こんにちは、舘野泰一です。私は立教大学経営学部の准教授として、若年層を対象にしたリーダーシップ教育に関する研究・実践をしています。
本連載では「リーダーシップ教育の最前線」として、リーダーシップ教育の背景となる理論や、実践の手法について紹介します。
これまでの記事では、
・第1回 新しいリーダーシップの考え方について知る
・第2回 リーダーシップ教育の実践の概要について知る
・第3回 学習者にとってちょうど良い「課題」を設計するための勘所
・第4回 リーダーシップを育むための「より振り返り」とは?
・第5回 「つい、リーダーシップを学んでしまう」環境をどうデザインするか?
・第6回 「矛盾」を力に変える。新しい時代のリーダーシップとは?
・第7回 「自分軸」を持ったリーダーシップを育むためには?
について取り扱ってきました。
今回のテーマは「リーダーがリーダーらしく振る舞うためには?」です。
「全員発揮のリーダーシップ」によってリーダーが抱える困難
リーダーがリーダーらしく振る舞う。「そんなこと当たり前じゃないか」と思うかもしれません。しかし、リーダーとして真剣にチームに向き合うほど、リーダーらしく振る舞うことは難しくなります。
・組織のみんなを巻き込みたい
・みんなを平等に扱いたい
・みんなに組織の問題を自分ごととして考えてほしい
と思えば思うほど、リーダーが抱える負担は上がっていきます。
例えば、
・意思決定に多くの人を巻き込みすぎる
・多くの人を巻き込みすぎるので責任が曖昧になる
・だれが何を決めたのかが不明確なので、行動につながらない
といった状況になることも多いのではないでしょうか。
もちろん、多くの人を組織に巻き込むことは大切です。このコラムでもリーダーシップは「リーダーだけ」が発揮するのではなく、「全員発揮が大切」であることを伝えてきました。(理論的な背景として「シェアド・リーダーシップ」の考え方があります)
一方で、「全員発揮のリーダーシップ」が、ともすると極端な「フラット至上主義」に陥り、リーダーはリーダーらしい行動がとれず、メンバーは言いたいことは言うけれど、責任の所在が曖昧で、結局行動につながらないことも珍しい状況ではありません。
シェアド・リーダーシップは、役職や権限を否定しているものではありませんが、少し誤解されたかたちで解釈されている部分もあるように感じています。こうした状況も踏まえ、リーダーになるためにはどのようなトレーニングが必要なのかについて説明していきます。
リーダーによるパワー放棄の4つの例と生じる課題
「リーダーらしいふるまい」を考える上では、リーダーの持つパワー(権限など)を考えることが重要です。パワーには負の側面があり、権限を乱用したり、恣意的に利用したりすることはもちろん大きな問題です。
その一方で、リーダーが自分の権限を適切に使わずに、「パワーの放棄」をしてしまうことも同じくらい大きな問題です。ロン・カルッチ(2015)の文献では、100人以上の新任幹部を含む約2700人のインタビューをおこなった調査をもとに、「パワー放棄の4つのパターン」が整理されています。文献をもとに、パワー放棄の具体例と、それによる悪影響を整理しました。
詳細は図の通りですが、あえて少し乱暴にまとめると、以下のようなことが起こっているのではないでしょうか。
「リーダーが決断をせず、意思決定に周りを巻き込みすぎ、なんでもYesと言い過ぎるので、組織全体が混乱する。その混乱の責任も回避したいので、部下の低パフォーマンスについての指導ができずに、組織が停滞する」
なかなか怖い現象ですが、こういうことはよくありそうですね。
そもそも、どうしてリーダーのパワーの放棄が起こるのでしょうか。さきほど紹介した文献によると、
・部下を平等に扱いたい
・部下には自分は評価されていると感じてもらいたい
・組織の一員だと実感してもらいたい
・難しい決断に伴うリスクを回避したい
という理由が挙げられていました。「部下に好かれたい・喜ばせたいというニーズや、破滅的な失敗をしたくないという恐れによって、無力感を感じている」ことが指摘されています。
これらの理由は、必ずしも悪意によったものではなく、部下を思うからこそ起こる問題とも言えます。また、リスクや失敗に対する恐れも影響しています。こうした気持ちはとてもよく理解できるものです。
しかし、「リーダーが持つ力」は、リーダーにしか行使することができません。役職や権限を持っている人も、持っていない人も全員がリーダーシップを発揮することが大切なのですが、「権限を持っているからこそやるべきリーダーシップ」があるということです。
それを理解せずに、行動をしていると、責任範囲が曖昧になり、だれも責任を取らない組織になってしまうのです。
リーダーがリーダーらしく振る舞うためのトレーニングとは?
フラットな組織において、 リーダーが適切にパワーを行使できるようになるためには、どのようなリーダーシップ教育が必要になるでしょうか。筆者自身もいままさにその問題に取り組みながら、大学の中で教育実践を模索しています。今回は、その試行錯誤の中から2つのアプローチについて紹介したいと思います。
1つ目は「責任と権限を明確にしたリーダーシップ発揮の練習をすること」です。これは一見当たり前のようなのですが、学生同士のグループワークでは、関係性がフラットであるため、なかなかこうした練習をする機会が少ないという現状があります。
もちろん、「全員発揮のリーダーシップ」を学ぶ初期段階では、「あえてリーダーなどの役割を決めない」ことが、「権限や役割を使わずに、周りの人にいかに影響を与えるか」を考える練習になります。
そのため、立教大学の授業でも、入門の授業では「あえて役職などをつけずに、権限を使わないで人を動かすリーダーシップ」を練習しています。これは最初の一歩として非常に重要なトレーニングです。
しかし、次のステップとして、役職や権限が存在する状態の中で、
・責任・権限を持っている人がどのようなリーダーシップを発揮するのか?
・責任・権限が明確な中で、権限がない人がどのようなリーダーシップを発揮するのか?
を考えることは、リーダーシップのトレーニングとして重要な課題だと認識しています。これについてまだ具体的なプログラムを実施しているわけではないのですが、今後は「責任や権限を明確にする」、その中で「大事な意思決定をする練習をする」ことが重要だと考えています。
学生時代のグループワープでは、どうしても困ったことがあったり、意思決定をしなくてはいけないことがあると、「じゃんけん」で決めてしまったり、すぐに「多数決」にしてしまったりする傾向があります。もちろん多数決自体が悪い方法ではありません。しかし、よく議論しないままにこの2つの方法で決めてしまうのは、責任や意思決定の主体を曖昧にしてしまうデメリットがあります。
そうではなく、いろいろな意見がある中で、これはだれが決めるのか、なぜそう決めるのかを「決め切る体験」をしてもらう練習が重要だと考えています。これは次のポイントにも関連します。
2つ目は「自分の意見やスタンスをとる練習をすること」です。そもそも、我々は「自分の意見やスタンスを表明すること」に慣れていないのではないでしょうか。
リーダーは、直感的に「いやだ」「よい」という反応をするのではなく、自分はどういう立場なのかを明確にし、意見を表明する必要があります。しかし、意見を持つことに慣れていなかったり、対立を恐れたりするあまりに、「なんとなく全体としての雰囲気」で意見を決めてしまいます。
こうした問題意識は、ちきりんさんの「自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ」(ダイヤモンド社)とも共通する点です。本書の中でも、「リーダーシップの最初の一歩」として、自分の意見をもつことの重要性が指摘されています。
リーダーとして、部下やメンバーに「あなたはどう思う?」と聞く姿勢は重要です。しかし、それは自分自身もその問題について考え抜いていることが条件です。あなた自身の意見がない中で、メンバーに嫌われないことを目標として、部下の提案に「Yes」と答えているのはリーダーシップとは言えません。
もちろんこうした姿勢は、チームメンバー全員に求められていることですが、リーダーがこうした行動を放棄して、メンバーにリーダーシップを発揮してほしいといっても、チームがうまくいくわけはありません。
まず自分自身がどのような立ち位置に立っているかを明確に表明して議論するようなトレーニングが必要です。そのためには、前回の記事でも述べた「自分軸の明確化」をし、自分の立ち位置を明確にするトレーニングをする必要があると考えられます。
まとめ
今回は「リーダーがリーダーらしく振る舞うためには?」をテーマにコラムを書いてきました。全員発揮のリーダーシップは非常に重要なのですが、それをある意味での「逃げ道」にして、リーダーとしての力を放棄してしまうと、組織は前に進みません。リーダーとして適切にパワーを行使することは非常に重要です。
しかし、どうしても部下やメンバーの顔色を気にするあまりに、「意思決定に人を巻き込みすぎたり、周りの意見をまとめたりするだけになってしまう」ことはよくあるのではないかと思います。
そうならないためには、「リーダーが適切に力を行使することが重要」であることを認識した上で、自分の意見を持ち、他者と議論しながらも、決め切る経験をすることが大切です。こうした行動ができる背景には、前回のコラムでも述べた「自分軸を持つこと」が鍵になるでしょう。
自分の意見を持ったり、議論したりすることは、他者と軋轢を生んでしまうように感じて少し怖いことのようにも感じるかもしれません。しかし、リーダーの役割は、組織全体が前に進むために、自分自身の役割を全うすることです。 こうした「つよさ」や、失敗や恐怖と向き合える「やわらかさ(レジリエンスとも近いかもしれません)」を身につけることが、今後のリーダーシップ教育においても重要な論点といえるでしょう。
詳細は図の通りですが、あえて少し乱暴にまとめると、以下のようなことが起こっているのではないでしょうか。
「リーダーが決断をせず、意思決定に周りを巻き込みすぎ、なんでもYesと言い過ぎるので、組織全体が混乱する。その混乱の責任も回避したいので、部下の低パフォーマンスについての指導ができずに、組織が停滞する」
なかなか怖い現象ですが、こういうことはよくありそうですね。
そもそも、どうしてリーダーのパワーの放棄が起こるのでしょうか。さきほど紹介した文献によると、
・部下を平等に扱いたい
・部下には自分は評価されていると感じてもらいたい
・組織の一員だと実感してもらいたい
・難しい決断に伴うリスクを回避したい
という理由が挙げられていました。「部下に好かれたい・喜ばせたいというニーズや、破滅的な失敗をしたくないという恐れによって、無力感を感じている」ことが指摘されています。
これらの理由は、必ずしも悪意によったものではなく、部下を思うからこそ起こる問題とも言えます。また、リスクや失敗に対する恐れも影響しています。こうした気持ちはとてもよく理解できるものです。
しかし、「リーダーが持つ力」は、リーダーにしか行使することができません。役職や権限を持っている人も、持っていない人も全員がリーダーシップを発揮することが大切なのですが、「権限を持っているからこそやるべきリーダーシップ」があるということです。
それを理解せずに、行動をしていると、責任範囲が曖昧になり、だれも責任を取らない組織になってしまうのです。
リーダーがリーダーらしく振る舞うためのトレーニングとは?
フラットな組織において、 リーダーが適切にパワーを行使できるようになるためには、どのようなリーダーシップ教育が必要になるでしょうか。筆者自身もいままさにその問題に取り組みながら、大学の中で教育実践を模索しています。今回は、その試行錯誤の中から2つのアプローチについて紹介したいと思います。
1つ目は「責任と権限を明確にしたリーダーシップ発揮の練習をすること」です。これは一見当たり前のようなのですが、学生同士のグループワークでは、関係性がフラットであるため、なかなかこうした練習をする機会が少ないという現状があります。
もちろん、「全員発揮のリーダーシップ」を学ぶ初期段階では、「あえてリーダーなどの役割を決めない」ことが、「権限や役割を使わずに、周りの人にいかに影響を与えるか」を考える練習になります。
そのため、立教大学の授業でも、入門の授業では「あえて役職などをつけずに、権限を使わないで人を動かすリーダーシップ」を練習しています。これは最初の一歩として非常に重要なトレーニングです。
しかし、次のステップとして、役職や権限が存在する状態の中で、
・責任・権限を持っている人がどのようなリーダーシップを発揮するのか?
・責任・権限が明確な中で、権限がない人がどのようなリーダーシップを発揮するのか?
を考えることは、リーダーシップのトレーニングとして重要な課題だと認識しています。これについてまだ具体的なプログラムを実施しているわけではないのですが、今後は「責任や権限を明確にする」、その中で「大事な意思決定をする練習をする」ことが重要だと考えています。
学生時代のグループワープでは、どうしても困ったことがあったり、意思決定をしなくてはいけないことがあると、「じゃんけん」で決めてしまったり、すぐに「多数決」にしてしまったりする傾向があります。もちろん多数決自体が悪い方法ではありません。しかし、よく議論しないままにこの2つの方法で決めてしまうのは、責任や意思決定の主体を曖昧にしてしまうデメリットがあります。
そうではなく、いろいろな意見がある中で、これはだれが決めるのか、なぜそう決めるのかを「決め切る体験」をしてもらう練習が重要だと考えています。これは次のポイントにも関連します。
2つ目は「自分の意見やスタンスをとる練習をすること」です。そもそも、我々は「自分の意見やスタンスを表明すること」に慣れていないのではないでしょうか。
リーダーは、直感的に「いやだ」「よい」という反応をするのではなく、自分はどういう立場なのかを明確にし、意見を表明する必要があります。しかし、意見を持つことに慣れていなかったり、対立を恐れたりするあまりに、「なんとなく全体としての雰囲気」で意見を決めてしまいます。
こうした問題意識は、ちきりんさんの「自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ」(ダイヤモンド社)とも共通する点です。本書の中でも、「リーダーシップの最初の一歩」として、自分の意見をもつことの重要性が指摘されています。
リーダーとして、部下やメンバーに「あなたはどう思う?」と聞く姿勢は重要です。しかし、それは自分自身もその問題について考え抜いていることが条件です。あなた自身の意見がない中で、メンバーに嫌われないことを目標として、部下の提案に「Yes」と答えているのはリーダーシップとは言えません。
もちろんこうした姿勢は、チームメンバー全員に求められていることですが、リーダーがこうした行動を放棄して、メンバーにリーダーシップを発揮してほしいといっても、チームがうまくいくわけはありません。
まず自分自身がどのような立ち位置に立っているかを明確に表明して議論するようなトレーニングが必要です。そのためには、前回の記事でも述べた「自分軸の明確化」をし、自分の立ち位置を明確にするトレーニングをする必要があると考えられます。
まとめ
今回は「リーダーがリーダーらしく振る舞うためには?」をテーマにコラムを書いてきました。全員発揮のリーダーシップは非常に重要なのですが、それをある意味での「逃げ道」にして、リーダーとしての力を放棄してしまうと、組織は前に進みません。リーダーとして適切にパワーを行使することは非常に重要です。
しかし、どうしても部下やメンバーの顔色を気にするあまりに、「意思決定に人を巻き込みすぎたり、周りの意見をまとめたりするだけになってしまう」ことはよくあるのではないかと思います。
そうならないためには、「リーダーが適切に力を行使することが重要」であることを認識した上で、自分の意見を持ち、他者と議論しながらも、決め切る経験をすることが大切です。こうした行動ができる背景には、前回のコラムでも述べた「自分軸を持つこと」が鍵になるでしょう。
自分の意見を持ったり、議論したりすることは、他者と軋轢を生んでしまうように感じて少し怖いことのようにも感じるかもしれません。しかし、リーダーの役割は、組織全体が前に進むために、自分自身の役割を全うすることです。 こうした「つよさ」や、失敗や恐怖と向き合える「やわらかさ(レジリエンスとも近いかもしれません)」を身につけることが、今後のリーダーシップ教育においても重要な論点といえるでしょう。
詳細は図の通りですが、あえて少し乱暴にまとめると、以下のようなことが起こっているのではないでしょうか。
「リーダーが決断をせず、意思決定に周りを巻き込みすぎ、なんでもYesと言い過ぎるので、組織全体が混乱する。その混乱の責任も回避したいので、部下の低パフォーマンスについての指導ができずに、組織が停滞する」
なかなか怖い現象ですが、こういうことはよくありそうですね。
そもそも、どうしてリーダーのパワーの放棄が起こるのでしょうか。さきほど紹介した文献によると、
・部下を平等に扱いたい
・部下には自分は評価されていると感じてもらいたい
・組織の一員だと実感してもらいたい
・難しい決断に伴うリスクを回避したい
という理由が挙げられていました。「部下に好かれたい・喜ばせたいというニーズや、破滅的な失敗をしたくないという恐れによって、無力感を感じている」ことが指摘されています。
これらの理由は、必ずしも悪意によったものではなく、部下を思うからこそ起こる問題とも言えます。また、リスクや失敗に対する恐れも影響しています。こうした気持ちはとてもよく理解できるものです。
しかし、「リーダーが持つ力」は、リーダーにしか行使することができません。役職や権限を持っている人も、持っていない人も全員がリーダーシップを発揮することが大切なのですが、「権限を持っているからこそやるべきリーダーシップ」があるということです。
それを理解せずに、行動をしていると、責任範囲が曖昧になり、だれも責任を取らない組織になってしまうのです。
リーダーがリーダーらしく振る舞うためのトレーニングとは?
フラットな組織において、 リーダーが適切にパワーを行使できるようになるためには、どのようなリーダーシップ教育が必要になるでしょうか。筆者自身もいままさにその問題に取り組みながら、大学の中で教育実践を模索しています。今回は、その試行錯誤の中から2つのアプローチについて紹介したいと思います。
1つ目は「責任と権限を明確にしたリーダーシップ発揮の練習をすること」です。これは一見当たり前のようなのですが、学生同士のグループワークでは、関係性がフラットであるため、なかなかこうした練習をする機会が少ないという現状があります。
もちろん、「全員発揮のリーダーシップ」を学ぶ初期段階では、「あえてリーダーなどの役割を決めない」ことが、「権限や役割を使わずに、周りの人にいかに影響を与えるか」を考える練習になります。
そのため、立教大学の授業でも、入門の授業では「あえて役職などをつけずに、権限を使わないで人を動かすリーダーシップ」を練習しています。これは最初の一歩として非常に重要なトレーニングです。
しかし、次のステップとして、役職や権限が存在する状態の中で、
・責任・権限を持っている人がどのようなリーダーシップを発揮するのか?
・責任・権限が明確な中で、権限がない人がどのようなリーダーシップを発揮するのか?
を考えることは、リーダーシップのトレーニングとして重要な課題だと認識しています。これについてまだ具体的なプログラムを実施しているわけではないのですが、今後は「責任や権限を明確にする」、その中で「大事な意思決定をする練習をする」ことが重要だと考えています。
学生時代のグループワープでは、どうしても困ったことがあったり、意思決定をしなくてはいけないことがあると、「じゃんけん」で決めてしまったり、すぐに「多数決」にしてしまったりする傾向があります。もちろん多数決自体が悪い方法ではありません。しかし、よく議論しないままにこの2つの方法で決めてしまうのは、責任や意思決定の主体を曖昧にしてしまうデメリットがあります。
そうではなく、いろいろな意見がある中で、これはだれが決めるのか、なぜそう決めるのかを「決め切る体験」をしてもらう練習が重要だと考えています。これは次のポイントにも関連します。
2つ目は「自分の意見やスタンスをとる練習をすること」です。そもそも、我々は「自分の意見やスタンスを表明すること」に慣れていないのではないでしょうか。
リーダーは、直感的に「いやだ」「よい」という反応をするのではなく、自分はどういう立場なのかを明確にし、意見を表明する必要があります。しかし、意見を持つことに慣れていなかったり、対立を恐れたりするあまりに、「なんとなく全体としての雰囲気」で意見を決めてしまいます。
こうした問題意識は、ちきりんさんの「自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ」(ダイヤモンド社)とも共通する点です。本書の中でも、「リーダーシップの最初の一歩」として、自分の意見をもつことの重要性が指摘されています。
リーダーとして、部下やメンバーに「あなたはどう思う?」と聞く姿勢は重要です。しかし、それは自分自身もその問題について考え抜いていることが条件です。あなた自身の意見がない中で、メンバーに嫌われないことを目標として、部下の提案に「Yes」と答えているのはリーダーシップとは言えません。
もちろんこうした姿勢は、チームメンバー全員に求められていることですが、リーダーがこうした行動を放棄して、メンバーにリーダーシップを発揮してほしいといっても、チームがうまくいくわけはありません。
まず自分自身がどのような立ち位置に立っているかを明確に表明して議論するようなトレーニングが必要です。そのためには、前回の記事でも述べた「自分軸の明確化」をし、自分の立ち位置を明確にするトレーニングをする必要があると考えられます。
まとめ
今回は「リーダーがリーダーらしく振る舞うためには?」をテーマにコラムを書いてきました。全員発揮のリーダーシップは非常に重要なのですが、それをある意味での「逃げ道」にして、リーダーとしての力を放棄してしまうと、組織は前に進みません。リーダーとして適切にパワーを行使することは非常に重要です。
しかし、どうしても部下やメンバーの顔色を気にするあまりに、「意思決定に人を巻き込みすぎたり、周りの意見をまとめたりするだけになってしまう」ことはよくあるのではないかと思います。
そうならないためには、「リーダーが適切に力を行使することが重要」であることを認識した上で、自分の意見を持ち、他者と議論しながらも、決め切る経験をすることが大切です。こうした行動ができる背景には、前回のコラムでも述べた「自分軸を持つこと」が鍵になるでしょう。
自分の意見を持ったり、議論したりすることは、他者と軋轢を生んでしまうように感じて少し怖いことのようにも感じるかもしれません。しかし、リーダーの役割は、組織全体が前に進むために、自分自身の役割を全うすることです。 こうした「つよさ」や、失敗や恐怖と向き合える「やわらかさ(レジリエンスとも近いかもしれません)」を身につけることが、今後のリーダーシップ教育においても重要な論点といえるでしょう。