ビューティフル・ドリーマー:パーソンズ美術大学で体得した、22世紀を「夢見る力」:連載「世界のデザインスクール紀行」第2回

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約23分

ビューティフル・ドリーマー:パーソンズ美術大学で体得した、22世紀を「夢見る力」:連載「世界のデザインスクール紀行」第2回

世界各地のデザインスクールを卒業したばかりのデザイナーが、その学びを振り返る連載「世界のデザインスクール紀行」。第2回に登場するのは、パーソンズ美術大学のデザイン&テクノロジー修士課程を卒業されたばかりの岩渕正樹さん。「スペキュラティヴデザイン」の提唱者であるダン&レイビーに師事するべく、パーソンズ美術大学に進学した岩渕さんが体得したのは、「22世紀のためのデザイン」という生涯の軸になる視座でした。

目次
ずっと「夢」を見ていたい
パーソンズ美術大学とニュー・スクール
かたちを通して問いつづける
まずやってみる、そして同じ時間かけて振り返る
世界の複雑性と複雑なまま向き合う
誰もが想像を物語れる場所を作る
卒業、そして、22世紀のためのデザイン

ずっと「夢」を見ていたい

それを30代の社会人が言ってるのはだいぶヤバい気もするのだが、大人になるにつれ、職場で目の前の仕事に忙殺されるにつれ、圧倒的な現実に絡め取られ、これからの夢に思いを馳せたり、現実世界で美しい夢を見たりする余裕が無くなってしまったように思う。

それなりに充実した仕事と、それなりに充足した生活。これが何と無く続き、10年後はあのくらいのポジションで、あのくらいの年収で、あのくらいのことをやっているのだろう。現状の延伸による未来には、諸先輩方が踏み抜いた「轍」がはっきり見えていて、わくわくするような夢はもはや無い。そんな漠漠とした渇望感、焦燥感を酒の力で「まあ、それでいいか」とやり過ごす日々。こんなこといいな、できたらいいなと、到達したい場所、未だ見ぬ地平を夢想することが頑張るモチベーションとなり、自分を突き動かす原動力だったのに、いつから夢を見れなくなってしまったのだろう。

でも周りを見渡してみると、そんな問いを発しているのは特に最近、自分だけではないように思う。

“今日の夢とは何なのか? この疑問に答えるのは難しい。今や、夢は希望に成り下がってしまったように思える。人類が絶滅しないようにという希望。食べ物に困ることがないようにという希望。この小さな惑星で全員が暮らしていける余地があるようにという希望。そこにはもはやビジョンなどない。 誰もこの地球を修復し、生き残る術を知らない。あるのは淡い希望だけだ。”

『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。: 未来を思索するためにデザインができること』 第1章 ラディカル・デザインを超えて? 冒頭より引用

「夢は希望に成り下がってしまった」という衝撃的な一節。

社会全体もまた、夢の来し方、往く末を見失っているのかもしれない。ソーシャル・ドリーミング、デザイン・フィクション、そしてスペキュラティヴ・デザイン。「いま、ここ」ではなく、敢えて思考を飛躍させ「ここでもなく、いまでもない」オルタナティブな未来の社会を夢想・思索するような新しいデザインの概念が2000年代に入り、いくつも立ち現れてきているのは、技術が見せる夢によってドライブされてきた20世紀が終わり、21世紀は「正気に戻って」そのツケを払わなくてはならない、という悲観的な時代に突入した反動のように思える。

経済成長の鈍化、気候変動や地球環境、国際政治と人種問題など、人新世にわたしたちが対峙する、多くの巨大で複雑な問題は、全てを立ちどころに解決する人間中心で、スマートで、クリエイティブで、セクシーな策を打ち出すことは不可能で、誰もが目指すべきビジョンを、それでも生きたい未来を、21世紀の新たな夢を求めている。

大人になって、改めていま必要なものは、「夢見る力」そして「夢見せる力」だった。

それをアカデミックでもなく、ファンタジーでもなく、「デザイン」の名を冠して実践に還すことができるのが「スペキュラティヴ・デザイン」という新しい領域ではないか。ビジネスの現場で行ってきたユーザー中心デザインや、問題解決のためのデザインとはまた異なる、「21世紀のための」スキルセットを身につけなければならない。そんな信心に近い情熱を持って、スペキュラティヴ・デザインの提唱者であるアンソニー・ダンとフィオナ・レイビー(以下ダン&レイビー)に教えを乞うべく、日本の仕事を辞めてニューヨークのパーソンズ美術大学へやってきたのだった。

パーソンズ美術大学とニュー・スクール

パーソンズ美術大学

まさに日本人が思い描くTHE・ニューヨーク!THE・マンハッタン!に鎮座するビル型の都会的な大学。それでいて100年以上の歴史があるパーソンズ美術大学とは、どのような学校なのだろうか。

2020年現在、QSの世界大学ランキングのアート・デザイン部門では世界3位(全米1位)にランクされており、ファッションデザインが特に知られているところである。アナ・スイやトム・フォードなど、世界的なブランドをいくつも輩出しており、現場で活躍するデザイナーが非常勤で教えていることも多い。他の分野でも、グラフィックデザイン界の巨匠ポール・ランド、メディアアート分野ではopenFrameworksを開発したザック・リーバーマンなど、各分野で錚々たる卒業生の顔ぶれが並ぶ。卒業生マウントをしても意味が無いのだが、そういう第一線の人たちが講演しに来て貴重な話が聞けたりSNSで繋がれたりするので、やはり学校の評判やネットワークは長期的な資産であると改めて思う。

また、パーソンズはニュー・スクールという人文科学系の大学を束ねる大きな傘の下に入っており、社会研究系のニュー・スクール・フォー・ソーシャルリサーチ、音楽大学の名門・マネス音楽院、舞台・身体芸術系のニュー・スクール・フォー・ドラマなど、「人間」が関与するあらゆる表現活動や研究活動が一同に会する総合大学となっている。

近年ではサービスデザイン、政策デザインなどのいわゆる「広義の」デザインを研究するトランスディシプリナリー・デザイン(国家公務員として初のデザインスクール留学をした経済産業省の橋本さん羽端さんが修了したことでも話題になった)という分野横断的・学際的な学部も新設されたり、パーソンズ美術大学に所属していても、並列するニュー・スクール傘下の他の授業にはみ出して授業を受講しても良いといった環境が、多様な人やスキルの交差、そしてリベラルで越境的な校風をつくり出している。

パーソンズ・パリで行われた出張フィールドワーク

パーソンズの越境できる環境が、社会人経験を経て、興味分野が見えてきた上で学生に戻ってきた私にとっては「大人の知的好奇心」を満たすのにベストな場所だったと言える。自分はパーソンズ美術大学の「デザイン&テクノロジー」という学部に所属していたのだが、必修のコース以外は都市デザインやCo-Design、哲学などのコースにひたすらはみ出していた。

デザイン&テクノロジーの生徒の作品の一部。UX/UI、アニメーション、ゲーム、映像等、デジタル・フィジカル問わず幅広い

また、文化・芸術・学術・ビジネス等、各分野の最先端が集まるニューヨークという環境では、日々色々な場所で展示やイベント、コンペなどが開かれており、そうした「地の利」が生み出す刺激もニューヨークの大学ならではと言えるだろう。

ブルックリンの倉庫のような場所で実験的なイベントが開催されることも

最初に述べたダン&レイビーに師事すること以外にも、見たことや体験したことを語り出したらキリがないのだが、今回はパーソンズに身を置くことで自分が体得した、答えのない21世紀を生き抜くため、そして夢を見続けて駆けるためのいくつかの態度や哲学を紹介したい。

かたちを通して問いつづける

私に限らず、多くの人たちがニュースクールのスピリットとして挙げるのが批評性(Criticality)だ。「クリティカルである」というのは一意的ではないが、私は「問いを立てる態度」だと認識している。問いを立てるといっても、「こんなアイデア面白くないよね?」「これが流行ると思う?」などの自分の色眼鏡を通した、未来の芽を摘むだけの批判的な問いではなく、「このアイデアはなぜわたしたちを不安にさせるんだろう?」「これが流行る世界線はどうなっているだろう?」といった、新芽に水をやる「問い方」の作法が大事だ。そうした正しい「問い方」を授業では教えてくれる。

デザイン&テクノロジー学科の名物講義「クリティカル・コンピューテーション」
コロナ禍のオンライン講義は公開されており、第一回のテーマは「技術は中立か?」

加えて、デザインスクールでは、ファッションの学生はファッションで、映像の学生は映像で、ビジネスデザインの学生はコンセプトビジョンで、何らか目に見える具体的なかたちを伴って議論をする。

今の世界の常識、流行り物をあるがまま受け入れ、それの延伸で未来を思い描くのではなく、妄想、兆し、違和感、意志といった、自分や世界の小さなささくれを自分独自のレンズで見つけ、それをデザインの力で具体的に伝達可能なかたちにして表明する、そこでまた新たな問いを見つけ、自分の世界に持ち帰ってまた考える、その試行錯誤のプロセスがパーソンズで体得したデザインの作法だ。

言説ではなく、必ず目に見えるかたちを伴って議論しあう

修士論文の執筆中にちょうどコロナ禍となり、ロックダウンにより外に出れなくなった。1人のデザイナーとして、今自分に何ができるのか、コロナ禍で思い描いた未来観を論文にしようとテーマを急遽変え始めた頃、一時期、このまま人間が消えた先の世界……なんてディストピックな未来を思い描いていたのだが、教授に「毎日悲しいニュースが流れて、多くの人が亡くなっている中、悲観的な未来ではなく、人道的(humane)な未来を思い描いてみない?」と言われて、はっと気づかされたものがあった。

未来への想像や妄想はただただ飛躍すればいいものではない。デザイナーとして、生きたい未来、残したい世界を創成したい。何度も何度も、良い問いかけをしながら未来を「こねる」ことで、それを思い描くことがきっとできる。

ロックダウン中のニューヨークの「人間の消えた街」から、人道的な未来を思い描いた

まずやってみる、そして同じ時間かけて振り返る

パーソンズの多くの授業では、最低限のガイドはあるが、デザイン思考やフレームワークを教えるような座学はほとんど無いのが特徴である。最後に何が生まれるかわからないけど、とりあえず個人発露でやってみて、そこから考える。全ては個人的な問いから始まる。

修士論文に向けた最初のアサインメントは「問いを探すこと」

自分が本当に興味があるものを探し、試行錯誤しながらプロトタイプしてみる、そして、自分が見つけた面白さ、奇妙さ、美しさを人に伝達できるかたちに仕上げる。そのあとで、同じくらいの時間をかけて内省する。そこまでが1セットとなる。

結果やプロセスはもちろん、その問いを胸に抱いた発端の火種や、時間の制約がある中でどんな判断や工夫をしたのかを内省して、論文形式で纏めることも求められる。そうしたResearch through Design(デザインを通した研究)の姿勢が、のちのち自分独自の引き出しやメソッドを形成することになる。まだ社会人経験のない学生は逆に、デザイン思考などの、現場で役立つ理論や知識の講義が薄いことに不満を漏らす生徒もいるのだが、彼らはきっと10年後に、このパーソンズのカリキュラムを通して得たものが真の自分の個性に成っていることに気づくだろう。

とにかくやってみろ、晒してみろ、そこからまた何かに気付け!の体育会系(?)スタイル

ニュー・スクール全体の授業を見回しても、そうした実験的要素を強く感じる。私が在籍していたデザイン&テクノロジー学科では、2019年2月、『WIRED』でミラーワールド特集が組まれたのを受け、その年の秋学期に「Mirrorworld Design」という授業が開講したり、コロナ禍を受け「危機下のNYC」という学部横断的にNYCのこれからを考える授業が組まれたりしている。始まってみると授業内容がガバガバだったり、翌年は無いような授業もあるのだが、最後の授業の時に皆でどうすれば来期の授業を良くできるか議論する。教師も生徒も迷うことに迷いがない。失敗することに躊躇いがない。100%その考えが良いとは言わないが、そうした態度をもてば、答えのない21世紀の荒野でも力強く一歩を踏み出せるだろう。

コロナ禍を受け、2020年秋学期に即反映された授業「危機下のNYC」

世界の複雑性と複雑なまま向き合う

人種のるつぼと呼ばれているニューヨーク、さらにはこのパーソンズという場所には国籍・性別・人種・年齢を超えてありとあらゆる人が集まっている。毎日同じ教室で授業を受けていれば、同じ学部の生徒同士は特に仲良くなり、教室でビール飲みながら、スシをつまみながら深夜までSwitchで遊んだり、アメリカでも流行っていたテラスハウスを皆で見たり、国を超えて久々の大学生ノリも思い出すことができた。国籍の違う人たちとそんな密な時間を過ごすのは初めてだったのだが、アメリカでそういう生活をしていると、もはやそれは「多様性」という言葉、ただその空間に異なる種類の人が「いる」ということだけではないような気がする。アメリカ人といえばピザとハンバーガー!なんて条件反射的なラベリングはもはや時代遅れだ。多様なエンティティが多様に絡まり合うことによる、より密で「多元的な」エコシステムがそこにある。世界は思ってるよりもっと複雑で難しい。

授業後よく行ったアーケードバー、テラスハウス観賞会、そして忘年会のカオスな様子

そうした多元的な世界に自分の作品をぶつけて、全方位からのあらゆる評価を受け止めていると、世界の誰に出しても恥ずかしくないプロダクトをデザインする作法が体得できたように感じる。ペルソナやユーザーセグメントといった、対象を絞り、ラベリングし、抽象化するアプローチが黎明期を迎えた次には、対象を絞らない、線を引かない、あえて複雑性と向き合っていくアプローチもありえるのではないか。2015年にカーネギーメロン大デザイン学部から提唱されたトランジションデザインなどにその萌芽を見ることができる。21世紀の複雑性に立ち向かうには、複雑なものを複雑なまま受け入れる姿勢も時に必要になるだろう。

そして教授は肉を焼く

誰もが想像を物語れる場所を作る

私と同様、世界的に有名なダン&レイビーの指導を仰ぎたいという生徒は多く、彼らのプロジェクトに入るためには、就職の面接のように志望動機やポートフォリオを送り、多くの他のパーソンズ生の中で選抜されてようやく研究会に参加できる。遂に対面を果たした時には、あなたに会うためにここまでやって参りました!と思わず言ってしまった。

ダン&レイビーがパーソンズ美術大学で模索しているのは、想像力により未来の社会の一端を可視化するスペキュラティヴ・デザインを、前述したニュー・スクール全ての学校・学部に横断的に展開して、デザイナー、社会学者、音楽家、あらゆる人が胸の内に持つ未来観を開放する取り組みだ。デザイン&テクノロジーの専攻の私のほか、ファッション、テキスタイル等のデザイン専攻の学生はもちろん、文学、政治学、人類学専攻の学生も同じテーブルに座り、それぞれの未来観を机に並べて議論する。

ダン&レイビーによるゼミ「Designed Realities Studio

このプログラム自体は別の場所で詳しく語っているので、本記事では割愛するが、一番の学びは、政治学や文学科の学生など、高い専門性を持った、なおかつ自分にとって「一番遠い人と話す」ことが全く新しい視座やアイデアの獲に非常に有益だったことだ。

それは協働的な対話でありながら、あくまでも自分の妄想・意志・願望から発現した未来観を、他人の脳みそを借りることで自分の想像力を拡張し、現在とは異なる世界の姿を高い解像度で結像させる「共脳」と呼べるような体験だった。

デザイナーにも、人類学者にも、目に見えるかたちを通して未来を語らせる

ダン&レイビーから学び受けたことは、夢を見るための原動力となる「想像力」を錆びつかないように、大人になっても鍛え続けなければ、21世紀のビジョンは創れないということ。そしてそれを人に伝え、納得させ、動かしていくところまでできるのが21世紀のデザイナーだということだ。

2050年の日本人のありようを映像化した作品でCore77スペキュラティブデザインアワードを受賞することができた

「デザイン」という言葉は今や、プロダクトや体験、政策や文化に至るまで拡張している。広がれば広がるほど、どんな世界を目指したいのか、どんな人がどんな暮らしをしているのか、人間の価値観やアイデンティティはどう変わるのか、そうした人文科学系の問いに対して、鮮やかな解像度でビジョンを語れるかどうかが重要になる。もはや教科書通りのメソッドや管理ツールで処理できるプロジェクトは無くなり、意志、熱量、そして想像力が全てのビジネスパーソンに求められる時代が来るだろう。

BTC(ビジネス・テクノロジー・クリエイティブ)が当たり前になったら、その次はアート(内発的な問い)や未来学が求められる(図は筆者作成)

色々な学部が学内でイベントや展示を行っており、偶発的な刺激もインプットになる

卒業、そして、22世紀のためのデザイン

自分自身の「夢」から思い立ち、18年に渡米してきて以来、あっという間にコロナ禍のZOOM卒業式を終え、2020年5月に芸術学修士(MFA)の学位を取得できた。日本で会社を辞め、もういい年なので親にも負担をかけれず、アメリカに無収入で飛び込んできた時には不安しかなかったが、やるしかない状況、生き抜くしか無い状況になったら何とかするものだと、自分のサバイバル力にも自信がついた。

まさか最後はZOOMで卒業式になるとは・・

オンライン最終発表は、日本でも見てもらえた (photo by 水野大二郎さん@京都工芸繊維大学)

卒業後は、パーソンズで身に付けた夢や想像の力をどこでどう実践するかが重要だ。社会人の舞台に再び戻ってきた現在、現実の事業や企業のビジョンと結びつけることをやっていきたいと考えている。

パーソンズでは即、いま現場で役立つような教科書的な知識はあまり教えてくれないため、卒業後に路頭に迷う人もたくさんいるのが現状だ。しかし、自分が本当に何に興味があるのか、世界をどういうアスペクトで変えていきたいと思うのか、生涯の軸になるものが見つかるカリキュラムになっていると思うので、卒業後すぐに花開かないかもしれないけど、それができるように自分の周りの世界ごと変えていく推進力になる。

私はというと、パーソンズの2年間を通して「22世紀のためのデザイン」という生涯のミッションをはっきりと見つけ、言語化できた。

パーソンズでは入学最初に自分のデザイン・マニフェスト(宣言)を書かされるのだが、そこで宣言したことは何一つとしてブレていなかった。遠い未来を生きる、遥かなる他者に胸を張ってバトンをパスするために、22世紀に向けた種蒔きをしていきたいと思っている。

入学当初に書いたデザイン・マニフェスト「さよなら人類、こんにちは未来人(意訳)」

現在は、さまざまなご縁があり、教育というフィールドに広く関わっている。ひとつは、パーソンズでそのまま非常勤講師として修士の授業を教えることになった。この学校に恋して夢見てやってきたので本当に嬉しく思う。2020年冬学期は、「Speculative Science for Design Fiction」という、スペキュラティヴ・デザインを使って、学生の想像力と造物力を鍛えるという、正に私が夢見て来て受講したコースを、今度は夢を見せる立場で次の世代につなぐ。

2つめは、TeknikioというブルックリンのEdTechスタートアップでSTEM(理工系)教育のためのWebサービスのディレクションをしている。この会社は前述の「Speculative Science for Design Fiction」を私が受講した時の先生が立ち上げている会社なのだが、この女性の先生がまた面白く、プログラミングやロボティクスなど、元来男の子向け(ボーイ・センタード)なデザインが多かった領域を、ガール・センタード、ジェンダーニュートラルに変えていくというビジョンに共感し、ジョインすることになった。

ザ・ブルックリンという場所にあるオフィス

それから、ハーバードMBAを修了した山口智史さんが立ち上げた、日本のアーテリジェンスという企業で、21世紀型の社会人教育にも関わっている。スペキュラティヴ・デザイン、トランジションデザイン、多元的なデザインといった先端的なデザイン態度を駆使して、自分のビジョンや生きたい社会を思い描くための「夢見る力」を鍛えていく。それはもはやデザインを通した哲学教育であり、21世紀の「大人の道徳」になれば良いなと思う。

そのほか、日本企業のデザイン部門と、コロナ後のビジョンデザインプロジェクトにお声がけいただいたり、卒業して一息つく間も無くアメリカでの第二章が始まっているが、日本に残っていたら見えなかった景色が今見えているので、間違いなく、自分の確たる意志を信じて、そしてデザインというフィールドで留学しにきたのは正解だったと確信している。

夢を見る、夢を描く、夢を語る、夢を信じる、夢に向かう。

誰もが胸に持っているはずなのに、大人になるとなぜかできなくなってしまうこと、しがらみの中で埋没していってしまうことを、シンプルにやり続けられる個人や組織、文化を醸成していくことが、遥か彼方の22世紀のありようを少し、良い方向にずらすことができるのではないだろうか。だから私はいい歳こいてなお主張し続けていきたい。ドリーマーであれ、そして、ビリーバーであれと。

私は今日も、そんな美しい夢を見ている。

・・・

2020年10月、ニューヨークでTHE YELLOW MONKEYのバラ色の日々をループ再生しながら

ライター:岩渕 正樹
NY在住のデザインリサーチャー。東京大学工学部、同大学院学際情報学府修了後、IBMDesignでの社会人経験を経て、2018年より渡米、2020年5月にパーソンズ美術大学修了。現在はNYを拠点に、Transition Design等の社会規模の文化・ビジョンのデザインに向けた学際的な研究・論文発表(Pivot Conf., 2020)の他、パーソンズ美術大学非常勤講師、Teknikio(ブルックリン)サービスデザイナー、Artelligence(東京)デザインカリキュラム・ディレクター等、研究者・実践者・教育者として日米で最新デザイン理論と実践の橋渡しに従事。近年の受賞にCore77デザインアワード(Speculative Design部門・2020)、KYOTO Design Labデザインリサーチャー・イン・レジデンス(2019)など。

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今、世界各地のデザインスクールでは、どのようなことを考え、何を教え、そこから学生は何を学び取っているのでしょうか。<br /> 特集「世界のデザインスクール紀行」では、世界各地のデザインスクールを卒業したばかりのデザイナーが、そこでの体験や学びを振り返り、紹介していきます。

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