不確かで先の読めない時代において、組織は急激に変化する環境や状況への柔軟な対応が求められます。目まぐるしく移り変わる市場ニーズ、業界の慣習を変えるテクノロジーの登場、業界での競争の激化……。
こうした状況の中では、経営層だけではなく現場メンバーも「課題」を発見し、「解決策」を試行錯誤する必要があり、現場メンバーの創造性や自律性を引き出す組織マネジメントが求められます。
そんな個を重視した組織開発を考える上でのヒントになるのが、リクルートの「心理学的経営」です。創業期より60年以上に渡り、リクルートの中心にある経営論であり、心理学的観点から組織の創造性を高めるマネジメントについて考察されています。
今回CULTIBASEでは、株式会社リクルートの人材・組織開発室の室長を務める堀川拓郎さんをお招きして、イベント「リクルートの「心理学的経営」に学ぶ:個の衝動を活かす組織マネジメントの真髄」を開催。リクルートでの心理学的経営の実践をもとに、個の創造性や自発性を育む組織マネジメントについて語っていただきました。
堀川拓郎さん・プロフィール
株式会社リクルート 人材・組織開発室室長 /ヒトラボ ラボ長
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、株式会社リクルートに入社。
住宅領域を中心に営業、事業開発、商品企画、事業推進、人事、経営管理室等を経て現職。内発的動機に基づいたマネジメント、強みの解放と強みを活かし合うマネジメントを日々、実践しながら“心理学的経営”のアップデートを探索しています。
個人と組織の創造性を向上させる方法論
心理学的経営とは、元リクルート専務取締役・大沢武志さんによって提唱された組織マネジメントの理論体系です。中心には「個をあるがままに生かす」という言葉が据えられ、心理学的アプローチによって、組織と個人との良好な関係性を読み解くことに重点が置かれています。
心理学的経営の考え方は、リクルートの創業当時、高度経済成長に主流であった「官僚制組織論(人間を合理的な存在と捉え、最も効率的な制度やルール設計を重視する組織論)」に対する反発から生まれたといいます。
官僚制組織論の特徴は効率性と合理性を求めた役割分担です。トップダウン的に定義された設計図に従って各人の役割分担を行い、それぞれのメンバーはミスなく作業を進め、役割を遂行することが求められる──。しかし、大沢さんはこの考え方に疑問を呈したといいます。
大沢さんの書籍『心理学的経営―個をあるがままに生かす』では官僚制組織論に基づく組織開発の問題点として、次のように指摘されています。
「人間は不合理で矛盾に満ちた存在であり、その状態をありのまま受け入れる組織こそが最も創造的な組織である。人間を合理的存在として、理にかなった尺度や枠組みで律しようとすると、必ずおさまりきれないある種の不純物がどこかに吹き出してくる」
大沢さんは、従来の組織開発の一番の問題点は「個人のワークモチベーションの設計」であると続けます。
従来の組織マネジメントでは、一人ひとりの個性や内発的動機は重要視されておらず、給与や処遇などの外発的動機によってワークモチベーションを管理することが最善であるとされていました。人々は外的に刺激を与えられてはじめて仕事に動機づけられるという考えが主流だったのです。
しかし、大沢さんは書籍の中で心理学的研究の立場からこの考えを否定し、「人々に職場での満足感をもたらすのは外発的な動機づけではなく、内的な達成欲求や成長動機に基づいた主体的な行動である」としました。
リクルートにて心理学的経営を用いた組織マネジメントを実践してきた堀川さんは、書籍における議論を踏まえた上で、心理学的経営の考え方について次のようにまとめました。
堀川 心理学的経営は、人々は自己成長や達成感といった内発的動機から行動する際に最もパフォーマンスを発揮するという考えに立ち、組織が個人の自己実現(内発的動機づけ)をサポートすることが組織全体の創造性向上につながるという考え方です。1960年代に提唱された理論ではあるものの、普遍的な要素も多く、今でもリクルートの組織マネジメントの根幹を担っています。
「自由裁量」と「自己責任」の徹底がワークモチベーションを向上させる
では、心理学的経営においてはどのような組織マネジメントが重要視されるのでしょうか?堀川さんは、心理学的経営は大きく「個人の内発的動機を高めるマネジメント」と「組織の環境適応を高めるマネジメント」の2つによって構成されると説明します。
「個人の内発的動機を高めるマネジメント」は、組織マネジメント方針の「自律的な個の発現」、組織や社員の理想像としての「あるがままの個の受容」によって実践され、「組織の環境適応を高めるマネジメント」は、組織文化の特徴である「意図的なカオスの創成」によって実践されると堀川さんは語ります。
リクルートの組織のマネジメントの基盤である「自律的な個の発現」「あるがままの個の受容」「意図的なカオスの創成」を具体的に見ていきます。
組織マネジメント方針の「自律的な個の発現(=内発的動機のもとに社員が自律的に行動する環境づくり」に重要なのは「個々人の自由裁量の幅を可能な限り広げ、多様な能力の要求される仕事に挑戦できる環境づくり」だと語ります。
この裏付けとして心理学的経営層の書籍では、内発的動機づけに結びつく重要な研究としてハックマンとオールダムによる「職務特性モデル」が紹介されています。職務特性モデルでは、仕事の中で満たされるべき人間的要素と、それが満たされることで仕事への内発的動機が高まる職務の要素を5つの次元で整理しました。
(1) スキルの多様性:仕事に求められる技能や能力の多様性があるか
(2) タスクアイデンティティ:自らの仕事の全体像を理解しており、仕事の始めから終わりにまで一貫して関わっているか
(3) 仕事の有意義性:仕事や組織や周囲の人々によい影響を与えているか
(4) 自律性:自身の考え方や意志によってタスクが進められているか
(5) フィードバック:仕事の成果を確かめることができるか
これらの要素が全て満たされたとき、個々人の内発的動機は高まり最大のパフォーマンスを発揮できるとしています。
実際にリクルートでは、「自由裁量の徹底」や「失敗へ寛容な社内風土」により、自己責任と自己決定のもとにオーナーシップを持って仕事に取り組める環境を整えるとともに、「トップメッセージ発信」や「情報開示主義」により、社員全体がトップの意図を組んだ自律的な判断や選択をできるようにサポートしていると堀川さんは語ります。
堀川 リクルートの組織マネジメントの根幹には、個人の自発的な挑戦機会に制約を設けずに、自己決定と自己責任の意識を発揮して仕事に取り組める環境づくりがあります。1960年にベンチャーとして始まったリクルートは常に新しいことにチャレンジし、成功と同じくらいか、それ以上に失敗も経験してきました。リクルートは挑戦と失敗により成長した企業だからこそ、その価値を重要視しています。実際に、リクルート内では「仕事の報酬は仕事」という言葉もあり、成果を残した人にはさらに難易度の高いミッションを付与することで、さらなる成長を期待するという文化があります。
集団に個が埋没しないためには「共感・共有体験」が重要
次に、組織や社員の理想像としての「あるがままの個の受容(=集団の中で個性が受容される環境)」です。堀川さんは、内発的動機を高めるマネジメントに必要なもう一つの視点は、共感性の高い共同体をつくり、個性が尊重される基盤を整備することだと語ります。
心理学的経営の書籍の中でも、大沢さんは「組織の中で個が埋没しないためには、集団の中で相互に個が認識され、帰属の欲求を満たす状態を作る必要がある」としており、「集団の共同体意識」の重要性を指摘しています。
さらに、大沢さんは共同体意識の醸成するために必要な条件として、次の3つを書籍の中で紹介しています。
(1) 集団の中で信頼関係が構築されており、心理的安全性が担保されていること
(2) 集団の目標がメンバーにとっても魅力的であること
(3) 集団が周りから高い評価を得ていることをメンバーが自覚していること
これら3つの条件を踏まえてリクルートにて実践されている「共同体意識を高める取り組み」について堀川さんは次のように語ります。
堀川 リクルートで大切にしているのは、多様なメンバーを懐深く受け入れ、組織全体で喜びを分かち合うなどの、共感・共有体験を通じた共同体意識の醸成です。実際に、社内の表彰制度「FORUM」では、何千人といる社員の中から特に大きな成果を残した数十名を選抜して表彰、プレゼンテーションをしてもらったりと、社内表彰などの評価制度の設計にはかなりの時間とリソースを割いています。表彰や物品、金銭を通じて、皆が分かる形で喜びを共有することは、メンバー間の信頼関係の構築に繋がるとともに、個人や集団のモチベーションの設計に非常に有効です。
ここで重要なのは心理学的経営は表彰制度のような外発的動機づけを100%否定する訳ではないことです。個の特性を理解した上で、内発的動機づけと外発的動機づけを適材適所使い分けることが重要だといいます。
「問いかけるマネジメント」により、個人の自己実現をサポートする
さらに、「あるがままの個の受容」のためには、人事や採用における「適正」の見極めも同様に重要だと堀川さんは述べます。
堀川 組織メンバーの個性を尊重するためには、異質な個性をどれだけ多様に採用できるかが重要です。そのためには、個人のパーソナリティを重視しつつ、組織との相性を見極めるための評価基準の設計が重要です。
心理学的経営では、個人のパーソナリティを評価し、組織との相性を判断するための基準として「職務適応」「職場適応」「自己適応」の3つが紹介されています。
(1) 職務適応:知識・技能・経験といった業務を遂行するための能力
(2) 職場適応:職場での人間関係などの対人的な能力
(3) 自己適応:本人が職場の中で仕事に関心や興味を持ち続けられるか
なかでも書籍にて大沢さんが最も重要視したのは「自己適応」の観点です。採用や人事の担当者は職業観や志望動機、業界への興味を尋ねる中で、常に自己適応の意識を持ち続けることが重要だと語ります。
さらに、自己適応を評価基準に組み込むことは、企業からみれば、企業目標と個人目標、組織文化と個人のアイデンティティを統合に努めるのと同じだと大沢さんは指摘します。自己適応は本人だけに求めるものではなく、企業としても個人の自己適応への配慮が重要です。
堀川 事業目標と個人の目標を一致させるために最も重要なのは「問いかけるマネジメント」だと思います。マネジメント層が「仕事を通じてどのように成長したいのか?」を常に社員に投げかけていくことが、個の自己実現をサポートし、結果的に人材価値を最大化することに繋がります。
意図的なカオスの創出が、個人や組織を成長させる
最後に、組織の環境適応を高めるマネジメントである「意図的なカオスの創成」です。組織活性化するために必要な視点として大沢さんは書籍の中で次のように述べています。
「人々が創造性を発揮するのは、無秩序な状態から秩序化された状態を目指す『自己組織化』の過程である。組成を持続的に活性化するためには、意図的にカオスな状態を作ることが重要である」
さらに、イベントの中で堀川さんは現代における「意図的なカオスの創成」の重要性について指摘しました。
堀川 不確実性の高まる現代において、意図的なカオスを創り出す重要度はますます高まっています。組織は環境への適応が進み続けると変化に対応できなくなるものです。組織が社会の変化に対応し、生き残るためには自己変革が必要であり、組織内に自己変革が起きる仕組みを意図的に設計する必要があります。
では、具体的にどのように組織に無秩序な状態をもたらすのでしょうか? 堀川さんはリクルートでの実践として下記の5つを提示しました。
(1) 採用:組織活性化にあたり大切な戦略。継続的に社員を採用することは不均衡状態の創出につながる
(2) 異動:積極的な人事異動は個人の成長の契機となるだけでなく、集団の自己変革能力を高める
(3) 教育:専門知識や専門へのこだわりを捨てさせるアンラーニングの実施により、新しい行動様式の学習実現する
(4) 小集団活動:小集団を企業運営の最小単位とし、責任や権限を譲渡することで、小集団内の自律性を高める
(5) イベント:通常業務外の仕事にて、組織全体を巻き込むことを強いることで、メンバーのリーダーシップを高める
堀川 私自身キャリアの中で、幾度となく異動を経験してきました。その部署の業務にやっと慣れたと思ったら異動ということが続き、正直かなり大変な思いもしましたが、今考えると、度重なる異動があったからこそ、より多様なスキルや視点を獲得できたと思います。
価値創造の限界をチームで超えていく「CO-EN構想」
イベントの終盤では、心理学的経営の基盤を実践するリクルートの組織マネジメントにおけるコンセプトである「CO-EN構想」について紹介されました。CO-EN構想は2021年の統合の際に掲げた、ありたい姿を象徴するコンセプトです。
CO-EN構想は心理学的経営のキーワードにもなる「個が埋没がせず、相互にシナジーを生むチーム設計」の実践だと堀川さんは語ります。
堀川 再統合にあたってリクルートは「自らの強みを発揮しようとする自律的個人が集い、社会に必要な価値創造の限界をチームの集合知で超えていくという」というステートメントを発表しました。CO-EN構想は心理学的経営の根幹にある「個を生かす」というコンセプトを引き継ぎつつ、多様な人材が集い、出会い、協創する場でありたいという思いが込められています。
イベント内では、CO-EN構想における人材開発・組織開発のビジョンをより詳しく紹介しています。リクルートが組織再編するまでの経緯、個と組織の進化を加速させるスパラルモデルの考え方、個人の好奇心を事業価値に還元していく方法論について、より詳しく知りたいという方はぜひ下記のアーカイブ動画をご覧ください。
リクルートの「心理学的経営」に学ぶ:個の衝動を活かす組織マネジメントの真髄
参考文献
大沢 武志『心理学的経営―個をあるがままに生かす』PHP研究所,1993.