「議論」と「対話」。どちらも仕事において用いられる言葉ですが、この2つはどう異なるのでしょうか?
対話も議論も、そこにいる人たちが発言しそれを受け取る営みという点では同じです。とはいえ、実際にリアルな場で「今、議論をしているのか?対話をしているのか?」というのは、曖昧になっているのではないでしょうか。
CULTIBASEが運営するオンラインコミュニティ「CULTIBASE Lab」で開催されるファシリテーションゼミの第2回では、対話と議論それぞれの定義に立ち返りながら、双方の間にある関係性や、それぞれがどのような場で必要とされるのかを話していきました。
議論は合意形成のための手段である
まず、ゼミの主催者である渡邉から「みなさんは、どんな場面で議論が必要だと感じますか?」という参加者への問いかけからスタート。参加者からは「意見が割れたとき」「お互いに主張をもったうえで、それぞれの根拠や論点、優先度の話し合い」「結論が必要なとき」といった意見が寄せられました。
「議論」の定義について、CULTIBASE編集長・安斎の著書『問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション』では、「納得解を決める話し合い」と説明されています。和泉は、議論を4つのレベルに分け、「納得解を決める話し合い」は一番レベルが高い議論であり、一般的にそのレベルに到達している議論は少ないのでは、と話します。では、それぞれのレベルにおける議論とはどのようなものなのでしょうか。
和泉「すべて最終的には合意形成がされますが、レベルによってその場にいる人たちの納得感が異なると考えています。議論の多くは、レベル1『声の大きい人が決める』やレベル2『多数決で決める』ではないかと思います。レベル3『妥協案を作る』というのは、全員が腑に落ちた状態ではなく、一番レベルが高いレベル4『納得案をつくる』というのは、お互いのこだわりも出し合った上で、全員が納得できる結論に落とし込みます」
続いて、議論を行って合意形成に至るまでのプロセスを4つの段階に分けてより詳細に説明します。参加者から「どのプロセスが難しいか?」という質問に対して、渡邉はそれぞれに難しさが存在すると話し、レベルごとの課題を語りました。
渡邉「議論のレベルによって、課題が存在する段階が異なります。レベル1『声の大きい人が決める』では、共有をするプロセスの1段階目『そもそも考えていることを言えているかどうか』というところに課題があります。
レベル2『多数決で決める』では、2段階目である情報・意見を整理する点において、整理するファシリテーターのバイアスが入ってしまうと、そもそも意見が整理されず、多数決をするために必要となる案としてまとまりません。
3段階目である統合において、レベル3『妥協案を作る』かレベル4『納得案を作る』になるのかが変わってきます。アイデアを提案することでは同じですが、レベル3では妥協案、つまりそこにいる人たちが納得というよりは、仕方ないという感情が大きい状態。例えば、出てきている意見を全部盛り込んでしまうという経験があるのではないでしょうか。
それに対し、レベル4の納得案に至る統合のプロセスでは、その場にいる人たちが心から納得する状態になります。そのためには、そこにいる人たちのこだわりや感情を出し合い、理解し合う必要がある。そこで、対話が必要になると考えています」
対話は、自分や他者をより理解するために価値観を探究的に語り合う
納得案に至るために、いかに統合のプロセスを進めるか。そのために対話が重要になります。主催者の2人から参加者に「対話とは何だと思いますか?」という質問が投げかけられると、「相互理解や新たな意味づけをつける話し合い」「対話は拡散、議論は収束」「悩み相談」「メンタリング、1on1」「占い」「雑談」「価値観のすり合わせ」「しっかりと相手の話を聞く、考えることを伝える」といった意見が寄せられました。
和泉「辞書的な定義では『向かい合って話すこと、またその話』とされており、対話を英語にすると『ダイアログ』で、語源でいうとギリシャ語でディアロゴス、ディアは『通して』、ロゴスは言葉や単語を意味するので、言葉や単語を通して語り合っていくことという意味になります。ですが、私はこの説明だけは表現しきれているとは思っていません。対話は、人によってイメージは異なるものだと思います」
和泉「僕たちは、対話を『あるテーマや体験のお互い意味づけ、意図、感情、大切にしている価値観を探究的に語り合って、自分や他者をより理解するためのコミュニケーション』だと捉えています。
対話は互いを理解していくことが目的なので、相手は自分とは違う存在であることを前提に置いています。なので、対話において、意見の正誤、勝ち負けを決める、答えを見出す、決めるのは目的ではありません。
また、対話は、他人とするものだけでなく自分とする自己内対話も含めます。その場合は、自分と対話する自分は、本来の自分という異なる存在としています」
対話で関係性のなかの「わかりあえなさ」を解消する
対話というコミュニケーション手段をどう捉えているのかを共有した上で、和泉は埼玉大学経済経営系大学院 准教授の宇田川 元一さんの著書『他者と働く』を引用しながら、「対話は適応課題を解決する手段」と話します。
和泉「適応課題というのは、人と人の関係性のなかに生じる、わかりあえなさやロジックでは解決できても実際には解決できない、ぐにゃっとした課題のことを指します。この課題を解決するには、『私とそれ』という関係性を『私とあなた』という関係性に作り直す必要があります」
和泉「『私とそれ』の関係性では、他者は自分と同じ価値観を持っていて、自分の思い通りになる存在と捉えている状態です。それを『私とあなた』とすることで、その人にも意思やバッググラウンドがあるということを認識し、自分の思い通りにいく存在ではないとした上で向かい合う状態になります」
参加者からも「自分の意見が『普通ってこうでしょ』と他の人と一緒という前提の人と対話する時は難しいなと思うことが多々あります」という意見が出され、渡邉は「誰しも気付かないうちに固定概念にとらわれていて、それを認識するのは難しい」と話します。
渡邉のコメントを受けて、和泉は固定概念のメカニズムを「仕様と意味」に分解して説明しました。仕様は客観的な事実・事象であり、それに対してどのような意味付けをするかは人によって異なります。
和泉「例えば、野球と聞いてイメージするのはチーム、選手、監督だったり、iPhoneであれば機能性、割れやすいだったりと、人によって持つイメージが異なりますよね。一番おもしろいと思ったのは、ギフトの意味です。
英語や日本語ではプレゼントという意味で使われますが、ドイツでギフトは『毒』という意味なんです。なので、ドイツで『ギフトをあげるよ』というと、全然うれしくないものとなってしまいます(笑)
このように、意味は置かれている状況や育ってきた環境などによって異なるからこそ、対話は自分では想像しきれない、相手が持つ価値観を共有し理解し合うために行われます」
対話の重要性を認識できたとしても、対話は急にできるものではありません。対話に至るまでには、いくつかのステップがあると和泉は語ります。
和泉「この図では、自分の意見や価値観をボールに見立てています。儀礼的会話は、自分の意見や価値観を隠して行う当たり障りのないコミュニケーション、その次の討論では心理的安全性が担保されて、ボールを隠さずに出せる状態になります。
次の領域である探究的対話は、一旦自分のボールを置いておいて、発言の背景や相手の発言を深ぼり、相手のボールを観察します。創造的対話は、ボールの解像度が上がってきて、相手の価値観やバッググラウンドを踏まえたうえで、お互いの関心や目的、目指したい未来を一緒に話し考える領域です」
対話とそうでないものの違いとして、儀礼的会話・討論では自分のボール、探究的対話・創造的対話では相手のボールというように、視点を置くボールが異なります。和泉は、もう一点、その会話をしているときにフォーカスしている時間が「過去」か「今」かという観点での違いについて話しました。
和泉「儀礼的会話と討論は、今まで大切にしてきた価値観、つまり『過去』のパターンを再現、具現化することに立脚し、探究的対話と創造的対話は、いま時間を共にしている人たちと新しい意味をつくりあげていきます。なので、対話は触れてきたことのない価値観、まだ持ってないものを知るために『今』を観察するので、観点が変わるんです」
対話と議論、適した方を状況に応じて見極める
今回のテーマである「対話と議論の交差点」に立ち返ると、レベルの高い議論をするには対話が必要だということになります。参加者からは「全員が納得した解答を出すために対話が大切だとは思っていても、会議の時間は決められた状態で始まるので、対話をするのは難しい」というコメントが寄せられました。和泉は、これは議論と対話の時間の捉え方が異なるからでは、といいます。
和泉「議論は納得解が出れば、短ければ短いほどいいとされることが多いと思います。一方、対話は、決まるときは自然と決まる、意味が立ち現れるときが終わるときとしているので、本来的には終わりの時間をあまり気にしなくてもいい場(たとえばワンセッション1.5~3h程度確保できるロングミーティングや合宿など)の方が相性がよいと思います。
前提として、会議のファシリテーターや他の参加者がそのことを理解している必要があり、元々の会議時間が短かったり、残り時間があと僅かしかない場面では、あえてそこから対話しようとしない方が残り時間を有意義に使えるケースも多いです」
合意形成を目的とした会議の途中で、参加者同士のやりとりが停滞し、レベルの高い議論を実践することが困難に感じられる場面に遭遇することもある、と和泉は語ります。
和泉「そういった場合ファシリテーターは、いまこの場で起きていることを冷静に観察し、この場の停滞が発生している原因を「議論すべき論点が整理できていないこと」ではなく、「場にいる参加者同士のこだわりや感情などが丁寧に共有されていないこと」にあると感じた場合、あえて場のコミュニケーションを議論から対話にシフトさせる勇気も必要だと思います。
その見極めと場のモードを切り替える意思決定は、普段から対話のファシリテーションをしている自分たちでさえいつも難しいと感じているので、今後もゼミ内で継続的に探究していく価値のあるテーマだと感じています」
次回以降もファシリテーションゼミでは、色々な角度から対話やファシリテーションについて探究していきます。本イベントのフルでのアーカイブ動画は、CULTIBASE Lab限定で配信しています。
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