研究と実践。この二つをうまく重ね合わせることで、より事業や組織を成長させることができるはず。ただ、この二つの領域の間には、溝が生まれてしまっていることも少なくありません。
神戸大学大学院経営学研究科准教授の服部泰宏さんが出版された『組織行動論の考え方・使い方』では、こうした研究と実践をどうつないでいくのかについても書かれていました。CULTIBASEでは、服部さんをお招きして鼎談を実施。
前編では、「組織行動論」とはなにか。2000年以降の盛り上がっている4つの最新研究動向を伺いました。
2000年以降、組織の現場に生じた変化とは?「組織行動論」から見る4つの最新研究トレンド
後編となる本記事では、経営学の理論をなぜビジネスパーソンは学ぶべきなのかについて、CULTIBASE編集長・安斎勇樹、副編集長・東南裕美が聞きました。
目次
「しろうと理論」の価値と、科学的研究の価値
経営学の知識を実践で生かすために
2020年の今、経営学が描く大きな物語はあるか?
「しろうと理論」の価値と、科学的研究の価値
安斎:今回の書籍では、研究と実践をどうつなぐかについても触れられています。服部さんは、科学的な研究はどのように実践につながるとお考えですか?
服部:私たちは、自身を取り巻く世界において「物事はどのように成り立っているのか」「物事はどのような関係によって生起するのか」などについて理解の枠組みを作り出しています。これを「しろうと理論(lay theories)」と呼びます。
例えば、タクシーの運転手であれば、乗客を最も発見しやすい場所はどこで、時間帯はいつかなどを自分なりに理解します。この「しろうと理論」は,私たちが事象をどのようにみるか,何を見て,何を見ないかなどに関わってきます。メガネのように見える世界に影響を及ぼします。
世界が安定していれば、一度形成されたしろうと理論はしばらく有効になります。しろうと理論を形成できているからこそ、一つひとつの物事に対して判断しやすくなっていく。
ただ、世界に変化が生じているのであれば、そのままというわけにはいきません。かつては最適だったしろうと理論も、いずれ当てはまらなくなる。にも関わらず、私たちはアンラーンできず、以前のしろうと理論にしがみついてしまいやすいのです。
このしろうと理論に対する課題を解決するために、科学は2つの意味で役に立つと考えています。ひとつは、世界についての説明の枠組みを提示すること。例えば、リーダーシップの理論を知ることによって、自らのしろうと理論が相対化され、自分の行動を変えられます。
もうひとつは、世界をデータによって写し取ることで、当事者も気づかない世界を可視化すること。先日、神戸大学の学生を対象に「コロナ禍による遠隔授業から、対面授業に戻りたいかどうか?」というアンケートを実施しました。教員側は、「やはり学生は対面で授業を受けたいのではないか」という印象を持っていたのですが、結果を見ると「遠隔授業のままでいい」と考えている学生が多いことが明らかになりました。
このように、私たちは経験や知識が増えると、世界の見方が固定的になる傾向があります。理論を学び、データを知ることによって、自らのしろうと理論を相対化し更新することが可能になります。
東南:書籍の中の第二部や第三部で触れられていた内容ですね。
服部:はい。第二部は最新の手法等を紹介したものなので、書籍で読んでいただけたらと思います。今回は第三部で紹介している内容に触れていきますね。
経営学の知識を実践で生かすために
服部:第三部では、組織行動論を充実させるために、実務家と研究者がどのように共同するかについて触れています。まず、研究者がどのような思考をしているのかを紹介します。こちらはイギリスの哲学者カール・ポパーの研究をベースにアレンジした図です。
1.自身の信じる理論に影響を受ける
2.問題を発見
3.仮の理論を設定
4.調査の実施
5.理論の間違いを修正
6.新しい問題へ
例えば、私の場合、「日本企業の採用の現状を明らかにする」という問題意識があったとき、先にそれを調べるための理論や枠組みを考えます。実際に社員を対象として調査を実施し、結果が出てきたら、理論の違いを探して修正します。論文や本を執筆して、新たな問題を発見したら、採用を革新的に行っている企業の調査へ進みます。
研究者のサイクルに対して、調査を一緒に行う現場の担当者の考え方は異なります。サイクルにするとしたら、以下のようなサイクルになります。
例えば、採用担当者が「自社の若手社員の採用の問題点を把握したい」という問題意識を持ち、実際に若手社員を対象として調査を実施します。結果が判明したら、担当者自身が有していた経験的世界に対する、既存の理解と一致していれば確信は深まり、何らかのギャップがあれば次の問題設定をします。
それぞれのサイクルは異なりますが、両者のプロセスは「調査」の段階で一致しています。この利害があるから、共同研究が行われます。ただ、これがなかなかうまくいくことが難しい。
東南:共同研究が上手くいかない場合、どのような要因があるのでしょうか。
服部:例えば、パワーバランスの問題です。駆け出しの研究者であれば、会社にデータをとらせていただくような立場になります。そうすると、とりたいデータがとれないときもある。逆に、権威の教授が共同研究する際、現場の会社の人たちが萎縮してしまうことがあり、調査プロセスの議論が十分に行われないまま調査が実施される可能性があります。
研究者と実践者の情報の非対称性も課題として挙げられます。実践者の方は、研究者になにができるかは当然わからないですし、研究者側も、すでにある調査の情報などがわからないことも多い。書籍の第三部では、こうした課題に対する解決策を提示しています。
東南:経験学習のサイクルをずっと実践しているだけだと、自分のセオリーに閉じてしまいやすいという指摘もありますよね。適宜、自分の行動を振り返って相対化していくことも大切です。実務家の人たちが研究を取り入れやすくするためにはどうしたらいいのでしょうか?
服部:相手の肩書、ポジション、年齢という概念を取り払って考えることが大切だと思います。相手が有名大学の所属だったとしても、マッキンゼーやボストンコンサルティンググループの人間だったとしても、全ての人が同等の能力とは限りません。できることに着目して、「調査できることは何か?」を考える必要がありますね。
また、調査の結果が自分の予想とズレていた場合、「なぜそうなったのか?」を考えることも大切です。ズレがあるということは、なにかそこに発見が隠されている可能性が高い。その発見を踏まえて、さらに調査していくことができます。逆に、研究者は実務家がしろうと理論で直感的に考えていたこととズレている結果を、研究者がドヤ顔でフィードバックしても、たいていの場合は受け入れてもらえません。
安斎:書籍でも書かれていましたが、互いの目的ではなく手段をしっかりと一致させることが重要なんですね。
服部:はい。お互いがなにができるかをテーブルに出し合わないと、折り合いません。大学院生にも、常に相手に対して提供できることを準備しておくことを伝えています。それでも、目標は重ならない。違う目標の達成のために、手段をどう一致させるかが大事です。
安斎:アカデミックな知識を、実務家がどう活用するのか。第二部を読んだビジネスパーソンに向けた示唆やアドバイスなどありますか?
服部:経営学の理論は、すぐに明日現場に活かせるものではない難しさがあります。実践は、次の式によって表すことができると考えています。
実践 = 論理/理論 × 環境/状況
つまり実践とは、それぞれの環境に合わせて理論を活用していく行為です。研究者は論理や理論をまとめ、実務家は環境や状況に合わせて実践する。
東南:良い研究や良い実践はどうしたら可能になるのでしょうか?
服部:さきほどの式では、環境や状況が難しいんですよね。例えば、産業が同じ会社の場合、その理論を応用しやすいかもしれません。しかし、環境の大きく異なる組織の場合、環境や状況をかけ合わせる必要があります。
研究者は、環境や状況といったコンテクストを排除していって、理論を導く思考は得意です。しかし、介入まで実証をしない研究者は、現場に応用することは比較的苦手だと考えています。
コンテクストが削ぎ落とされたとしても、価値のある理論は出てきています。それを現場に応用できるようにするための、出版社やメディアのような、ポストモダンの言葉でいう“文化仲介者”の存在が、企業の学びにおいて重要になると考えています。
2020年の今、経営学が描く大きな物語はあるか?
安斎:最後に、研究者に向けたメッセージではありますが、書籍の中で提示されていた経営学に対するお考えを共有いただいてもいいでしょうか。
服部:経営学は1900年頃にスタートし、人の問題を研究する組織行動論が立ち上がったのは1950年頃です。この頃のメディアや論文等を見ていると、研究者も社会も科学が進むと社会がよくなると考えていたようです。
アブラハム・マズローやクリス・アージリス、フレデリック・ハーズバーグらといった様々な研究者は、科学の発展によって社会がよくなると信じて活動していました。こうした研究者は、未だに名前を聞きますよね。主張の広さ、議論の深さ的に、この人たちを超える研究者は出てきていないと考えています。この時代、リオタールのいう「大きな物語」を研究者たちは共有していたのだと思います。
服部:では、今を生きる研究者はどのような物語に生きているのか。モチベーションの「期待理論」で知られるエドワード・ローラーは、このように語っています。
「研究者は、実践に影響を与えたかどうかではなく、リゴラスな研究をAジャーナル*1に掲載することによって評価される。 そして,研究者が行ったリゴラスな研究を実践家向けに翻訳し、 語りかけるだけの時間を、Aジャーナルを目指す研究者たちは持っていない」
今の研究者は、「Aジャーナルパブリケーション物語」のもとで生きているのかもしれないと自己批判しています。私は、この物語が悪いと考えているわけではありません。この物語の中での知識の生産システムは,知識の生産効率という意味では極めて優れている。ただ、「知識の整理・統合」と「知識の普及」という点では、極めて脆弱なシステムかもしれないと考えています。
なぜなら、膨大な領域を理解し、わかりやすい言葉に翻訳して語りかけるということをしなければならないのですが、それに時間をかけていると学術領域での知識の生産競争においていかれてしまうから。とはいえ、現代の組織行動論もまた何かの「物語」を生きているはず。その「物語」とは、以前のように巨人の誕生を待つのではなく、個々の研究者が紡ぎ出すローカルな物語であると考えています。
安斎:このメッセージは、私も書籍を読んで一人の研究者として感銘を受けた部分でした。最後に締めていただいてありがとうございます。
*1 Aジャーナル:信頼性の高い一流の学会が発行する学会誌
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編集:モリジュンヤ