イノベーションのジレンマを乗り越える方法として近年「両利きの経営(ambidexterity)」という組織学習の概念が注目を集めています。”両利き”という名の通り、既存事業を持続的に深めていく「知の深化(Exploitation)」だけでなく、実験と学習を繰り返して新規事業を開拓する「知の探索(Exploration)」の両輪を同時に回していくことで、継続的なイノベーションとサバイバルを実現していく考え方です。
日本でも第一人者であるオライリーとタッシュマンの著書『両利きの経営―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』が2019年に翻訳出版され、注目を集めています。一見すると大企業向けの理論だと思われがちですが、ベンチャー企業にとっても他人事ではありません。コロナ禍において、あらゆる企業が変化に対応する強い組織を作るために、”両利き”を実践する必要が高まっているように思います。
知の深化(Exploitation)
既存の事業を深めていくこと。絶え間ない改善を重視。
知の探索(Exploration)
新しい事業を開拓すること。実験と行動を通した学習を重視。
経営における「両利き」とは、「知の深化」と「知の探索」という2つの異なるモードを両立させることです。組織が変化し続ける状態を生み出す、イノベーションの処方箋として最注目されている経営理論です。
CULTIBASE編集部では、「両利きの経営」について海外の研究動向についてレビューを続け、自分たちでも研究を進めています。本記事では、これまでの研究のおおまかな変遷と、両利きの経営を実現するための以下の3つのアプローチについて整理したいと思います。
1. 両利きの連続的アプローチ(Sequential Ambidexterity):時間の経過とともに組織構造をシフトさせることで、両利きを達成する
2. 両利きの構造的アプローチ(Structural Ambidexterity):組織内にリソースを共有したサブユニットを結成することで、同時に両利きを達成する
3. 両利きの文脈的アプローチ(Contextual Ambidexterity):個人が探索と深化の間で時間を分けられるように組織の機能を設計することで、両利きを達成する
1976年に提唱された「両利きの連続的アプローチ」
「両利きの経営」の研究が劇的に進んだのはこの20年間のあいだの出来事ですが、実は初めて経営学において”両利き”という言葉が使われたのは1976年、ロバート・ダンカンによる研究論文でした。
当初は、企業は時間の経過とともに、「深化」のモードから、「探索」のモードへと構造をシフトすることによってイノベーションに対応することが提案されていました。既存事業が軌道乗ってきたタイミングで、徐々に新規事業の探索モードに切り替えていく、というスタンスです。これはのちに「連続的(Sequential)」もしくは「時間的(Temporal)」な両利きのアプローチとして、研究が継続されています。”両利き”というよりかは、利き手がある程度うまくいったら、徐々に反対の手も使っていきましょう、という提案でしょうか。本記事では、「連続的アプローチ」としておきます。
両利きの連続的アプローチ(Sequential Ambidexterity):
時間の経過とともに組織構造をシフトさせることで、両利きを達成する*1
イノベーションのジレンマを乗り越える「両利きの構造的アプローチ」
いわゆる現代の”両利き”の考え方が登場するのは、実はここからです。日本で出版された書籍『両利きの経営』の著者らであるタッシュマンとオライリーによる1996年の研究論文によって、概念がアップデートされました。それが、「時間的アプローチ」によって構造を変えるのではなく、深化を担当するユニットと探索を担当するユニットを組織内に結成し、社内のリソースを十分に共有しながら、「同時」に深化と探索を推進するアプローチです。別々に行うのではなく、2つの異なるモードを並列して実践するのです。これを企業の部署構造によって実現することから、これを「両利きの構造的アプローチ」と言います。
両利きの構造的アプローチ(Structural Ambidexterity):
組織内にリソースを共有したサブユニットを結成することで、同時に両利きを達成する*2
この考え方が「イノベーションのジレンマ」に対する解として注目を集めました。日本企業に普及している「両利きの経営」のアプローチは、主にこの「構造的アプローチ」であるといえるでしょう。このアプローチはシンプルに見えて、”言うは易し”で、「知の探索」を担当するチームを独立部隊としてスピンアウトさせたまま、社内のリソースを共有せずに孤立させると、活動が持続せず、うまくいかないことが指摘されています。
企業にとっての競争優位性の源泉は、「知の深化」によって獲得した成功の最中にある既存事業のリソースであるはずです。「知の探索」を担当するチームが、きちんと既存事業のリソースを活用できるような仕組みや、「知の探索」を後押しするトップの強いリーダーシップが必要であることが、先行研究では提案されています。
また、企業のアイデンティティ(CI)を見つめ直す必要もあるでしょう。アイデンティティとは、「自分たちが何者であるか」についての共通理解です。多くの場合、自社のアイデンティティは成功している既存事業に由来するものであるはずです。両利きを成功させるためには、「知の探索」を正当化する新たなアイデンティティの構築が必要になるのです。
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全員で深化と探索を推進する「両利きの文脈的アプローチ」
現在主流となっているアプローチは「構造的アプローチ」ですが、両利きのアプローチはこれだけではありません。ギブソンとバーキンショウは、時間的アプローチと構造的アプローチの性質を踏まえながらも、新たに「文脈的アプローチ」と呼ばれる両利きの方法を2004年に提唱しました。文脈的アプローチとは、ユニットレベルで分担するのではなく、一人ひとりの個人が、業務において探索的活動と深化的活動のバランスが取れるように、組織の機能や制度を設計する方法です。
両利きの文脈的アプローチ(Contextual Ambidexterity):
個人が探索と深化の間で時間を分けられるように組織の機能を設計することで、両利きを達成する*3
もちろん「文脈的アプローチ」には限界や難しさもあります。既存事業を安定させる「知の深化」は、ある程度トップダウン的な目標管理手法でも推進することができますが、個人の「知の深化」については、従業員一人ひとりの創造性やモチベーションを期待することになるため、トップダウン型のマネジメントとはまた違ったボトムアップ型のファシリテーションスキルや制度設計が必要だからです。
3つのアプローチは組み合わせが可能
以上、両利きの経営には3つのアプローチが存在することをこれまでの研究のおおまかな変遷から紹介しました。
1. 両利きの連続的アプローチ(Sequential Ambidexterity):時間の経過とともに組織構造をシフトさせることで、両利きを達成する
2. 両利きの構造的アプローチ(Structural Ambidexterity):組織内にリソースを共有したサブユニットを結成することで、同時に両利きを達成する
3. 両利きの文脈的アプローチ(Contextual Ambidexterity):個人が探索と深化の間で時間を分けられるように組織の機能を設計することで、両利きを達成する
大事なことは、これらの両利きの3つのアプローチは、時系列に誕生したものの、どれが優れていて、どれが劣っているというものではなく「組み合わせて実践することができる」ということがいくつかの事例から示唆されています。
以上、「両利きの経営」のこれまでの研究動向をレビューしながら、「連続的アプローチ」「構造的アプローチ」「文脈的アプローチ」の3種類について概観してきました。CULTIBASEでは、引き続き編集部で「両利きの経営」の実践と研究を継続し、ナレッジを紹介していければと思います。
参考
*1 Duncan, R. B. (1976), The ambidextrous organization: Designing dual structtires for innovation. In R, H, Kilmarm, L, R. Pondy, & D, Slevin (Eds,), The manage- ment of organization design: Strategies and implementation (pp. 167-188). New York: North Holland
*2 Tushman, M. L., & O’Reilly, C. A. (1996). The ambidextrous organization: Managing evolutionary and revolutionary change. California Management Review, 38, 1-23.
*3 Gibson, C. B., & Birkinshaw, J. (2004), The antecedents, consequences, and mediating role of organizational ambidexterity. Academy ofManagement fournal, 47, 209-226.