顧客ニーズや市場環境が急速に変化する現代のビジネスの現場において、イノベーションを起こし続けることが企業の存続と成長の鍵となっています。イノベーションを起こせる組織を構築するためには、単なる新規技術の導入に留まらず、組織全体が持続的に学び、成長し続けるための仕組みを持つことが重要です。
本記事では『学習優位の経営』『パーパス経営』『CSV経営戦略』など多数の著書を持つ、名和高司さんによる講義動画の内容から、イノベーション組織の基盤となるフレームワークや考え方を紹介します。イノベーションは「新しい市場をつくること(マーケットアウト)」と捉える名和さん。具体的な事例を交え、次世代のイノベーションを推進する組織の「学習」を考えていきます。
競争優位の時代から「学習優位」の時代へ
現代の競争環境では、もはや単なる競争優位では組織は生き残れません。新しい技術が次々に台頭し、流行も移ろいやすい昨今。競争優位をとったところで、すぐにまた新たなレースが始まってしまいます。そこで重要になるのが「学習優位」の経営。すなわち、変化する市場環境に適応し続けるために、組織が学び成長し続けることの優位性をあらわします。
競争優位が相手を打ち負かすことに重きを置くのに対し、学習優位は市場の動きを先取りし、学びのサイクルを回すことに焦点を当てます。学習優位によるイノベーションの実現には短期的な利益ではなく、長期的な視点で学びを重視した経営が求められます。ここでは持続的に学習する組織が企業の成長エンジンとなるのです。
イノベーションを生み出す組織を作るフレームワーク
では学習する組織とはどのようなものなのでしょうか。ここで理解を深めるためのフレームワークを紹介します。このフレームワークは、バリューチェーン(横軸)とエコシステム(縦軸)を3つに分けた3 ✕ 3のマトリクス図を用いたものです。このマトリクスからイノベーション組織を作るために不可欠な要素を整理し、持続的にイノベーションを生み出す仕組みを考えることができます。
このマトリクス図により、時間の流れに応じて新たな事業を構築し提供するプロセスが可視化されます。重要な要素として、以下の「5つのホットスポット」があります。
1.顧客現場(右上): 顧客のリアルなニーズを把握する場所。顧客が何を求め、何に満足しているかを知ることが、イノベーションの出発点となる。
2.事業現場(右下): 企業が実際に商品やサービスを提供する場。ここでは、製品がどのように運用されているかに注目する。
3.組織DNA(左下): 企業の核心的な強みや文化。コアコンピタンスとも呼ばれる。これを理解し、活用することで独自性を保ちつつ競争優位を築くことが可能に。
4.顧客洞察(左上): 潜在的な顧客ニーズを発見し、それを事業に生かす洞察力が重要。
5.成長エンジン(中央): 新たなビジネスモデルの構築とスケール化を図るイノベーションの中心的な要素。
これらは見えざる資産として企業が持っているものですが、上手く活用できている企業は多くありません。
ありがちな失敗パターンとその克服のための「メビウスモデル」
ここで、マトリクス図の要素からイノベーションを目指す企業が陥りがちな4つのパターンを紹介します。
1.市場開拓型: スタートアップに多い。自分たちのやりたいことを重視し、顧客やオペレーションについての視点が不足しているパターン。
2.マーケティング型: マーケティングが得意な会社に多い。顧客ニーズを掴むことはできたり、ブルーオーシャンを見つけられても、競合に模倣されやすいパターン。
3.資産深耕型: 化学・素材系やインフラ系の事業会社に多い。自社の資産をあらゆる形に応用するが、新しい視点が欠けるパターン。
4.現場深耕型: 日本の企業に多く、顧客のニーズを引き出し、改善に重点を置くが、革新的な変化(イノベーション)が生まれない、あるいは見逃してしまうパターン。
これらの陥りがちなパターンを克服するための方法論が「メビウスモデル」です。
このモデルの特徴は、変化する市場や顧客ニーズに迅速に適応し、持続的なイノベーションを生み出す組織運営を目指している点です。メビウスモデルでは、まず顧客の現場感が詰まっている顧客現場ニーズから始まります。
掴んだ現場ニーズに対して上記のマーケティング型のように展開をしてしまうと簡単に模倣されてしまうため、組織が顧客現場で得たフィードバックを基に、自らの組織DNAを通じて読み解きます。そうすることで、顧客洞察は潜在的な顧客ニーズと潜在的な自社の強みを掛け算した独自の洞察となります。その上で、成長エンジン(規模を大きくできる仕組みやプラットフォームなど)を駆使して新たな市場価値を創出します。
日本企業は「成長エンジン」を挟むところに弱点があると指摘されています。自前主義で自社が得意なところだけで展開をするのではなく、周辺にあるアセットをフル活用することで、スケールを取り得るビジネスモデルを作り込みます。それを展開することで、日本企業が得意とする事業現場での改善とデリバリーを通じた顧客からのフィードバックを得て、常に顧客の声を先取りしながら持続的なイノベーションを目指すのです。
このようなプロセスが、まさにメビウスの輪のように繰り返し循環する構造になっています。
使い勝手の悪さすら「らしさ」に変える。アップルの事例から見る「メビウスモデル」
メビウスモデルが持つ実践的なパワーはアップルの成功例からも読み取れます。スティーブ・ジョブズが1996年に再びアップルに戻った際、同社の持続的なイノベーションを推進するエンジンが回り始めました。
1.顧客のペインポイントの理解:メビウスモデルの第一歩は、顧客の声を直接取り入れ、そのフィードバックをもとに組織の方向性を再確認すること。アップルは、MP3プレイヤーなどの先端デジタルデバイスはあったものの一般の利用者が使えないといったペインポイントに注目しました。
2.組織DNAの再定義:ポイントとなるのは、アップルらしさのDNAを再定義したことにあります。ユーザーインターフェースや直感的に使い方がわかるような使い勝手の良さに対する徹底的なこだわりで、数少ない完璧なものをつくるのがアップルの本質的な強み、DNAであると再定義しました。
3.顧客価値の発見と定義:アップルは、iPodを「ポータブル&パーソナル・メディア」という新しいコンセプトで、音楽だけでなく写真やビデオなどを含め、自分の好きなコンテンツを自由に持ち歩こうという新しい価値を打ち立てました。。
4.独自のポジショニングによるスケール化:もう一つ注目すべきは、iPod単体ではなく、それを支えるiTunesやApp Storeといったプラットフォームも同時に提供することで、顧客の体験全体をデザインしたのです。これまでの自前主義ではなく、当時大きなシェアを占めていたWindowsユーザーを利用できるようにするなど、市場で大規模に展開するためのビジネスモデルを構築できた点にあります。加えて、独立系のコンテンツやアプリケーションプロバイダが提供できるようなエコシステムに作り変えることにより、アップルは競争を超えた新しいマーケットを開拓し、他社には真似できない独自のポジションを築き上げました。
5.独自のアセットを磨きながら外部リソースを活用する:アップルは製品のモノづくりを他社に委託しつつも、そのデザインやバリューチェーン全体の緻密なコントロールを行うことで、ものづくりのオーケストレーター(バリューチェーン全体のプロデューサーのような役割)になりました。
こうしたパターンをiPodで作り上げることで、その後iPhone、iPad、Apple Watch等でも同様に、①に未完成なモデルが展開された際に、②で徹底的にAppleらしく完成させる形でマーケットを築いています。
製品開発の過程はまさにメビウスモデルの実践と言えます。顧客現場の課題を発見し、それを組織の強みで解決、さらにその成果を他者には模倣できない独自のDNAをベースに事業化しています。
日本にも持続的なイノベーションを実現し、スケールする企業が存在します。例えば、トヨタ、リクルート、キーエンスといった企業は、独自の成長エンジンを駆動させ、成功を収めています。
持続的なイノベーションを生み出すための組織DNA
持続的なイノベーションを生み出すメビウスモデルには大事なポイントが2つあります。
顧客には、自社のDNAが滲み出た仮説をぶつけることが重要になりますが、企業が自らの組織DNAをいかに読み解くかがポイントになります。わかっているようでわかっていない自社の潜在的な強みをどのように考えるか。ここで「静的DNA」と「動的DNA」に分けて捉えることにより、そのバランスを保つことを提案します。静的DNAだけでは進化がおきず、動的DNAだけでは軸がなくなってしまうので、まさにDNAのように両方が二重構造になることが重要です。
- 静的DNA:企業の基盤となるような、自社らしく、伝統的な強みや価値観。これが軸となり、組織の安定をもたらします。
- 動的DNA:今までのやり方を変えて自己否定できるDNA。市場の変化や顧客の新たなニーズに柔軟に対応するための力であり、ここにイノベーションが宿ります。動的DNAを持つことで、企業は外部環境に迅速に反応し、革新をもたらすことが可能になります。
成長のエンジンとなる「アルゴリズム」を生み出す
もう一つは成長エンジンとなるメソッド(アルゴリズム)です。これにより0→1にとどまらず、1→10、10→100を実現していくのですが、リクルートは3つのステージと9つのメソッドとして確立しています。
リクルートでは、新規事業の基準として、「ユニーク」「リピータブル」「シェアラブル」という三要素を仮説として作り上げていることを判断しています。
また、成長エンジンを育てるためには、アセットモデルを変えることが重要であると説きます。コアコンピタンスを徹底的に磨けていなければ周りを巻き込むことができず、一方で、それ以外のものを持たない(持つものと持たないものを決める)ことも重要です。
今あるものをもう一度編集し直す。組織をつなぐ三つのミドル
メビウスモデルの実現においては、5つのボックス(モデル図を参照)をいかに結ぶかがポイントになります。得てして組織内においては、既存のリソースや経験が分断されており、新しい価値を生み出すための連携が不足しています。
領域別に分断された組織において「メビウスモデル」を実行するには、今あるものをもう一度編集し直す営みが必要になります。ここで、「既存ビジネスの再編集」の要となるのが、フロントミドル、コアミドル、バックミドルという三つのミドルです。それぞれの役割は異なるものの、連携することで組織内外を結びつけ、新たな価値を創造します。
- フロントミドル:フロントミドルは、顧客に最も近い現場で活動します。顧客のニーズやペインポイントを的確に把握し、顧客洞察に置き換えます。
- コアミドル:コアミドルは、事業戦略を立案・推進する役割を担っている場合が多く、市場の動向や技術の進化を見極め、レバレッジの効くモデルを開発することが重要です。
- バックミドル:バックミドルは、企業のDNAに埋め込まれているオペレーションやプロセスなどのアセットを駆動させ、磨きをかけます。
これらのミドルは単独で機能するのではなく、相互に連携することで組織全体の力を最大化します。また、既存のビジネスから切り離すのではなく、既存のオペレーションの上に重ね合わせるような形で存在させることが重要です。フロントミドルが顧客の声を拾い上げて顧客洞察に置き換え、コアミドルがそれを事業戦略に落とし込み、バックミドルがその実行に磨きをかける。この連携により、組織は外部環境の変化に柔軟に対応しつつ、内部の効率を高め、新たな価値を創造します。
現実をありのままに捉える姿勢が、学習する組織を支える
ここまで「メビウスモデル」の紹介をしてきましたが、最後に、名和さんが考える「学習優位な組織づくり」のヒントをご紹介します。
メタ学習の推進
学習する組織を構築するための第一歩は、「メタ学習」の推進です。メタ学習とは、学習する力そのものを学ぶ能力を指します。例えば、構成主義的な捉え方を学ぶこともその1つと言えます。
参考記事:
構成主義ってなに?:ファシリテーターの学習観(前編)
イノベーションの実現においては、個人や組織が単に新しい知識やスキルを得るだけでなく、学び方そのものを進化させることが求められます。どのような新しいものからも、これまで培ってきたものと組み合わせながら学ぶことができる力を、いかに育むかが重要です。
哲学を学ぶ
哲学的な思考を通じて、単なる技術や知識の習得にとどまらず、より深い洞察力と創造性を養うことができ、新しく生み出すということはどういうことなのか等、既存の枠組みにとらわれず、物事の根本的な意味を問い続ける姿勢が育まれます。実際、シリコンバレーにおいて成功している企業のリーダーの中にも哲学やアート、歴史を専門にしていたという人も少なくなく、これらを学ぶことで「考えること」のアルゴリズムができます。
メビウスモデルの実現や学習優位な組織づくりにおいては現実をありのままに捉え、顧客との対話を通じて学び、学習する姿勢を持つことで、組織は内と外を行き来しながら、自己変革と持続的イノベーションを追求できるのです。
本記事は、イノベーションは「学習」から生まれる:自社の本質的な強みを磨く、メビウス・モデルとは? の内容を編集してご提供しています。