組織メンバーの価値観や働き方の多様化などに伴い、部署をまたいだ関係性の構築やイノベーションの創出など、解決の難しい難題をどう紐解くか、多くの企業が頭を悩ませています。こうした難題を解決するためには、論理的思考にとらわれない発想力が必要不可欠です。
また、アイデア発想の方法論やフレームワークも数多く提唱されていますが、「根本的な発想力をいかに身につけるか」という点に関しては、どの企業も明確な答えを見出だせてはいません。私たちにとって、発想の源となるような要素や鍛えるべき筋力とは、いったい何なのでしょうか。
こうした問いに対して、普段から創作的な業務に取り組むデザイナーはどのような”答え”を持ち、実践しているのでしょうか。本記事では、デザイナーとしてのキャリアを持ち、デザイン研究者としても活躍してきた小田裕和(株式会社MIMIGURI)と瀧知惠美(同)による、「デザイナーの身体知としてのアブダクション」をテーマとした講義の内容をお届けします。
「結論」ではなく「仮説」を導く思考法:アブダクションとは何か
小田はまず、良いアイデアを生み出す「クリエイティブジャンプ」を起こすためには、「アブダクション」と呼ばれる認知の働きに目を向けることが大切だと語ります。
小田 アブダクションとは、「推論」と呼ばれる思考のプロセスの一つです。「推論」には3種類あると言われていて、一つ目が「演繹法」、二つ目が「帰納法」、そして三つ目が「アブダクション」です。
これらの違いを「日焼け」を例を挙げて説明していこうと思います。最初の「演繹法」は、一般的な法則を前提としなら、自身が観察する事実から推論を行う思考を指します。例えば、「日に照らされると日焼けする」という自然現象があり、「今日は日が出ている」という事実を確認したとします。そこから、「今日、外出したら日焼けするだろう」と結論づけることができます。これが演繹と呼ばれる考え方です。
次の「帰納法」は、演繹とは逆に、複数の事実や事例から一般的な法則を発見する思考プロセスです。日焼けの例で言えば、「先日外で遊んでいたら、日焼けをした」という経験があり、「その日は太陽が出ていた」という事実から、「太陽が出ている日は日焼けをする」という法則を導き出すことができます。観察される事実から仮説を導く点では、このあとに説明するアブダクションにも通ずる部分もありますが、帰納法の場合は、「同一の事象が複数の場面で起こっていること」を重視する点が特徴的で、アブダクションに比べてよりロジカルな思考であると言えるでしょう。
そして最後に紹介するのが「アブダクション」です。引き続き日焼けを例に取るなら、「太陽が出ている」ことがわかっていて、「家に帰ってきた子どもの肌が赤くなっている」ことが確認できたとします。そこから、「帰りに寄り道して遊んできたのではないか?」と、仮説を立てることができます。太陽が出ていることと、子どもの肌が赤くなっていることは必ずしも結びつくわけではありません。というよりも、結論ではなくあくまで可能性に気がつくことが、アブダクションの目的であり、意義だといえます。
「アブダクションにおいては、結論を出すことよりも、その前の『仮説』や『可能性』に気がつくことが重要」と小田は強調します。そして、デザインのような正解のない創造的な活動に取り組む上では、このアブダクションの働きがとりわけ大きな鍵を握っていると考えられます。
アブダクションの土台となる「面的な思考」とその鍛え方
それでは、デザイナーは普段、このアブダクションをどのように鍛え、活用しているのでしょうか。この点について理解を深める上で小田は、デザインを学ぶ学生に向けてよく提示される3種類の課題がヒントになりうると語ります。
小田 よくデザインのトレーニングとして、「アイデアをとにかく100個付箋に書き出してみる」や、「とにかく100枚スケッチを書いてみる」、あるいは「まずはプロトタイピングしてみる」など、数をたくさん出すことにこだわった課題が出されます。
「なぜ100個なのか?」とも思うんですが、その理由が説明されることはあまりありません。僕自身、学生の頃はなぜかわからないまま手を動かしていました。もちろん、「100個アイデアを出せば1つくらいは良い案が出るんじゃないか」とか、「たくさん描けばそれだけ上達するだろう」という側面もあると思います。でも、実はそれだけではないんじゃないかとも思っています。
小田 以前CULTIBASEで公開した、デザイン思考のルーツを探る記事でも述べたのですが、思考のプロセスには、「線的なプロセス」と「面的なプロセス」の二つがあると言われています。線的、つまり論理的に構成する力ももちろん大切なのですが、今回のテーマである「論理では説明できない飛躍した発想」は「面的な思考プロセス」によって生み出されることが多いと言われています。そして、先ほど紹介したデザイナーに特徴的な行為である付箋でのアイデア出しやスケッチ、プロトタイピングは、そうした「面的な思考プロセス」の土台となる「面」をつくる活動として捉えられるのではないか、と僕個人は考えています。
小田 付箋をたくさん書き出してみて、ふと俯瞰して見てみれば、それらの総体は「線」ではなく「面」となります。スケッチも、100枚描いてみたことで傾向や癖が見えてきて、「書いていなかったもの」に気がつくかもしれません。プロトタイピングの場合は、数多く失敗経験やその要因の集合体である「面」から、新しいアイデアがふと思い浮かんだりします。数を重ねて、それらを「面」として捉えることで、良さそうなアイデアが「仮説」として浮かび上がってくるのではないか、と考えています。
先ほど小田が日焼けの例を用いて説明したように、アブダクションとは複数の要素の「繋がり」から「仮説」や「可能性」を発見する認知の力です。様々な要素を「面」として拡げてみて、その繋がりから浮かび上がる仮説を良いアイデアの種として大切にすること。スケッチやプロトタイピングなどを日常的に行うデザイナーにはそのような姿勢が備わっているのではないかと、小田は指摘します。
小田 例えば、“名探偵コナン”などのミステリー作品では、探偵が収集した様々な手がかりがある瞬間にふと繋がって、事件の真相を「ひらめく」描写が多く出てきますよね。それらも、一つひとつは些細な情報が面として構成されて、その中の関係性に気がつくという点で、アブダクションが働いているシーンの一つと言えると思います。
その上で小田は、「いきなり飛躍した発想を出そうとするのではなく、まずは飛躍した発想が得られやすい『面』を作ったり、作り方を学んだりすることが大切」と語ります。また、導入するアイデア発想の方法論やフレームワークの効果をより高めていく上でも、アブダクションを始めとした身体知に目を向けることは重要になるとして、話題提供を締めくくっていました。
デザイナーの「面」を捉える思考を認知科学的に捉え直す
小田からはデザイナーの「行為」に着目し、「アブダクション」や「面的な思考」がどのようなプロセスのもとで行われているのか、解説が行われました。続いて瀧からは、主に認知科学の観点から、デザイナーの発想力を支えるメカニズムについて、講義が行われました。
瀧 私からは、デザイナーの発想がどう生まれるのか、認知科学における「構成的知覚」と呼ばれるテーマを切り口にお話できればと思います。今回お話する内容は、慶應大学の諏訪正樹先生の研究内容を参照してまとめたものです。
瀧 まずはこのスライドの真ん中の図を見てみてください。なんだかよくわかりませんよね(笑)。「構成的知覚」は、こういうなんだかよくわからないものを見た時の思考の働きを捉えたもので、「知覚的発見」と「概念的な意味づけ」の二つの要素によって構成されると言われています。順を追って説明していきたいと思います。
改めて、皆さんはこの図を見た時に、どんな印象を持つでしょうか。もしかしたら、丸が二つあるところに着目して、「目があるようだ」と思うかもしれません。このように、図の中で特定の箇所に注目することが、「知覚的発見」と呼ばれる認知であり、「構成的知覚」の最初のステップだと言われています。続いて、「目があるし、これは顔なのかもしれない」と、生き物に見立てて捉えることもできるかと思います。これが「概念的意味づけ連想」と呼ばれる認知の働きです。一部を「目」と見立てることで、全体が生き物に見えてくる。すなわち、目という一部の概念をヒントにして、全体を生物として意味づけていくわけですね。この「発見」と「意味づけ」の二つのプロセスを総称したものが「構成的知覚」となります。
瀧 もちろん、この図を顔以外にも捉えることもできます。例えば図形同士の接点に着目して、「絶妙なバランスで成り立っているもの」として見ることもできるかと思います。このように、「知覚的発見」と「意味づけ連想」を相互に往復しながら物事を捉えることが、デザイナーが物事を捉え、発想する能力として説明できると言われています。一般的に「センス」や「感性」と呼ばれるものを磨く上で、この「構成的知覚」の力を鍛えていくことが重要だと言われていますので、今回、デザイナーの発想を支える身体知の一つとしてご紹介させていただきました。
こうした「構成的知覚」の考え方は、先に小田が解説した「面的な思考」とも通ずる部分があるように感じられます。アイデア出しやスケッチ、プロトタイピングによって形成された「面」をどのように捉え、意味づけるのか。それらを考える上で、「構成的知覚」の視点の置き方は重要なヒントになりそうです。