イノベーションを起こすために、何が必要か?
このシンプルだけれど、歯応えのある問いは、これまでビジネス現場において、多くの実務家と研究者を魅了し、また同時に頭を悩ませ続けてきました。
この巨大な問いにうまく答えようとするためには「切り口」が肝心です。ある人は、その手がかりを「デザイン」に求め、別のある人は「アート」に求める。他にも「アイデア発想法」「技術のマネジメント」「組織文化」「人事戦略」など、さまざまなキーワードからイノベーションを紐解いた示唆に溢れる良書たちが、いまや書店の本棚を埋め尽くしています。しかしながら、具体的な切り口を定めれば定めるほど、どこか全体感を見失い、議論を矮小化してしまう側面があるのも事実です。もう少し広い目で、イノベーションという営みの全体性をとらえる必要がありそうです。
筆者は、その手がかりが「学習」というキーワードにあるのではないかと考えています。学習の本質とは、試行錯誤を通して、既存の知識や行動、考え方を「変化」させることです。組織において従業員が日々学びを積み重ねることは、大きな変革としてのイノベーションの必要条件になるからです。
ところが人間の学習の様相は、想像以上に複雑です。精緻な解像度でそれを捉え、戦略的に推進していくためには、一定の専門知が必要です。本連載「組織学習の見取図」では、文字通り、イノベーションの本質を解明するキーワードを「組織の学習」に置き、その理論的な見取図を描くことを目的としています。
第1回目となる本記事では、イノベーションと学習の関係性を紐解き、いま組織に求められる学習の戦略について概観していきましょう。
イノベーションの阻害要因の3階層
イノベーションという言葉は、かつては「技術革新」と訳されることもありましたが、現在では、経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが提唱した「新結合」という考え方がよく引用されます。一見関係ないように見える既存の知識と知識を結びつけることによって、新たな知識を生み出すことが、イノベーションの本質であることを指し示しています。
ここでいう「新結合」とは、「組織にとっての新結合」と「社会にとっての新結合」という2つの側面があります。前者は、組織にとって、それまで試したことのなかった新しい知識の組み合わせを試すという意味です。しかしながら、「組織にとっての新結合」が、世の中にとっても新奇な価値があるとは限りません。イノベーションは、組織にとって新しい試みであるだけでなく、社会に対して革新的な意味の変化をもたらし、大袈裟ですが“人類の進化”に貢献するものであるべきだと筆者は考えています。すなわちイノベーションとは、人間の本質に迫りながら、既存の方法をアップデートし続ける、探究そのものなのです。
小さな子どもを観察していると、「組織にとっての新結合」は、さほど難しくないことのように思えます。あるおもちゃの使い方の知識(A)と、別のおもちゃの使い方の知識(B)を組み合わせて、自分なりの新しい遊び(C)を発明する。子どもにとっては、毎日が「新結合」とも言えるでしょう。
ところが、なぜ成熟した大人が寄り集まった企業組織になると、「組織にとっての新結合」すら、とたんに難しくなってしまうのでしょうか。企業において、何がイノベーションの阻害要因となっているのでしょうか。この問いの背後にある要因は、実はとても複雑です。先行研究を概観すると、大きく3つのレイヤーの考え方があるように思います。
第一に、「個人」に原因を帰属させる考え方です。一人ひとりの従業員の創造性は、組織のイノベーションの源泉です。アイデア発想力の不足や、ひとつの専門性に凝り固まっているが故に、あるいは固定観念の枠に囚われてしまっている点に、原因を求める考え方です。
第二に、「チーム」にその原因があるとみなす考え方です。最近では、個人の力でイノベーションをどうこうするよりも、こちらの考えが主流になってきているように思います。心理学者のキース・ソーヤーは著書『凡才の集団は孤高の天才に勝る』において、個人が生み出したように思えるすぐれたアイデアも、実はチームのコラボレーションの中から生成されていることを指摘しています。チームメンバーの多様性が欠如していたり、チームメンバーの関係性が固着化し、互いのことをわかりあえない状態になったり、異なる考えが受け入れられなくなったりすることで、イノベーションが阻害されているケースは少なくありません。
第三に、もう少し大きく「組織」そのものに原因があるとする考え方もあります。組織全体の構造が戦略的にデザインされておらず、レポートラインが非効率的で、部署同士のシナジーが生まれず、組織全体のパフォーマンスが抑制されている場合もあるでしょう。また、そもそも組織風土があまりオープンでなく、ユーモアに欠け、失敗が許容されなければ、いくら個人の能力が優秀で、良いチームだったとしても、アイデアを思い切って提案する人は少ないでしょう。
図1 個人・チーム・組織レベルの要因
組織の「ルーティン」が変化を妨げる
個人、チーム、組織、どの視座で捉えるにしても、ある共通した要因があります。それは、「変化」が生まれにくくなっていることです。個人が固定観念に囚われているにせよ、チームの関係性が固着化しているにせよ、組織風土が提案を抑制しているにせよ、イノベーション(=新結合)を起こすためには、これまでとは違う視点から既存の知識を見つめ直す必要があるため、「変化」を生み出さなくてはなりません。個人、チーム、組織のそれぞれが「これまでのやり方」に縛られて「変化」しにくくなっていること。これが、イノベーションが生まれにくくなっている大きな原因であり、筆者が「学習」に着目している理由でもあります。
組織が捉われている「これまでのやり方」のことを、経営学では「ルーティン」と呼びます。ルーティンは必ずしも悪いものではありません。たとえばリクルート出身者に出会ったときに「リクルートらしい」と感じたことはありませんか? これはリクルートという会社が膨大なルーティンを保有しており、それが組織の基盤と風土を支えていて、一人ひとりの従業員に浸透しているからです。組織のルーティンは、日々の業務の質と効率を高め、組織が力強く前進していくための土台にもなっているのです。しかしそれがゆえに、変化の足かせにもなるのが、ルーティンなのです。
この組織のルーティンの変化のメカニズムを解き明かした研究群が、経営学における「組織学習(organizational learning)」と呼ばれる領域であり、本連載の主題となる考え方です。
イノベーションのための3つの学習戦略
なるほど、学習が大事なのか! と勇んで書店にでも出掛けたくなるところですが、とにかくたくさん本を読めば、組織のルーティンが変化するわけではありません。かといって、業務における試行錯誤量を増やしたり、新しい研修を導入したりすることも、必ずしもルーティンの変化につながるとは限りません。むしろ、かえって学習することで既存のルーティンを強化し、“変化しにくい組織”へと助長するリスクすらあります。
それならば、既存のルーティンをどんどん捨てて、全く新しいことにチャレンジし続ければよいか? といえば、そうとも限りません。闇雲なルーティンの入れ替えは、築き上げてきた組織の土台を脆くしてしまうほか、従業員の活動に“遠心力”が働き、組織がバラバラになるリスクを孕んでいます。
大事なことは、組織学習に「戦略」を持つことです。他のあらゆる学習機会と同様に、「学び方」が悪ければ、努力の成果は現れません。本連載では、以下の3つの学習戦略を提案します。
<イノベーションのための学習戦略>
(1)個人・チーム・組織・社会の階層をつなぐ
(2)知の深化・知の探索・知の保存のバランスを取る
(3)理論を通して現場の解像度を高める
戦略(1)個人・チーム・組織・社会の階層をつなぐ
第一に、個人レベルの学習と、チームレベルの学習と、組織レベルの学習を接続させていくことが肝要です。従業員一人ひとりが一生懸命学んでいても、チームの関係性やコミュニケーションに反映されなければ、大きな変化へとはつながらないからです。
個人の学びがチームの学びへと転換され、それが組織の学びにつながっていく。さらにいえば、イノベーションの成功とは、社会にとっての学習と言い換えてもよいかもしれません。今までにない「新結合」を組織が発見し、それを世に提案することで、市場や生活者もまた、新たな変化を遂げるからです。
個人の学習、チームの学習、組織の学習、社会の学習の4階層を有機的に接合させること。これが、イノベーションのための組織学習の重要な戦略の一つです。
図2 4階層の学習をつなぐ
戦略(2)深化・探索・保存のバランスを取る
第二に、それぞれの階層の学習において、バランスを取ることが重要です。
特に注力しなければならないのは、既存業務のやり方を改善し、スキルを熟達させる「知の深化」のための学習と、今までにないやり方で業務に取り組むことや、業務そのものを新たな内容に刷新する「知の探索」のための学習のバランスを取ることです。
前者は組織の土台をさらに強め、プロフェッショナル化していく学習です。後者は、当たり前だと思って依拠していた土台に揺さぶりをかけ、戦略的に素人化していく学習(アンラーニング)です。
- 知の深化のための学習 = 組織の土台をさらに強め、プロフェッショナル化していく学習
- 知の探索のための学習 = 当たり前だと思って依拠していた土台に揺さぶりをかけ、戦略的に素人化していく学習
そして「知の深化」と「知の探索」の2つの学習モードの両輪を回しながらも、そこから生み出された知識や新たなルーティンを組織に溜め込み、マネジメントしていく「知の保存」も必要不可欠です。
以上の「知の深化」「知の探索」「知の保存」をバランスよく循環させていくことが、二つ目の重要な学習戦略です。
図3 組織学習の循環
戦略(3)理論を通して現場の解像度を高める
組織学習の面白くもあり厄介なところは、きわめて「現場の持論」によって議論がなされやすいところです。それゆえに、「新人研修は厳しいほうが効果的」「達成予想7割の高めの目標設定が良い」など、さまざまなバイアスが蔓延っています。
組織学習の研究は、この数十年で強い関心を集め、膨大な研究がリアルタイムで蓄積されている領域です。まだ若く、議論が大雑把なところもありますが、王道学習論(教育学、学習科学、認知科学)までそのスコープを広げれば、現場の持論を超える重厚な理論群が存在します。
それらを概観すると、人間の学習を行動の変化と捉える立場、知識の変化と捉える立場、コミュニティにおけるアイデンティティの変容として捉える立場、活動システムそのものを作り変えることと捉える立場など、さまざまです。
人間は極めて複雑な生き物であり、それゆえ組織はそれ以上に複雑です。これらの学習理論を通して現場を眺めることで、学習の捉え方の解像度は一気に高くなります。何が起きているかが見えなければ、それを積極的に推進していくことはできません。
理論を持つことで、組織学習のメカニズムを精緻に把握し、意図的にファシリテートできるようになること。これが、最後の学習戦略です。
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本連載「組織学習の見取図」では、組織学習の基本プロセスである「知の深化」「知の探索」「知の保存」の枠組みにしたがって、それらのプロセスを構成する具体的な学習理論について解説していきます。たとえば、以下のような内容を企画しています。
・経験学習理論の誤解と本質
・エキスパートの技の構造の認知科学
・プロフェッショナルになる学習の軌道
・知の探索の”三度跳び”理論とは
・ケイパビリティと目標設定の関係性
・問いを起点に探索する拡張的学習モデル
・組織の記憶のマネジメント
・暗黙知の言語化の継承のプロセス
・組織学習の統合モデルの提案
組織学習の理論地図を描く航海の旅を、共に楽しみましょう。