実践者の知的生産が、「想定外」への対応力を育む:連載「知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論」第1回

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実践者の知的生産が、「想定外」への対応力を育む:連載「知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論」第1回

経営者やビジネスパーソンといった「実践者」が知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論とは? 自らの経験に向き合い「疑って、超える」ようになるための「実践研究方法論」を研究する、MIMIGURIのリサーチャー・西村歩による新連載。第1回は、マルカム・ノールズの「アンドラゴジー」論や佐々木毅の「学びの四段階」論を参照しつつ、実践者による知的生産の意義や要諦について考察します。

西村歩(にしむら・あゆむ)
株式会社MIMIGURIのリサーチャー(企業専属研究職)。東京大学大学院情報学環客員研究員。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。科学哲学・科学社会学を専門とし、修士課程ではデザイン学における実践研究方法論に関する調査に従事。現在はデザインファームに内在する実践知の形式知化を目的とした「実践知型研究組織」の概念構築に従事している。電子情報通信学会HCGシンポジウム2020にて「学生優秀インタラクティブ発表賞」、電子情報通信学会メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究会にて「MVE賞」を受賞。

自分の口から発せられる言葉が、誰かの言葉の借りごとになっている。何か重要な意思決定をしようとしても、自分に自信が持てず、「偉い人」の言葉に頼ってしまう。新しい知識に触れるのが好きで、毎日様々な情報に触れるけども、自分が新しい知識を生み出す側に立つことはない。そんな自分に対して「創造力がない」と葛藤するけども、もう自分に知的生産は無理であると諦めてしまう……誰しもがそのような経験をしたことがあるのではないでしょうか。

もしくは今までの職務経験の中で自分が蓄えてきたノウハウやスキルを、整理して組織内に伝え、流通させることができれば、より不確実な状況に対応できる強靭な組織を作ることができるかもしれない。ひいては社会に自分の知見を伝えることができれば、社会をより大きく発展させられるかもしれない……こうした動機は研究者が論文を投稿したり、本を執筆する動機付けになりうるものです。

しかし、どのように知を抽出し、整理して伝えれば良いかわからない──そういう方も少なくないでしょう。本連載では企業で普段働かれている経営者の方、サラリーパーソンの方、ひょっとしてピアニストやプロ野球選手の方、あらゆる実践者の方が「知的生産」に関わるための技術を論じていきます。誰かの知を借りごとするのではなく、自分自身で発展的な知を生成して、自己や組織のエンジンとして活用していく。そして自分オリジナルの知を社会に発信していく。そのために必要な「知の方法論」について論じていこうと思います。

成人による学習「アンドラゴジー」の重要性

私は今年の3月に大学院を修了したのですが、自分の周りにいる院生は社会人の方が多く、後輩にも自分よりも年上の方が見られる状況でした。また現在私が所属している研究室も過半数が社会人をしながら大学院生や研究生をされている方となっています。この状況を見ると、人間は何歳からでも学び直すことができ、人間の知的探究心に「年相応」は存在しないという当たり前の事実に改めて気づかされます。近年、文部科学省は「学び直し」を推進しており、一度社会人を経験された方が大学や大学院などで文字通り「学び直す」機会が増えています。その傾向は芸能人にも見られ、萩本欽一さん(コメディアン:駒澤大学)、田村淳さん(コメディアン:慶應義塾大学大学院)、桑田真澄さん(プロ野球選手:早稲田大学大学院)などが著名です。

「学び直し」とはいっても、いわゆる「現役の大学生の学び」と「学び直しで大学に入学された方の学び」は、そもそもの「学び」の性質が異なるものと想定されます。教育学者であるマルカム・ノールズは『成人学習者とは何か―見過ごされてきた人たち』の中で、子供の特性を持つ学習を「ペダゴジー」、成人の特性を持つ学習を「アンドラゴジー」と区分しました(ノールズ 2002)。ペダゴジーは社会的なプレッシャーや賞罰などによって動機づけられやすい学びであり、学習内容は年齢や発達段階によって決定されている教科内容を覚えることが中心となります。しかしアンドラゴジーは自己主導的で学習者自身の経験や立場によって学びが動機づけられる、内的な好奇心に基づく能動的な学習であることが想定されています。この点、上で挙げたような「学び直し」とはアンドラゴジーに基づく学びと考えられるかもしれません。

「学びの四段階」とは?「学習者」から「生産者」へ

「学び」に関連してもう一つ紹介したい書籍があります。政治思想学者の佐々木毅先生が2012年に著された『学ぶとはどういうことか』です。この本は自分の高校時代のバイブルで、この記事を書くために本棚から探し出しました。

佐々木先生は、東日本大震災は地震・津波・原発事故と「想定外」が幾多にも積み重なった状況だったと総括し、この経験から人間は過去の蓄積の中で得られた「想定内」の事柄を学ぶだけでなく、その想定の域を超えた「想定外」の事柄についてまで学び続けなければならないという事実が突き付けられたと論じています。そしてその「想定外」に対する学びに到達するために、佐々木先生は以下の「学びの四段階」を体系的に提唱されています。以下佐々木先生の『学ぶとはどういうことか』からの抜粋です(佐々木 2012)。

①知る
事実ないし確実とされている知識や情報を「知る」こと、記憶すること。大人になっても知識の獲得や情報の収集が必要であり、際限なく「勉強」は続いていく。

②理解する
原因と結果で示される因果関係に目配りしたり、物事の広範な構造に遡って事実とされていることを理解したりする。つまり個々の事象次章を「知る」ことや「記憶する」ことから、「どうしてそうなるのか」という問いに関心を移動させる。

③疑う
事実や事実関係の知識や情報は「それなりの」事実や事実関係であることは疑う余地はない。しかし「そもそもの」事実や、事実関係とされている知識や情報を「疑う」ことはでき、その既存の分析を「疑う」ことから新しい「問いかけ」が生じる。そして、それが「新しい」事実の発掘につながっていく。

④超える
「疑う」という段階を超えて、事実や現実に対置される新たな「適切な」可能性を追究し、時には新しい境地に帰依することを意味する。

前述の「アンドラゴジー」は自己主導的かつ内的好奇心に基づく学びとして紹介しました。たとえば今みなさんが読んでいるCULTIBASEというメディアでは、主にマネジメントやファシリテーションの領域を扱い、記事や動画を発信をしています。その結果、「①知る」「②理解する」までは、自発的に行うことも可能だと想定されます。

しかしその段階では、佐々木先生のいう「想定内」の範囲に留まった学びとなってしまいます。一方で、皆さんが向き合うビジネスや組織の状況は絶えず「想定外」のことばかりが起きがちです。その「想定外」に対処できるような自己を作り上げていくには、既に学んだ知識やフレームを③疑い、④超えていくことによる、「想定」の枠を超えた学びが要求されるとも考えられます。

知的生産能力は「想定外」への対応能力である

とりわけ佐々木先生は『学ぶとはどういうことか』で、東日本大震災で直面した現象はすべて人間にとって「想定外」だったことに触れ、いかにこれまでの人間社会は「想定外」に対する学びに到達できていなかったのかが語られていました。

しかし2022年現在、一人ひとりが「想定」の枠を超えた学び(すなわち、新しい事実の発掘や知の生産)が可能になったとしたら──実社会で「想定」を超えた状況が起きたとしても、一人ひとりが一身独立して対処することができる、そんなレジリエントな社会の実現に繋がるのではないかと期待されます。これらの考えを踏まえて、連載では以下のような目標設定をします。

【本連載の目標】
・知の学習者(知って理解する)になるだけでなく、知の生産者(疑って超える)になるにはどのような心構えや方法論が存在するか、その方法を体系的に論じていく

・「実践する知の生産者」として知的資産を創り出すことを通じて、想定外な事柄にも対処できる強靭な組織に貢献していく方法を論じる

私が専門としてきた「実践研究方法論」は、どんな立場の方であっても自分の身体に「研究者」を飼い、「疑って、超える」ことが出来るようになるための「知の方法論」を探究する分野であると考えています。またこの「疑って、超える」過程は「両利きの経営」でいうところの「知の探索・深化」にも深く関連する事柄でもあり、2022年に修正版が発表された「Creative Cultivation Model(CCM)」における「個人」レベルの探究をより詳細に説明するような知になることも期待されます。

2022年版「Creative Cultivation Model(CCM)」とは:組織の創造性をマネジメントするための見取り図

2022年版「Creative Cultivation Model(CCM)」とは:組織の創造性をマネジメントするための見取り図

なお、市販の書籍だけでも数多くの「知的生産術」に関する書籍が多く見られています。例えば東京大学大学院情報学環の吉見俊哉氏による『知的創造の条件 AI的思考を超えるヒント』や宮内泰介氏・上田昌文氏の『実践 自分で調べる技術』なども知的生産の書籍といえます。

しかし今回の記事の特徴は、それらの書籍にも可能な限り言及しつつも「日頃の実践的活動(すなわち日常業務)の中から、教授可能・伝達可能な新たな知見を生産して、組織や事業を豊かにする」方法を論じていく点にあります。つまりここで生成される知見は「教授可能(伝達可能)」という特徴を持ちます。その「教授可能」「伝達可能」であるとはどういうことかについては、今後の記事の中で言及していきます。

※また本記事の知見に関しては実務教育学会の論文誌「実務教育学研究」の第一巻第一号に掲載された論文『実務教育学の研究方法論としての「実務的帰納法」』で論じきれなかった内容でもあります。

参考文献
Maicom Knowles. Modern Practice of Adult Education: from Pedagogy to Andragogy. Association Press, 1980.マルカムノールズ(著),堀薫夫,三輪建二(著):成人教育の現代的実践―ベダゴジーからアンドラゴジーへ,鳳書房,2002.
佐々木毅:学ぶとはどういうことか,講談社,2012.
西村歩:実務教育学の研究方法論としての「実務的帰納法」,実務教育学研究,第一巻,第一号,2022.

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連載

知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論

経営者やビジネスパーソンといった「実践者」が知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論とは? 自らの経験に向き合い「疑って、超える」ようになるための「実践研究方法論」を研究する、MIMIGURIのリサーチャー・西村歩による新連載。

経営者やビジネスパーソンといった「実践者」が知を開き、巡らせ、結び合わせるための知の方法論とは? 自らの経験に向き合い「疑って、超える」ようになるための「実践研究方法論」を研究する、MIMIGURIのリサーチャー・西村歩による新連載。

著者

東京大学大学院情報学環客員研究員。東海大学経営学部非常勤講師。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。専門は実践研究方法論。現在は企業組織のナレッジマネジメントに関する研究活動に従事している。電子情報通信学会HCGシンポジウム2020にて「学生優秀インタラクティブ発表賞」、電子情報通信学会メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究会にて「MVE賞」を受賞。

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