建築、ランドスケープデザイン、都市計画を軸とした建築系大学院である「ハーバード大学デザイン大学院」。同校の「リスク&レジリエンス」専攻に進学した山下彩香さんは、2012年からフィリピンのカリンガにて、竹楽器を媒体として文化の活性化や保存に取り組むEDAYAというプロジェクトを推進してきました。その実践は「建築を形づくる思考のプロセス」とも近いことから、ハーバード大学デザイン大学院に進学したと山下さんは語ります。そんな山下さんが学んだ、「空間デザイン」の視点から気候変動や難民問題に対峙するためのアプローチとは?
ハーバード大学デザイン大学院(Harvard Graduate School of Design。以下、GSD)での学びを端的にまとめると、目の前に事実として立ち現れてきたもの、あるいは提示されたものを、本当にその「事実」しか存在しないのか?それだけなのか?と、違う見方をしてみるための発想と手法を学び、その違う見方がなぜ必要なのかを改めて考える機会をもらったことだ。
留学前からやってきたことも、そういった様々なパースペクティブをどのようにストーリーとして伝え、どう世の中に問いかけていくのか、ということではあったのだが、GSDでの2年間は圧倒的な質と量の知識のインプットし、スピード感あるプロトタイピングを繰り返し、これまでのバージョンの自分を丸ごとアップグレードするような時間だった。
また、GSDにたどり着くまでの自分の歩みを整理し、包括的にその背後にある思考を言語化することも、アジェンダのひとつだった。
「建築を形づくる思考のプロセス」を学ぶ
留学準備でSoP(Statement of Purpose、志望動機書)を作成するにあたり、様々な分野に跨がる自分が行ってきたこと、大学院で学びたいこと、その後やりたいことに、ひとつの軸を通して説明するために、まずは分野横断型の文献をあたっていった。そして驚くほど、建築のバックグラウンドを持つ著者の意見に共感することが多いことに気がついた。
構造や材料、意匠などの総合芸術として物理的な空間を出現させる「建物」というものは、取捨選択のプロセスを経て、ひとつのストーリに落とし込んでいく過程に似ているからだ。この思いに至った時、これまで全く考えたこともなかった建築系大学院という選択肢が私の出願先の候補として浮上してきた。
この時点では、ハーバードのデザインスクールが、建築、ランドスケープデザイン、都市計画を軸とした建築系大学院であることも知らないくらい、私は門外漢だった。当時、社会起業家の方々と交流することが多かった私にとって、デザインスクールといえばイノベーションやデザイン思考に重きを置いたスタンフォードd.schoolやイリノイ工科大学などがパッと頭に浮かんでくる学校で、GSDにおけるデザイナーが、いわゆる建築家やランドスケープアーキテクトであることは調べる中で知ったことだ。
なお、2016年にGSDにも一番新しい学位として、エンジニアリングの大学院との合同の学位Master in Design Enginerringができており、こちらがイノベーションやサービスデザイン、デザイン思考に近しい学びの場となっている。
こうして私は受験する大学院の7割を建築にし、残りを都市計画に決めた。なお、デザイン学は、建築の学位Master in Architectureを調べるなかでたまたま知った学問分野で、当初は出願すら念頭になかった。
2018年にGSDのオープンハウスを訪れたのだが、日程の関係もあり、デザイン学の説明会ではなく建築/ランドスケープデザイン/都市計画の合同説明会に参加した。そこで勇気を出して、オフィスアワーにサインアップしたのがランドスケープデザインの先生で、そもそもよく知らなかったデザイン学のなかでも「リスク & レジリエンス」という分野を彼が勧めてくれたのだった。その時の先生が数年後、私の修論の指導教官になるのだから、本当に巡り合わせとはあるものなのだと思う。
なお、ほぼ建築を目指して受験をしたにも関わらず、最終的には、建築系の大学院の中にあるデザイン学に進学を決めた。合格発表から進学先の決定までの約2ヶ月間、悩みに悩んだが、私が興味があるのは建築を形づくる思考のプロセスであり、建物そのものではないことを改めて自覚したのが大きかった。
GSDのデザイン学の特徴
GSDのデザイン学の学位はPost-Professional Degreeと明記されているように、基本は、建築、ランドスケープあるいは都市計画の学位をすでに持っている人が、さらに知識をさまざまな分野に応用させていくためにつくられている。コースワークを通して自分の興味を深掘りしていくことが重要視されており、学びの設計の自由度の大きさが特徴だ。スタジオがなく、各学期1-2コマの必修を除いて自分が興味のある授業をデザインスクールやハーバードの他のスクール、そしてMITなどから選択できる。
なお、私のように建築、ランドスケープあるいは都市計画の学位を持たない人は少数派だった。受け入れてもらえた理由としては、すでに修士をひとつ持っていたこと、やりたいことが明確だったこと、そしてその目的が、広義には社会までも含めた空間/環境の設計に関わることだったという点があるように思う。
デザイン学が扱う領域は幅広く、GSDのデザイン学では、建築、ランドスケープ、 都市計画を基軸として、社会に応用可能なあらゆる分野を扱っている印象だ。私の時は、アート、文化、エネルギー、哲学とメディア、不動産、テクノロジー、エコロジー、そしてリスク & レジリエンスという8つの領域から選ぶことができた(なお、2021年度入学から、デザイン学は4つの専攻、Ecologies, Narratives, Publics, Mediumに再編されているので、詳しくはGSD公式サイトを参照されたい)。
(写真左)大学院入学初日に撮影。校舎の様子。(写真右)新入生オリエンテーションの様子。
少数民族や難民などの社会的弱者が対峙するリスク
「リスク & レジリエンス」専攻の関心領域は、社会のシステムや価値観、人命を危機に晒すような自然災害や人為的災害、社会変革などに対して、広義での空間デザインを設計し、提案することだと私は理解している。気候変動から難民問題に至るまでのさまざまな環境的・社会的危機に対して、一般的に想定されているリスクを異なる視点からとらえ直し、問題そのものを再定義する。
私は、少数民族や難民などの社会的弱者とされる人々が対峙する環境的・社会的危機について、問題の啓発や解決のための創造的アプローチを考えることに関心を持ち、授業もこうした自分の興味に沿ってカスタマイズした。最初の1年は、主にGSDの環境に慣れること、必修科目をとり終えること、上記の創造的アプローチを開発するヒントになるような発想法やツールを学ぶことを目的として授業を選択した。
まず、The Idea of Environment (GSD/ 必修)、Theories for Practices in Conflict, Crisis, and Recovery (GSD/必修)、Culture, Conservation and Design (GSD)といったクラスでは、「デザイン」「リスク」「レジリエンス」「文化」といった基本概念に関係するセオリーを学んだ。カント、ヘーゲル、マルクス、ハイデガー、サルトル、フーコーといった哲学者たちや、ポスト構造主義、ポストモダン、ネオリベラリズムなど近現代の哲学や経済をここまでしっかり学ぶことになるとは予想外だったが、セオリーに強いといわれるGSDならではの授業展開で、建築や空間という表象の背景にある思想に関心のある私はワクワクしっぱなしだった。
そして、それらセオリーが説明する、あるいは疑問を呈する、前提としての社会構造や力関係を洗い出し、表象あるいは表現するための方法論──例えば、フィールドワークやファブリケーション、地図づくりやストーリーづくり──を学ぶために、Material Systems: Digital Design and Fabrication (GSD)、Mapping: Geographic Representation and Speculation (GSD/ 選択必修)、Interdisciplinary Art and Design Practices (GSD)、Design Anthropology: Objects, Landscapes, Cities (GSD with Harvard FAS/ 選択必修) といったクラスを受講した。
印象に残った授業としては、Mappingのクラスを挙げたい。地図を「主観や権力構造、既成概念によって操作された空間の記述である」と批判的に捉えることからはじめ、その前提を理解した上で、あえて自分たちなりの分析と解釈で地図を描くことの意味を考えさせられた。
例えば、ボストンの地図を「都市のリズム」をテーマとして創作する課題では、過去6年間の受講生がボストンを歩いて得た行動記録(GPS&記述)のデータを分析し、グループごとに地図を表象する媒体を選び、地図の模型をつくることが課せられた。
(写真左)私たちのチームがつくった地図。毛糸を編んで模型を制作した。(写真右)講評会の様子。
オンライン授業ゆえの「学外」での実践
2年目は、空間を表象・表現する方法論を、Big Data, Visualization, and Society (MIT)、Landscape Representation (GSD)、Wanderings in Psychogeography: Exploring Landscapes of History, Biography, Memory, Culture, Nature, Poetry, Surreality, Fantasy, and Madness (MIT)といったクラスで学んでいった。
特に、感覚を用いて空間を把握する手法に興味をもち、中でも音を媒介とした方法論に関心を抱いたことから、Cartographic Audition (GSD)、Soundscape Composition and Social Justice (Harvard FAS)といった授業を受講した。加えて、修論で難民問題を扱うにあたり、Migration and Human Rights (Harvard Kennedy School)やColonial Encounters, Postcolonial encounters (Harvard FAS) といった、他学部の授業のクロスレジスターにも挑戦した。
ちなみに、Covid-19の影響で1年目の後半からオンライン授業となったこともあり、私はボストンから離れ、最終的にプリマスに3ヶ月、そして、マサチューセッツ州第2の都市ウースターで1年間を過ごした。
ウースターに移り住んだのは、Harvard GSD Community Service Fellowとして、難民を工芸を通して支援する団体Refugee Artisans of Worcester(RAW)に関わることとなったのがきっかけだ。ルワンダ難民でAgasekeというカゴをつくるPatriciaの話を、孫で高校生のSaidatiが10ヶ月に渡り取材し初めてのドキュメンタリー制作に携わるというショートフィルムのプロジェクトDear Grandmother, ( Your Basket, Voice, and Home; the story of a Rwandan refugee in Worcester, Massachusetts) のディレクションを行った。
最終的にはそのプロセスも含めて、GSDのギャラリーで発表をすることができた。作品はGSDのパブリックプロジェクションの参加作品にも選ばれた。加えて、修論のフィールドワークもウースターのブータン難民のコミュニティで行った。
Black Lives Matter、パンデミック、アメリカ大統領選がある激動の1年だったが、振り返ると、アメリカ人のご家庭にホームステイさせてもらっていたこともあり、またフィールドに住むことができたのもあり、ほぼ3分の2の大学院生活をキャンパス外で過ごしたが、いわゆる一般的なアメリカの都市や家庭を体験した、かけがえのない経験となった。
(写真左)Dear GrandmotherのGSDでのパブリックプロジェクションに映像の主人公の2人を連れていった時の写真。(写真右)様々な国からの難民の工芸家で構成されるRAWのメンバーとの写真。壁面への工芸作品の展示も私が担当した。
社会統合のためのサウンドスケープを構築する
Master in Design Studiesにはコースワークのみの1年半のトラックと修論を加えた2年のトラックがあり、修論を行う場合は1年目の終わりまでに決め、指導教官を確定する必要がある。私は、デザイン人類学の授業で出会った「Critical Landscapes Design Lab」を率いるGareth Doherty先生にお願いした。
テーマについては、リスク&レジリエンスへの創造的アプローチを、感覚を通した空間デザインやフィールドワークを掛け合わせた実験的な形で追求するという大枠は念頭にあったものの、具体的には、アメリカの一般家庭での暮らしや、RAWの活動を通してさまざまな難民のコミュニティと関わるなかで徐々に決めていった。
最終的には、難民の再定住先における社会的孤立の問題に着目し、「Composing Soundscapes for Social Integration: Psychogeography of Bhutanese refugee elders in Worcester, Massachusetts (直訳: 社会統合のためのサウンドスケープの構築 ーマサチューセッツ州ウースター市のブータン難民のお年寄りの心理地理)」というタイトルで修論を書いた。
ネイバーフッドの空間を共有しているにも関わらず、ホストコミュニティが難民に対して無関心であることが問題だという立場で、ブータン難民の生活圏のサウンドスケープを作成し、それを公共空間で共有することで、よりインターカルチュラルな都市空間をつくるための提案に仕上げた。対象としたブータン難民は、1990年代初頭の民族浄化によりブータン南部を追われ、ネパール東部の難民キャンプで20年近くを過ごしたあと、第三国定住のプログラムによりアメリカにたどり着いた人々である。
まず、難民にとっての再定住先の場の認識を、サウンドスケープとして構築した。難民が再定住した場所にどのような意味づけをしているのか、難民の暮らしをフィールドワークを通して理解し、ふるまいの音を集めた。
そして、音は時間の境界を越えることができるという考え、具体的には過去の記憶の中の音も現在に復元できるのではないかという仮定のもと、集めてきた生活空間の音を再編集することで難民の強制移住の経験を表象することを試みた。
次に、つくったサウンドスケープを公共空間にインストールし、音が空間にどのような変化をもたらすかの考察を行った。音の面白さは、空間の境界も容易に超えることだが、どんな音をインストールするかによって空間の質までもを変える可能性がある点で、都市デザインの強力なツールなのだ。
(写真左)ふるまいの音を集めた場所のイメージ図。(写真右)サウンドスケープを社会統合のためのツールとして捉えるために構築したフレームワーク。
そして卒業の際には、Dear Grandmotherなどの課外活動も含め、とても光栄なことに私の2年間のGSDジャーニーをハーバードの公式メディア The Harvard Gazetteに掲載していただいた。その記事もみていただけたら嬉しい。
感覚を通した空間デザイン、フィールドワーク、国際開発
このようにGSDでは授業や修論を通して、人々が環境的・社会的危機に関して議論する、あるいは現在の行動を見直すためのきっかけを提供するために、人々を取り巻く空間を、例えば音、色、匂いや手触りなどの感覚を用いて把握し、それを再びさまざまな媒体を使った感覚的なストーリーや体験でコミュニケーションすることを実践した。
ただこれらのことは、留学でいちから学んで初めて取り組んだというよりは、これまでやってきたことをベースとしている。
フィールドワークの重要性は、約10年前、私が東京大学農学部の国際開発農学の学生だった頃に教わった。携わったのは、アジアの農村の作物の生産性を上げるためのモニタリング技術の開発につながる研究で、フィールドワークの基本的作法とフィールドを科学的に見る目を養った。
その後に進学した人類生態学の研究室では、フィリピン北部の小規模金採掘者の生存戦略を洗い出すことに取り組み、科学的なデータだけでなく、社会や経済の人文的なデータも加味し、研究地の社会問題を重層的に把握する姿勢を学んだ。そして、その後もさまざまな国際開発案件の調査に関わり、空間を量的そして質的両方のアプローチから、客観的に把握し評価するための知見を積み上げていった。
デザインやアートの世界との関わりは、物の配置や色の構成へのこだわりが強かった小さい頃の興味が、学生時代の劇団での衣装づくりにつながり、さらに演劇という総合芸術との出会いに繋がったところからだ。演劇は「作品を通して社会へ問いかけること」が可能なことを私に教えてくれた。
2012年に立ち上げたEDAYAの活動では、修士の研究地でもあったフィリピン北部の町バギオで、現地の少数民族出身の竹工芸家と共に、竹楽器を問いかけの起点として、現地の人々自身が変わりゆく暮らしを再考するきっかけを提案してきた。竹が奏でる音をつなげることは、竹が育つ自然環境や、竹楽器製作の伝統を支える社会環境といった、人と自然が交差する空間をデザインし、その豊かさを次世代や外の世界とコミュニケーションすることなのだ。
こうして約10年間、現場で培ってきた「感覚を通した空間デザイン、フィールドワーク、国際開発」の体験知は、GSDで学んだセオリーによって整理され、GSDで獲得したツールによってステップアップした次元で、よりよい世界へ向けて道を切り拓くことへとつながった。
ここからの10年は、GSDを経て再認識したこの3つの自分の軸への知見をさらに深め、それらを融合した学際的なアプローチができるデザイナーかつ、抽象と具体、文系と理系、ビジョナリーと戦略、感性と理論の間を自在に行き来してニュアンスを紡ぎ、異なるセクターや分野のオーディエンスとコミュニケーションできるファシリテーターとして、リサーチと実践の両輪で活動をしていくことができたらと考えている。
(写真左)扱う媒体はジュエリーからインスタレーション、演劇、本、教育マニュアルまで幅広く、展覧会やワークショップ、フェスティバル、授業の一環などコミュニケーションの形態はさまざま。竹楽器のミニチュアをパーツに用いたジュエリー。(写真右)2019年にバギオの高校生を対象に実施した竹をテーマとした演劇の様子。
トランスディシプリナリーなデザイナーかつファシリテーターとして歩む
とはいえ、上記で説明したようなトランスディシプリナリーなデザイナーかつファシリテーターとしての立ち位置は、あまり前例があるわけでもなく、そのジャーニーはまだ始まったばかりだ。今取り組んでいることの一部を紹介することで、少しは具体化されるだろうか。
まず、修論の指導教官が展開するCritical Landscapes Design Labのリサーチアシスタントとして、2つのプロジェクトに関わっている。ひとつは、持続可能かつ気候変動にレジリエントな都市づくりに向けて、ナイジェリアのラゴスを対象として「都市の色を通して新たな視点を提供する」スペキュラティブなビジュアル制作を行っている。
客観的把握では限界のある空間の色の認識について、都市を経験する人々の主観的な認識を組み込むための方法論を、フィールドワークのやり方自体をクリエイティブに行うことで考えるなど、とても面白い。
もうひとつのプロジェクトでは、昼とは異なる表情の都会の夜のランドスケープについての詩的で抽象的なデザイン分析を、気候変動の解決へのひとつの方法論として、科学者や政策立案者にも伝わる提案として編集することを担当している。
デザイナーの視点をその他の分野へ生かすという立ち位置では、ハーバードの友人3人とBORI Design Collectiveというデザイン集団を準備中だ。修論が同じラボだった韓国人の建築家と、彼の友人の日韓の歴史の専門家、台湾人のランドスケープアーキテクトと私がメンバーだ。ここではデザインのプロセスやアウトプットを、対象コミュニティと共有するための方法論の構築することが私に期待されている。最初のプロジェクトでは、韓国と日本の海女をテーマに、デザイン×エコロジー×文化人類学の切り口からアプローチしていく。
逆に、国際開発の文脈からデザインの視点を取り入れることでは、UNESCOが開発したFutures Literacy(問題の解決に未来的思考を取り入れる能力)の手法を取り入れた、UNDPPAとUNESCO主催の“Futuring peace in Northeast Asia” というワークショップに、ファシリテーター兼スペキュラティブデザイナーとして参加している。
これは問題の解決を、空間というよりは仕組みのデザインを通して図るという意味でサービスデザイン寄りであるものの、未来をデザインしたものをいまに生かすべく、ビジョナリーと戦略、感性と理論の間を行き来するタスクであり、やりがいがある。
最後に、ライフワークとして取り組みたいEDAYAの一大プロジェクト「EDAYA Indigenous Crafts and Design School」を紹介したい。目標は、様々な伝統や地域の知恵が行き交い、自然や文化そして社会への気づきを育む創造的で実験的で共創的な空間から、さまざまなバイナリーを大胆に横断し、学際的なアプローチでよりより世界をつくることに貢献できるような未来のデザイナーを育てること。GSDでの学びはもちろんのこと、私の全てをできる限りシェアしていきたい。
日本では、令和3年度より、 中学校道徳教科書 「新訂 新しい道徳」(東京書籍)の「持続可能な社会を目指す」の項目「多様性の尊重」の中の1章分で、EDAYAでの私の活動が取り上げられている。心からの感謝とともに、本記事で描いた「感覚を通した空間デザイン、フィールドワーク、国際開発」をキーワードとしてトランスディシプリナリーなデザイナーかつファシリテーターとして歩む私の軌跡も、きっと誰かのインスピレーションとなること願いつつ、私自身もこれからも頑張っていこうと思う。
著者プロフィール:
山下彩香|AYAKA YAMASHITA
トランスディシプリナリーデザイナー/ファシリテーター。ハーバード大学デザイン大学院デザイン学を2021年5月に修了。フルブライト 奨学生。現在はボストンを拠点に、同大学院Critical Landscapes Design Labのリサーチに携わるほか、リモートでアジア、アフリカ、およびそのディアスポラのためのさまざまなプロジェクトに取り組んでいる。竹を媒体とした、デザイン/アート、教育、コミュニティ開発の融合プロジェクトを展開するEDAYAの共同創業者。令和3年度 中学校道徳教科書 「新訂 新しい道徳」(東京書籍)に掲載されている。ザルツブルグ・グローバルセミナー Cultural Innovator。ChangemakerXchange 2021-2022年度戦略グループメンバー。東京大学農学部国際開発農学専修(2010年卒)、東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻修士課程(2012年卒)を修了。