本記事は、デザインビジネスマガジン“designing”との共同企画で、双方の媒体に掲載されています。
経産省・特許庁が2018年5月に発出した「『デザイン経営』宣言」は、ビジネスの世界における「デザインの力」の立ち位置を大きく変化させるきっかけとなった。
しかし、日本におけるデザイン経営の振興に大きく貢献してきた二人の人物は、こう語る。「デザインの力によって企業経営や社会を変えるための取り組みは、まだ始まったばかり」と。
一人は、デザイン・イノベーション・ファームTakramの代表であり「『デザイン経営』宣言」策定のコアメンバーも務めた田川欣哉氏。もう一人は、2020年6月にデザイン会社として初の上場を果たしたグッドパッチ代表取締役兼CEOとして、企業のデザイン経営を支援してきた土屋尚史氏だ。
対談前編では、過去20年のデザイン業界の変遷を振り返りながら、その現在地について語ってもらった。続く本記事では、現代のデザイン業界が抱える課題や、今後デザインが果たすべき役割に迫っていく。デザイン業界のトップランナーが見据える「デザインの未来」とは?
ビジネス職からコンバートするなら、“まずUXデザインより始めよ”
──デザイン業界のこれからを考えていくうえで、人の問題は重要なトピックだと思います。「デザイナーが足りない」という声はよく耳にしますが、お二人はこの点に関してどう見ていますか?
土屋:現段階で、すでにデザイナー採用はかなりの難易度になってきていますよね。ちょうど先日、heyのプロダクトストラテジストである久下玄さんのツイートを見て、「なるほど」と思ったことがありました。統計では日本のデザイナーは20万人いることになっているが、その中のほとんどがグラフィックデザイナーだと。デジタル領域のいわゆるUI,UXデザイナーは、本当に限られた数——下手すると数千人ほどしかいないのではといったものです。
日本のデザイナー数は約20万人。
— 久下玄 (@kugehajime) June 16, 2021
ほとんど(おそらく15万人くらい)がグラフィック系デザイナーらしい。
なのでメディアも
デザインノートが隔月で5万部、
アイデアが季刊で3万部、
Web Designingが隔月で7万部、
+81が季刊で3万部(国内)。
AXISが隔月で年2万部(国内)、
日経デザインが毎月で年6千部。
もちろん、あくまで推計の話ですが、僕の感覚でもこれは正しいような気がしていて。感度の高い企業はすでにデザイナーの確保にかなりの力を注いでいます。しかし、デジタル領域のデザイナーは驚くほど少なく、各社とも採用に苦戦している。
Webサービスを展開する企業が、いま一番採用に困る職種はデザイナーだと思いますよ。それだけデジタル領域のデザイナーへのニーズは高い。今後も高まる一方でしょうね。
──不足を埋めるために、例えば非デジタル領域のデザイナーがデジタル領域に挑戦したり、非デザイナーがデザイナーに挑んだりすることも起こるのでしょうか?
土屋:どちらもあるでしょうね。特に、デザインにチャレンジする非デザイナーは今後増えていくと思います。実際、採用ではなく育成によってデザイン未経験者をデザイナーに変えた方が早いと考える企業も目にします。
もちろん、デザインのディテールをつくり込む作業をこなせるようになるには、かなりの訓練が必要です。しかし、ユーザーインタビューを実施したり、デザインを事業のどこに活かすべきかを判断したりするような、上流部分の業務適性を持つ人は一定数いる。
たとえば、直近では戦略コンサルタントからデザイナーに転身した人を見る機会が増えました。それだけではなく、マーケターから、あるいは営業からデザイナーへといったパターンも耳にします。
グッドパッチ代表取締役兼CEO・土屋尚史氏
田川:最近はマーケティングや営業、コンサルティングにも、ユーザーやクライアントに対する理解が求められるようになっていますからね。そして、そこはまさにデザインの主戦場。いま挙げたような職種は、「顧客理解が大事」という部分でデザイン業務と通ずる部分がある。
もちろん、一口にデザインといっても内容はさまざまです。たとえば、グラフィックやプロダクト、建築領域は、一線級のプロフェッショナルになるまでに相当な時間を要する。おそらく専門的な学習を始めてから、10年以上はかかるでしょう。
その理由は、歴史があるから。数百年以上積み重ねられてきた領域には、膨大な知識やノウハウが蓄積されている。プロフェッショナルになるには、それらをある程度は体系的に学び自分のものとする必要があります。
──他方、デジタル領域はそうではないと。
田川:そう。UI,UXデザイン領域の歴史は、長く見積もっても2〜30年といったところ。基礎となる部分の蓄積が相対的に多くないので、数年間UI,UXデザインスキルの習得だけに時間を注げば、一定の業務範囲はカバーできてしまうんです。
その上で、非デザイナーがデザイナーに転身するときは、UXデザインから始めるのが一つの定石だと思っています。なぜなら、UXデザインは「顧客理解」が占める割合がとても大きいから。先ほども触れたように、顧客理解は多くのビジネス領域で重要性が高まっている。ですから、UXデザインは最も取っ付きやすいと思います。
UXデザインが分かるようになれば、隣接領域であるUIデザインの習得も早い。UIデザインが理解できれば、次はグラフィックといった具合で、近接する領域をつなぎながらどんどん深いところに入っていけます。
土屋:海外でもこの10年ほどで「3カ月でUXデザイナーになれる」と謳うようなデザインテーマのブートキャンプ的なものが増えました。批判的な人も少なくないようですが、非デザイナーからデザイナーになる間口を広げる役割としては、一定の意味があるように感じます。知識を深め、スキルを磨き始めるきっかけになるわけですから。
かつては、美大や芸大を出ないとデザイナーにはなれませんでした。そういった状況がこの10年ほどで変わりつつある。どんな仕事をしていても、どんなタイミングでもデザイナーになれる時代になっているんです。
むしろ、マーケターや営業を経験してデザイナーになる人はビジネス側の理解が深いので、美大や芸大を出てずっとデザイナーをやっている人とは違う価値を生み出せるチャンスがあるのではないでしょうか。そういう人たちが「デザイナー」を名乗ることで、デザイナーが生み出せる価値の幅が広がっていく。それは、とてもポジティブなことだと思っています。
「デザインvsデザインシンキング」に終止符を打つ
──歴史のある領域と、デジタル領域では、そもそも素養として求められるものに違いがあるんですね。
Takram 代表・田川欣哉氏
田川:ただ、こうした“区分け”をするのは気をつけるべき点もあると感じています。それは、「伝統的なもの」と「新しいもの」の間ですれ違いを招くから。あえて単純化して言えば「デザイン」と「デザインシンキング」がすれ違わないようにしなければいけない。
第一次産業革命のデザイン勃興期から、デザインのカルチャーをつくってきたのは、ヨーロッパのマエストロ型の天才デザイナーたちでした。1990年くらいまで、世界のデザインの中心にいたのは彼らだったし、彼らがつくり出すものこそが「デザイン」だった。
マエストロ型の天才デザイナーたちが生み出したデザインカルチャーの核は、「デザインとは、デザイナーの『内側』から創造されるもの」とする思想です。デザイナーのインスピレーションによって、優れたデザインは生み出されると。
──それが、「デザイン」「デザインシンキング」の二分法でいえば、「デザイン」側の話ですね。
田川:しかし、そのような思想に馴染めない人たちがいたんです。そんな人々が活躍の場を求めたのが、シリコンバレーでした。シリコンバレーに移った人たちは、デザインとは目の前の環境やユーザーの中、つまり「外部」を起点に考えられるべきものだとした。そうして、デザインの世界に客観主義という概念が生まれ、その概念が「デザインシンキング」の基礎を形成することになりました。
ヨーロッパから脱出し、デザインシンキングというメソッドを生み出したのは、当時の感覚でいえば厳密な意味での“デザイナー”ではないかもしれません。マエストロたちの思想に馴染めなかった人たちが、エンジニアやコンピューターサイエンスとも接合し、「デザインシンキング」を生み出したんです。
──あえてシンプルに言えば、「デザインシンキング」は、旧来の「デザイン」の中のはぐれ者たちが生み出したと。
田川:そう、だから現代にはマエストロたちが生み出した「デザイン」の後継者と、ある種のカウンターカルチャーから登場した「デザインシンキング」の担い手がいる。
今必要なのは、その両者が相互に理解を深め、新たなビジョンを描くことだと思っています。たまたま、向き不向きがあっただけの話なんですよ。「内側」を起点とする方法論から逃れ、デザインシンキングを生み出したデザイナーであっても、時にはインスピレーション、つまり「内側」から溢れ出るものに頼っていたりする。
デザインシンキングを駆使するデザインシンカーたちは「このデザインはインスピレーションによってもたらせたものである」とは言わないし、言えない。そう言ってしまうと、彼らが否定したかったはずのマエストロカルチャーに、与することになってしまうから。だからこそ、こう主張するわけです。「デザインの答えは環境やユーザーの中にあり、天才的なひらめきが生むものではない。だから、誰しもが適切な教育を受ければ素晴らしいデザインを生むことができる」と。
──なるほど。
田川:デザインシンカーたちの主張は、天才的な発想やひらめきだけではデザインを生み出せなかった、コンプレックスの発露とも言えると思っていて。もちろん、彼らは彼らの生きる道を切り拓くために、デザインシンキングを生み出した。それは素晴らしいことだと思います。
しかし、時代は流れてどんどん新たな世代のデザイナーたちが生まれているわけです。いつまでも「内側にあるものから生まれたデザインはデザインではない」と言い続けるのは違うのじゃないかなと。
ただし、デザインシンカーたちだけが悪いわけではありません。クラシカルなデザインをしているマエストロたちも、「デザインシンキングはデザインでもなんでもないじゃないか」と否定的な態度を取った。でも、これもインスピレーションでしかデザインできない彼らのコンプレックスから発生する考えなんですよ。
──お互いがお互いに対して、コンプレックスを持っていた。
田川:そう、双方が抱えるコンプレックスの衝突なんです。でも、先程も言ったように、デザインの目的は「社会や人々の暮らしをより良くしていくこと」。そこはマエストロでも、デザインシンカーでも変わらないはず。
一方で、現在の社会はデジタルが物理世界に染み出し、その境界は極めて曖昧なものになっている。クラフト系を得意とするマエストロたちと、デジタルで本領を発揮するデザインシンカーたちは、協力しあうべき状態になってきた。そうすれば、デザインの力によって世の中に提供できる価値はもっと高められる。いち早く、デザインの世界をそのステップに進めなければならない。『「デザイン経営」宣言』から3年経ったいま、次に取り組むべきはそこかなと思っています。
土屋:クラシカルなデザイナーたちからすると、デザインシンキングってどうしてもビジネスのためのツールに見えるんですよ。言うなれば“資本主義くさい”(笑)。だから、マエストロたちからすると「デザインを金のための道具にするのか」となるわけです。
でも、ビジネス的な価値を理解してもらうステップを踏まないと、いつまで経ってもデザイナーの地位は向上しない。デザイナーたちはいつまでも低賃金で働き続けるのか、という話で。その点、ビジネスの世界で価値証明をしているという意味で、デザインシンキングが果たした役割は大きいんです。
人間中心デザインから「地球中心デザイン」へ
──たしかに。それはマエストロたちにとっても、良い影響を及ぼしているはずですね。
土屋:そして今後も、ビジネスの世界でデザインが果たす役割はますます大きくなっていく。特に注目度が高まっていると感じるのが、SDGsやESG投資といった文脈。この領域で、デザインが担える役割は大きいのではないかと感じています。
田川:そう思います。ちょうどいい例があります。今、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでは、卒業展シーズンに合わせてさまざまなイベントが開催されており、僕もトークイベントに登壇する予定があります。そこへ学生から事前に質問が寄せられるのですが、5つくらいある質問のうち、2つが「Planet Centered Design(=地球のためのデザイン)」に関するものでした。
「Human Centered Design」という概念は以前からありましが、サステナビリティの重要性が高まるに伴い、最近は「Planet Centered Designが大事だ」と言われるようになってきています。
学生から寄せられた質問も興味深くて。たとえば「あなたがデザインしたものが何らかの形で地球にダメージを与えていることを自覚したときに、あなたはどうしますか?」といったもの。とても難しい質問ですよね。
──でも、SDGsやESG投資は、いまやデザイナーのみならずあらゆるビジネスパーソンが考えるべき問題ですよね?
田川:おっしゃる通り、こうした問いに向き合っているのはデザイナーだけではない。たとえば、資本家たちもそうですよね。「自らが投資した資本が地球にダメージを与えていると、中長期の投資対効果が悪化する」という段階に入ってきている。だからこそ、ESG投資が注目されているわけで。2020年の全世界におけるESG投資額は約4,000兆円といわれていますからね。つまりは、資本主義をもってして、資本主義を治療しているわけですよ。
土屋:SDGsへの注目度もとても高い。今や「地球環境のサステナビリティを毀損しないビジネスを展開すること」は起業家、経営者が果たすべき大きな責任の一つになりましたよね。
──それでも、デザイナーだからこそSDGsやESG投資に対して発揮できる価値がある、ということですか?
田川:そう思います。SDGsやESG投資の目的は、未来において人間と地球環境が調和している状態を実現すること。そういった状態を実現するために、さまざまな立場の人がいろんな意見を出し合っているわけです。
「人間と地球環境を調和させる」ための、唯一無二の絶対的な正解なんてありません。みんなで問題を共有しながら、議論を尽くすこと自体に価値がある。人と地球環境の調和を目指す中で、あるいは調和を実現するために、さまざまな意見を統合することが求められるわけです。
だからこそ、「デザイン」が果たせる役割が大きい。デザイナーは、ヒトとモノにまつわる事柄を統合的に考える役割を担うからです。僕がよく使うデザインの定義で気に入っているのが、「デザインとは、ヒューマンファクターを考えることと統合思考の掛け算である」というもの。統合思考とは、2つ以上の要素が調和した状態を目指す思考のことです。
つまり、「人間とそれ以外の何かを統合的に思考すること」がデザインというわけです。たとえば、プロダクトデザインというのは、人間を中心にプロダクトを統合思考で考えること。はたまたグラフィックデザインは、人間とグラフィックを統合的に考えること。ビジネスの最下流で「こんな感じで」と指示されたままグラフィックをデザインするのは、デザインとはいえないんですよ。ヒューマンファクターも統合思考も、そこにはないので。
──人と地球環境との調和を目指してさまざまなステークホルダーが入り乱れるからこそ、デザインによる統合が力を発揮すると。
田川:まさしく。デザイナーは常に人間という要素とその他の要素を統合し、調和している状態を目指している。だからこそ、デザイナーはチームのファシリテーションが上手い人も多いんです。
いろんな専門性を持った人が集まるチームの中で、さまざまな意見を統合的に考える。そして、みんなの抽象的な意見を調和させ、形があるものに落として提示する。それがデザインの威力だと思います。
増えたのはCXOやCDOの肩書だけ?まだまだ“2合目”のデザイン経営
──デザインが本来持っているポテンシャルの大きさに気づかせてくれる、とても刺激的なお話です。
土屋:ただ、まだまだ課題は山積です。
『「デザイン経営」宣言』以降、グッドパッチにはさまざまな産業に属する企業からの依頼が寄せられるようになりました。『「デザイン経営」宣言』によって、経営者を中心に、より多くの人にデザインの力を認識してもらえるようになったことを実感します。
しかし、デザイン経営の実行に不可欠な、経営を担えるデザイナーは全く足りていません。スタートアップにCXO(Chief Experience Officer)やCDO(Chief Design Officer)は増えましたが、残念ながら肩書を持つ人が増えただけの話にすぎない側面もある。「デザイナーとして、経営にも参画しています」ではなく、「経営者として、経営にデザインの力を活用しています」と言える人はまだまだ多くありません。
プロダクトをつくる能力はもちろん大事です。ただ、本当の意味で経営を理解し、デザインが持つ力を経営に活かせる人を増やしていくことが、次のステップだと思っています。
田川:たしかに、まだまだデザインの力が及んでいない領域があることは事実です。使いにくいデジタルプロダクトは世の中に溢れていますし、行政サービスにしても、すべての人が快適に使えるとは思えないものがたくさんある。
As is(現状)/To be(理想)で考えると、『「デザイン経営」宣言』は2018年当時のAs isを確かに前に進めたと思います。ですが、To beにはほど遠い。感覚的には2合目といったところ。そういった意味では、『「デザイン経営」宣言』を出して「これで良し」という評価では全くないんです。まだまだ、これからですよ。
[文]鷲尾諒太郎[取材・編]小池真幸[写真]今井駿介
人とチームのポテンシャルを活かす“組織ファシリテーション”の 技を習得するオンライン学習プログラム「CULTIBASE Lab」ではデザインにまつわる理論知や実践知も随時配信しています。ご興味のある方はぜひご参加ください。
CULTIBASE Labの詳細はこちら