新連載「世界のデザインスクール紀行」が始まります。その初回を担当するのは、アールト大学のデザイン修士課程を卒業したばかりの川地真史さん。自らの特権性に自覚的になること、デザイナーのもつ権力と求められる倫理観、デザイナーである前に人間であり、生物であること。川地さんの言葉からは、これからのデザイナーが持つべき態度が見えてきます。
2年通ったアールト大学のデザイン修士課程を卒業しました。準備期間を含めて3年がかり、人生の中でも一大プロジェクトでした。デザインスクールで何を学んだのか?というより、この2年はどんな変化をもたらしたのか?という視点で、ぼくが触れてきた世界を感じてもらい、知を耕していく一助となれば嬉しい限りです。
デザインへの希望を失い、日本を脱出する
デザイン業界から、日本から、逃げたかった。これが、この2年にわたる旅の出発点です。その始まりは自らの実践が信じられなくなったことにあります。ユーザーのためにと免罪符をかかげ、消費者の欲望を満足/増幅させているだけではないか。ビジネス上の数字に貢献しているだけではないか。便利や使いやすさを面目に人間の可能性・自律性を毀損していないか、と感じていました。未来の豊かさにつながるデザインとは?豊かさとは?という問いに向き合っていた当時、問いと実践の溝は否めませんでした。
デザインの可能性に驚愕して、独学からデザイナーになる覚悟を決めた学生時代ほど、デザインを信じられなくなっていました。ふと自分のいた業界を見渡したときに、資本主義に飲み込まれていることを痛感し、ひいては日本社会の問題かもしれない、と感じました。ということで「ここから出なきゃ飲み込まれそうだ、逃げよう」が留学のはじまりです。
なので、留学して何を学びたいか以上にどの社会に身を置くのか、はとても重要でした。結果、北欧には縁もあり、フィンランドへ。女性首相の誕生は話題になりましたが、貧困家庭からでも政治家になれる希望や平等性、個人の尊重、民主的な風土、教育・未来への投資、そうした社会に身を置くのは面白そうだ、と思いました。また、デザインに希望を失っていた当時、イギリスのPolicy Labやヘルシンキ市のChief Design Officerの雇用を知り、行政や公共セクターにデザイナーが貢献する世界は、一つのユートピアに見えたのかもしれません。
共存関係のなかでの自由と豊かさを実現するべく「参加・協働のデザイン」を学ぶ
何を学びたかったというと、参加・協働のデザインを対象にしていました。先述した「未来の豊かさ」を考えたときに、日本では個々人が自らの内に芯や灯をもつこと、かつ他者の望ましさを認め、共に在ることができる状態、つまり共存関係の中での自由。これがないと集合的な豊かさを描けないと思ったからです。なので商品やサービスのためではなく、参加・協働の過程の中で、人々の主体が問い/つくり直される契機としてのデザインを考えたかったのです。アールト大学では、自治体や政府とのデザインプロジェクトや、協働性を柱にした授業もあり、CoID(Collaborative and Industrial Design)という学部に決めました。
アールト大学はフィンランド政府のイノベーション政策の一貫として、2010年にビジネス・エンジニアリング・アート/デザインの3つの大学が統合されてできた、学際的な研究や教育に力を入れている教育・研究機関です。国のイノベーションを牽引する役割を担うため、政府や民間企業との協働および人材の流動も盛んに見受けられます。
2020年には戦略やミッションを刷新し、「Shaping a sustainable future」を掲げ、持続可能な未来に向けた知の創出へ取り組んでいます。のちに知りましたがアールト大学に流れるデザインの源流を辿ると『生きのびるためのデザイン』で知られるデザイナー、ヴィクター・パパネックや、20世紀を代表する思想家、バックミンスター・フラーまで関わっており、彼らの大きな思想にも影響されました。
身を置いてみると、アールト大学自体、次の10年の戦略を学生やスタッフ、教授がともに考えていく、学部のプログラム全体の設計に学生が声を挙げられる、授業の丁重なフィードバック機会など、非常に民主的に運営されているのに驚きました。大学の外では市場の改装を地元の常連、観光客と市場内の店舗の主人が共に新しいあり方を考えたり、公共の図書館を市民がつくっていったり、大小様々な事例にふれました。
そうした環境で、何を学びとったのか。授業では、ヘルシンキ市におけるデザイン活用を前CDOや公務員デザイナーにインタビュー・分析したり、市の芸術文化局と共に若者が市の芸術活動に参加できる仕組みを考えたり、地域の持続可能な2050年のビジョンを描いたり、家族の権力関係を切り口にして子どもが親を選べる批評的な物語世界をつくったり、公共空間は人間だけのものか?と問いかけるAR都市ゲームを構想したり、幅広いプロジェクトを行いました。
ただ、具体的にこのスキルが身につきました!これができるようになりました!という学びはあまり印象に残っていません。アールト大学での学びに加え、フィンランドに住んだ2年は、視座や思考様式、生きる上でのまなざし、自分なりのデザインとの付き合い方、そういう類の変化をもたらしました。重要なのはデザイン以前に、人間としてどういう姿勢で生きるのか。それに尽きます。
批評的な想像力と省察力が、責任と社会の再想像へつながる
“私たちって、とても特権的だよね。朝からおしゃれなカフェで打ち合わせしながら、良い大学で好きなこと学んでさ”
これは授業のプロジェクト課題の打ち合わせをしていたときの友人の一言です。この一言が衝撃でした。1年間受験に備え、相応の授業料も貯金からはたき、ここで学ぶことは当然の権利だと思っていました。どれだけ自分が恵まれているのかに思いを馳せることもありませんでした。なので、この言葉でとても恥ずかしくなり、傲慢な自分に気付きました。
この出来事は、自分が人間としてどれだけの力を持ちうるのか、どれだけ他者と異なり、どう他者や世の中に向き合うのか、それを内省するきっかけになりました。そしてデザインの態度にも、生きる態度にも、大きな影響を与えました。
大学院では参加型デザインとクリティカルデザイン、未来学といった領域にまたがる授業を取り、研究していました。Design as Critical Practiceという授業は自身の実践への批評・領域としてのデザインへの批評・現代社会への批評という3つのレイヤーで構成され、特に自らの実践に関連し「あなたはどんな権力や特権性を持っているのか?」という問いが投げかけられ、「抑圧を表現するシーン」を演劇的につくるワークなど行いました。特権や権力という言葉になじみはないかもしれませんが、もしあなたがシスジェンダーであったり(生まれたときに割り当てられた性と自覚している性が一致している)、大学で学びを修めていたり、五体が満足に動いたり、毎日3食好きなものを食べらていたりするるなら、それは既に一定の特権や権力の源を持っていると言えます。
同様に、参加型デザインの核心とは、権力性・政治性にあります。特定の状況に関わるアクター間の権力関係(誰がどの程度状況に影響できるのか)を読み解き、声なきものへ行為主体として夢や想いを発露できるよう足場をかけ、全体の社会関係を結び変えていくこと。その関係性を通して未来への可能性が生まれるような状態へ投げかけていくこと、それが参加型デザインの根底にあります。こうした権力性に関連し、あるプロジェクトでは2050年のありえない未来を1枚絵として描き、そこに埋め込まれた価値観やその対立を議論し、修士研究では想像上の未来でも人に影響を与えるために、デザインの専門性をもたない市民が“誰かに作られた未来”ではなく、自ら起こりうる未来を思索し、創作と対話を通して望ましさを再考するための手法を研究しました。
参加者が作成した、孤独死およびロボットによる人間関係の変化を描いた物語上の道具
これらの学びは、“誰”がどういう“価値観”に基づいてデザインするのか、という問いをぼくに突きつけました。デザイニングという営みを超単純化し、1.複数ある現実をどう解釈するか、2.それを元にどんな可能世界を構想するか、3.そこから何を選択するか、4.最後に、どう介入するか、とまとめてます。この全てが、デザインする者の特定の立場、力性、イデオロギーなどに基づきます。
デザイニングと政治性の構造
結果として、デザインは常に新たな秩序をひらく可能性を生み出す一方、今ある社会的秩序の(再)生産を行うのです。力は、かんたんに抑圧に転じます。例えば、アプリの登録画面に性別のチェックボックスを設けるとします。そこで男性・女性と2択で提示することは、世の中を男/女で二分し、本来は数あるグラデーションである性を抑圧する既存の枠組みを維持・強化することになります。それは、自身の立場や力の無自覚から起こる問題です。
この意味で批評的であること、内省的であることは、デザイナーにとって社会的な責任を全うし、異なる世界を再想像する可能性を開くために不可欠なまなざしです。そのためには思考のツールも必要です。授業ではマルクス、ミシェル・フーコー、カレン・バラッド、シャンタル・ムフ、ロールズやミルなど多分野の学者と論を取り上げ、倫理や政治的観点からデザインや未来のあり方、善さにまつわる議論を重ねました。フラーが“デザイナーとは、芸術家・発明家・機械工・経済学者・戦略家を統合して現れる存在だ”と述べるように、分野としての「デザイン」に閉じていては今の社会を見通せない、というよりこうした包括的な視座が本来デザインに求められるものでしょう。
デザイナーである前に人間であり、生物であること
さらにこの批評的な想像力は、デザイン以前にどういう態度で生きるのか?をぼくに突き付けました。冒頭に戻ると、ぼくがアールトで学べていたことは特権です。でも前述のような「自分が努力して勝ち得た」直線的な結果ではなくて半分以上「たまたまなのだ」と、友人との会話から考えさせられました。偶然ヘルシンキにCDOがいることを知ったから、偶然それまでに貯金できていたから、偶然あの会社で働いていたから、等どれひとつ欠けてもアールトで学んだぼくはいなかったかもしれない。それは自分の意思を超えた、あらゆるご縁と偶然からなる授かりものです。
授業で「現行のプロジェクトを行うのに必要/関連するものをすべて書き出す」という別のワークを行いました。よく考えるために紙とペンが必要です。1冊のノートにはそもそも木が必要です。そのためには土壌が必要で……プロジェクト以前に生活するのにお金が必要だし時間も管理しないといけない、でもそもそもお金がまわる仕組みを整えたり、カレンダーを発明した過去の人々の存在たちも関連するかも……と発想が飛んでいきました。プロジェクトひとつ取っても、「イマ、ココ、ワタシ」以上の多くのもののおかげで成り立っているのです。
川地 真史 | Masafumi Kawachi on Twitter:
以前、今のプロジェクトに必要/関連するものを書き出すという実験で、ノートから素材である木に派生したり、お金も必要だ、じゃあお金を発明した祖先=死者もいるな、みたいに繋がりを書き出して何の上に今が成り立つか身近さを出発点に実感するという。もっと身体化が必要だけど面白かった
合わせてフィンランドに住む中で考えさせられたことは、自然と人のあいだです。ウイルスの背後にあるテーマでもありますが、環境危機への懸念が非常に高まっています。特にフィンランドは国土の65%が森、都市部に住んでも10分電車に乗れば森に分けいるし、冬が長く厳しく夏も短い国。ゆえに、冬の静けさ、夏の太陽の恵みのありがたさ、森から感じる移ろい、苔やリスや鹿などとの交感。それらを通じて自然と共に生き、生かされ、溶け合っている感覚を得やすい生活環境だと感じます。
家のまわりの森
“環境危機は、第三次世界大戦が起こるのに匹敵するくらいの恐怖を感じているの”
これは、あるイベントで話していたフィンランド市民のことばです。上記のような経験が身体に流れ込んだ上で、生々しい危機感のもとで環境危機や持続可能性の言説に多々触れたので、影響を受けないわけにはいきません。
参加型デザインの分野でも、より多様な行為主体ー死者、霊、他種、自然存在、未来世代などーとの協働・参加は重要テーマになっています。前述のように権力関係や民主的思想が核心ですが、現代の人間のためのデザインが自然や未来の人々に影響するにも関わらず、彼らは声をもたないからです。自然の贈与で生かされているにもかかわらず、これらの問題に向き合ってこなかった結果が、環境危機です。
まとめると自分の特権性や今の立場に自覚的になったことで、その偶然性=つまり他者や天からの贈与に気付けたのは大きな想像力をもたらしました。ぼくはデザイナーである前に、人間であり、人間である前に生物です。デザイナーであるぼくは、以前働いていた会社の仲間や尊敬する師匠や友人から影響され、問いを授かってフィンランドで学んでいます。それ以前に人間であるぼくは、不自由なく育ててくれた親や先人からのたくさんの贈与で成り立っています。さらに、生物であるぼくは、日々の食物や水や空気や太陽を、自然界から恵みを受けています。しかし恩を忘れ、ぼくたちは未来に生きるであろう子々孫々からも、木々や大地や他の生物からも貪欲に資源を奪い生きている。ここまで立ち返った上で、人間としてどう生きるのか、受けた贈与に対してどうお返ししていくのか、初めてそう考えられるようになりました。
これからの問いと、実践のかたち
デザインに絶望したけれど、人々・自然との関わり合いや学問を通じて、人間のあり方の問題なのだ、と思い至りました。デザイナーは社会を、世界を、変えようと言います。でも、デザインとは「人間がどうあり得るか?」を実践を通じて思索する哲学だとも感じます。ぼくたちはデザインされた世界に住んでいて、その世界がぼくたちをデザインするからです。
ぼくがそれまで考えていた豊かさや自由は、現代の社会の人間の利に閉じた考えでした。でも、あらゆる贈与に気づいた今では、「イマ、ココ、ワタシ」とどう折り合いをつけ、閉じた人間観を更新し、豊かさを問い直すのか。それを考えねば先に進めないと感じています。遥かなる100年先の未来にかけて世界がきちんと回り続けるために、どんな人間性や欲望が必要なのかを考え育んでいく。それが今後の実践のベースにあります。これに根ざして考えれば、UXデザインといっても、「アプリの体験」ではなく「必要な人間性を涵養する体験」のための可能性をつくることを通じて、まだ見ぬ未来へ橋をかけていく営みになります。この問いが生まれてきてからは、デザイン自体について考えることはさほど重要ではなくなりました。これがもう一つの大きな変化です。
具体的には、参加・協働デザインを中長期的な変容体験(=創ることで創られる・他者に開くことで変わっていく)の過程と捉え、可能性が拡がっていくような関わりをつくっていきたいと思っています。そのために地域に根ざした活動をしていったり、今はある行政とお話している途中です。『PUBLIC & DESIGN』というメディアも運営していますが、政策デザインや行政改革を!と言いたいわけではありません。「公共」も「政治」も「民主主義」も、ぼくたちはどう(人間以上の)他者と共に生きるのかを思索する切り口であり、それをどうかたちにするかを考えるために「デザイン」を冠しています。
また、かたわらで教育的なプログラムや、寺子屋のようなことをやりたいです。遠い先の子孫のことを考えたり、人間ではないものになったりする体験を通じて想像力の射程を拡げることが、自分を超えた欲望につながるのではないか、とそういう実験を行ったり、ミルズがコーヒー1杯が南北問題に通じると言ったように、日常から想像するための体験ができるような学び場をつくりたいと思います。といってもまだ具体的には決まっていません。ぼく一人ではできないので、仲間探しから始めたいと思います。
一方で、日常の中でもっといのちの手触りを感じられる生き方を模索したい。先の贈与のお話も、生活を変えなければぼくはすぐ忘れてしまうのです。そのために、ひとつひとつ問い直して、例えば味噌をゼロからつくってみるなど、色んな生活の実験をしたいと思います。
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デザインのあり方以上に、自身や人間のあり方を考える、それがぼくにとっては重要な2年間でした。この間、ほぼ仕事もせずに不安もありましたが、純粋に自分に向き合い思索できた時間だったと思います。そこから大きな問いをいただいて、デザインに預けていた自分のアイデンティティも再考できました。海外のデザインスクールでの経験・学びはひとくくりにできず、これまでの自分を手放し、新しい自分へと変わりゆく冒険でした。とても個人的な物語をお話しさせていただきましたが、何かしらの知につながれば幸いです。
ライター:川地 真史
学生時代の起業、事業会社、デザインコンサルティングを経て、独立。スタートアップから大手企業までの新規事業開発、コンセプトづくりから組織風土の変革まで、幅広い領域に従事。その後、フィンランド・アールト大学の修士過程にて、生活者が自身で望ましい未来を描くための足場かけや、行為主体性の形成を軸にした参加・協働デザインを探求。現在は未来に必要な人間性をテーマに、想像力や利他性、ケアの心などを育むための活動を模索中。