3)経験学習は、イノベーションの基盤となりえる
本記事は、連載「組織学習の見取図」の第2回目の記事です。
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