近年、イノベーションを生み出すための新たな方法論として、「意味のイノベーション」が注目を集めています。かつて、ろうそくは「暗がりを明るくするもの」でしかありませんでしたが、現在はキャンドルとして「暗がりを楽しむ」という新しい意味が加わっています。この例からも、歴史的・文化的な状況の変化に応じて、私たちがろうそく/キャンドルから受け取る「意味」が、今と昔で変わっていることがわかります。
このように、新たな価値観を形成につながる「意味」を社会に届ける行為は、2017年にイタリア・ミラノ工科大のロベルト・ベルガンティ教授によって「意味のイノベーション」として提唱されました。「批判性を伴ったアプローチ」や「ユーザーへの共感ではなく、創り手個人の熟考から始めるプロセス」などを特徴としています。この意味のイノベーションの理解を研究と実践の両方から深めることを目的として、CULTIBASE主催の公開研究会「意味のイノベーション研究会」は開催されました。
2020年4月30日に実施された第1回目では、ヘイ株式会社(以下、hey) リードデザイナー 松本隆応さんをゲストにお迎えしました。実店舗でのキャッシュレス決済サービスや、誰でも簡単に本格的なネットショップが作れるSTORESの開発と提供を手がけてきた松本さん。今回は、「プロダクトの意味をデザインするとは – FinTechのデザインを事例に学ぶ」というテーマのもと、意味のイノベーションに取り組むにあたって直面した「3つの壁」と、それらの壁をどう乗り越えたのかといった点を中心に話題提供をしていただき、後半はミミクリデザイン(現・株式会社MIMIGURI)で意味のイノベーションを研究・実践する小田裕和とともに、パネルディスカッションと質疑応答を通じて、理解を深めていきました。
目次
FinTech分野が意味のイノベーションに向いている理由
意味のイノベーション実践における3つの壁とは
【1】「探索の壁」:自分に動機がないプロジェクトは「葛藤」をエネルギーにする
【2】「判断の壁」:新しい意味の成立を判断するために見出した「三幕構成」
【3】「共感の壁」:新しい意味が当たり前にある世界観を構築する
FinTech分野が意味のイノベーションに向いている理由
初めにお話しいただいたのは、「なぜSTORESで意味のイノベーションに取り組もうと思ったか」。松本さんは「FinTech領域と意味のイノベーションの相性が良いから」とした上で、その理由を3つ挙げました。
1.機能が均質化しやすい領域だから
金融領域のサービスは似た機能を持ちやすく差別化が難しいため、固有の意味を持たせること自体がブランドイメージの向上に繋がる。
2.社会的・技術的な環境変化が起きているから
ブロックチェーンを用いた暗号通貨やキャッシュレス決済の普及など、金融に関する環境の変化が多く起きているため、新しい意味を提示しやすい。
3.無機的であり、複雑性があるから
金融というカテゴリ自体が複雑故に、「冷たい」「堅い」というイメージを抱かれがち。だからこそ親しみの意味を持たせて、使ってみたいと思わせることが重要な分野。
この日、事例としてお話しいただいたのは、heyが提供している「STORESあと払い」。
本来であれば、クレジットカードのように事前審査が発生するはずの「後払い」という行為に、リアルタイム与信というテクノロジーを取り入れることで、店頭のタブレットに携帯番号を入力するだけという簡単さで後払いができるようにした革新的なサービスです。
仕組みとしては、携帯番号に紐づいた過去の購買情報などのデータから審査を自動化することで、後払い利用枠の提供を可能にしています。大きな特徴は、アカウント登録も一切不要にし、利用するまでの手間を劇的に減らしたこと。この手軽さ自体が「後払い」という行為に、「フレンドリーでポジティブ」という新たな意味をもたらしています。
このプロジェクトのスタートは、経営メンバーからの「クレジットカードを再発明するほどの決済サービスを作りたい」という声からでした。その背景には、フリーランスや副業など働き方が増えてきている中で、「信用のものさしが古くなってきている。新しい時代に合わせたものさしを作りたい」という強い思いがあったのだそうです。
意味のイノベーション実践における3つの壁とは
この「意味のイノベーション」を実践するプロセスの中で、松本さんは3つの思考の壁に突き当たったと言います。
1. 探索の壁
松本さん自身が後払いに良いイメージを持っておらず、“アンチ”の気持ちがあり、自発的な探索が起きにくかった。
2. 判断の壁
新しい意味を考える過程で、その意味が本当に革新的なのかを見極めるのが難しかった。
3. 共感の壁
見出した新しい意味を世の中に出していく過程では、外側の様々なステークホルダーを巻き込まなくてはいけない。しかし「意味」は抽象的な概念であるため、新しい意味を共感してもらいにくかった。
これら3つの壁は、意味のイノベーションの実践において共通課題にもなりうるものです。松本さんは、この3つの壁をどのように乗り越えたのでしょうか。そのプロセスについて、松本さんは具体的な例を交えながら説明しました。
【1】「探索の壁」:自分に動機がないプロジェクトは「葛藤」をエネルギーにする
「意味のイノベーション」においては、本来は「ユーザーや社会に新たな意味を届ける」という創り手個人の内側にある強い動機で取り組むことが推奨されています。しかしながら、このプロジェクトは経営層という“外側の動機”を起点とするスタートであり、さらには松本さん自身が「後払い」に対してネガティブな印象すら抱いている状況でした。
この「探索の壁」の対策として松本さんは、自身が後払いに抱く批判的な気持ちを押さえつけるのではなく、“アンチ”としての葛藤をそのまま動機として活かしたのだそうです。ネガティブな出発点だからこそ、「ポジティブな意味に変えるイノベーションに取り組む意義があると捉え直した」と松本さんは語ります。
壁を乗り越えるために松本さんは、「後払い」の文化や歴史、コンテキストをリサーチ。後払いの意味を網羅的に探索すると、江戸時代には後払いは当たり前であり、そのための顧客情報は、むしろ信頼を表すポジティブなシグナルとして活用されていたことを知りました。また自身が美術学生だったときの経験を振り返り、アルバイト代とは別に簡単に使える少額な後払いがあれば、作品の制作費に使う選択肢が増えていたかもしれない(=後払いが、未来の機会創出になりうる)、と新しい意味を生み出す上でのポジティブなヒントを得たと言います。
【2】「判断の壁」:新しい意味の成立を判断するために見出した「三幕構成」
意味のイノベーションは、商品やサービスを通じて人々の中に“新しい意味”をもたらす行為です。では、何をもってその意味がもつ”革新性”を判断すればいいのでしょうか。松本さんはこの「判断の壁」に対し、ロベルト・ベルガンティ氏の書籍「突破するデザイン あふれるビジョンから最高のヒットをつくる」(日経BP社)を参照。新しい意味は突然成り立つものではなく、社会やテクノロジーに変化が起きている過程で提示されるものであるという構造のパターンを発見したと言います。
その象徴的な例として挙げられたのが、Appleのスティーブ・ジョブズが行ったiPhoneのプレゼンテーションでした。
1.キーボード付きのスマートフォンを提示
2.キーボードが使いづらいことをプレゼンテーション
3.新たなタッチスクリーンのデバイスを発表
この一連の流れについて、「キーボードの使いづらさという“意味の揺らぎ”を与えた後に、新しい意味を提示している」としたうえで、「新しい意味が成立する構造は『三幕構成』と近いのではないかという仮説を導きだし、この『三幕構成』を土台に、新しい意味の方向性を対話しました」と語ります。
「三幕構成」とは、「設定」「対立」「解決」の3パートで構成するの脚本手法のこと。松本さんはこの三幕構成を「これまでの意味」「意味の揺らぎ」「新しい意味」に置き換えて、次のように話しました。
これまでの後払いの意味:『クレジットカードが使えないときの代替手段』という機能的なものでしかなく、特に若い人に金融サービスはとっつきづらくもあった。
意味の揺らぎ:働き方の多様性や、技術的にも事前審査以外の方法が出てきて意味の揺らぎが発生している。(ものさしが古くなってきている。)
新しい意味:『スマートフォンでリアルタイムに与信が行える後払い』があれば、後払い自体のネガティブな意味が、信頼関係を表すバロメーターにできたり、少額で未来の機会を増やせたりという軽やかな意味に変えられる。
「そこから、金融サービスを軽くてフレンドリーな存在にしていくという、新しい意味の可能性が見えていきました」と松本さんは語ります。
【3】「共感の壁」:新しい意味が当たり前にある世界観を構築する
この「新たな意味」を成立させるためには、まずサービスに関わるステークホルダーから理解と共感を得る必要があります。しかしながら、これまでとは違う「新しい意味」に理解を得るのは、決して容易ではありません。
「共感の壁」と名付けたこの課題を乗り越える上で、松本さんは「意味は具体的な世界観とセットでないと受け入れられない」とした上で、「意味を中心としたブランドイメージを定義し、その意味がある世界観を強固なものにした」と言います。
そして松本さんは、イラストレーションや写真などビジュアルの構図設計や、「気の知れたトモダチのように」と言葉の定義を行うことで、「新しい意味がある世界観」のブランドイメージを構築。すると、社内からもこのサービスが持つ「新しい意味」の理解を得ることができ、「このプロダクトすごく新しい」「ワクワクする」という言葉が出てくるようになったそうです。
最後に松本さんは、heyが掲げるビジョン「Just for Fun—『楽しみ』のための経済へ」に触れながら、「楽しさを起点に、誰もが経済の参加と活動を持続できる世界を実現させるために、これからも意味中心のデザインで新たな価値を生み出していきたい」と話題提供を締めくくりました。
松本さんのプレゼンテーションを聞き終えた小田は「葛藤から逃げずに、“葛藤そのもの”をキャッチアップしたことが面白い」と次のように印象を語りました。
小田 まさに今、コロナ禍によって社会にたくさんの葛藤が生まれていて、意味のイノベーションがたくさん起きると言われていますよね。『もっと違う何かがないのか』という葛藤を起点に熟考して初めて、新しい意味が生まれていくのではないかな、と考えています」
さらに、作り手個人の熟考や批判的思考から始まる「意味のイノベーション」に限らず、ユーザーという他者の視点とその共感を起点とする「デザイン思考」においても、葛藤をキャッチアップすることで発想の可能性が広がるのではないか、と話題を広げました。
その後の質疑応答では、「批判的思考をどのように取り入れたか」「チームでの対話をどう進めたか」「解釈者を社内にどう増やすか」など、意味のイノベーションの実践においてありがちな課題が次々に挙げられました。本セミナーはオンラインでの実施となりましたが、松本さんのお話に刺激を受け、ブレイクアウトルームやコメントでも多くの質問や対話が巻き起こり、活気あふれる盛り上がりとなりました。
会員制オンラインプログラム「CULTIBASE Lab」では、この研究会のアーカイブ動画を公開中です。
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ライター:田口 友紀子
フリーランスのライター・編集者。東京都在住。FICCにてプランナー・ディレクターとしてプロモーション企画やコンテンツ制作に従事。やがて自身の文章への執着心に気づき、PR会社勤務を経てライター・編集者として独立。人の動機や感情に焦点を当てながら、伝わる言葉を紡ぐことを目指している。