誤解されがちな議論と対話の違い|CULTIBASE Radio|Management #6

誤解されがちな議論と対話の違い|CULTIBASE Radio|Management #6

/約11分
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CULTIBASE Radioは、人やチームの創造性を高める知見を音声でお届けします。 CULTIBASE Radio マネジメントの6回目では、CULTIBASE編集長の安斎勇樹と株式会社MIMIGURI Co-CEOのミナベトモミが、「誤解されがちな議論と対話の違い」についてディスカッションしました。

  • 『問いのデザイン』にもある通り、対話は雑談・討論・議論などと混同されやすい。「対話=とりあえず話す」ことになってはいないだろうか?議論などとの違いを踏まえ、今一度「対話とは何か」ということに立ち返ってみたい。
  • 簡単な回答としては、「雑談」はお互いの印象を良くするもの、「討論」はどの主張が正しいかを決めるもの、「議論」は意思決定などの着地を決めるもの、そして「対話」はお互いの前提や意見の違いをわかり合おうとするもの、という違いがあると言える。
  • 意見が違うということは、違う前提に立っていたり大切にしたいものが違っていたりするはず。だからこそ「どうしてそう思っているのか」を分かろうとすることが対話においては大切にされる。
  • 最も理想的であるのは、お互いの意見を交わす上で、2人が共通の前提に立てるような新しい意味づけが生まれること。これが創造的対話と呼ばれるものである。
  • 例えば、安斎・ミナベが来期の育成研修の方針について意見が異なっていたとしよう。それぞれミナベは「クリエイティブにやりたい」、安斎は「ガツン!とやりたい」という意見だったとして、2人が「対話」をするとどうなるのだろうか?仮想の対話をしてみよう。
  • ミナベ「新しい目線を取り入れることで、若い人が時代を担えるようになっていくような文化づくりの姿勢にしたい」
    安斎「それは分かる。しかしそういう中長期的な目線で考えたとして、これまで若手が何人か辞めていったのは途中で慢心していたからではないか、と思っている」
    ミナベ「なるほど、じゃあ中長期的なところを見ているという点は同じだね」
    …と、このようにお互いの意見への解像度が上がってくることで新しい意味づけが生まれ、折り合いがつけられるようになってくる。
  • ただし、毎回毎回凄いアウトプットが生まれるものではない。分かり合えないなかでそれでも分かり合おうとしながら、日々、お互いの立っている前提に考えを及ぼすことが大切。これが対話のルーティンを作ることである。
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出演者

株式会社MIMIGURI 代表取締役Co-CEO

東京大学大学院 情報学環 客員研究員

1985年生まれ。東京都出身。私立武蔵高校、東京大学工学部卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。株式会社MIMIGURI 代表取締役Co-CEO/東京大学 特任助教授。

企業経営と研究活動を往復しながら、人と組織の可能性を活かした新しい経営・マネジメント論を探究している。主な著書に『問いのデザイン』、『問いかけの作法』、『パラドックス思考』、『リサーチ・ドリブン・イノベーション』、『ワークショップデザイン論』『チームレジリエンス』などがある。

X(Twitter)noteVoicyhttp://yukianzai.com/

株式会社MIMIGURI 代表取締役Co-CEO

早稲田大学卒業後、家電メーカー勤務を経て独立。現在は、MIMIGURIが提唱するCCM(Creative Cultivation Model)の理論開発を基盤に、大企業からメガベンチャーまで様々な多角化企業における、経営・組織変革の専門家として自社経営とコンサルティングにおいて実践を進めている。

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