組織がイノベーションを生み出すためには、日常から変化をし続けることが必要です。特集「組織学習の見取図」では、組織の変化のメカニズムに迫る「組織学習(organizational learning)」領域の理論と実践知について探究していきます。
組織学習とは、組織における「個人の学習」を発端としながらも、組織として有用な知識が保存され、再現性のあるルーティンが変化することを指しています。あくまで「組織」を主語とした記憶と習慣の変化によって説明されるプロセスです。
前回の記事では、あえて組織学習の起点である「個人の学習」に焦点を当て、長年の実践経験を積んだ「エキスパート(熟達者)」が保有する技の構造について、認知科学の研究知見や、筆者らが行ったファシリテーターを対象とした最新の調査研究の結果に基づいて解説しました。
ある領域に精通して「エキスパート」「プロフェッショナル」「一人前」などと称されることは、簡単なことではありません。本記事では、個人が「一人前」になっていく過程を示した学習理論である「正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation:LPP)」について概観することで、組織学習の発端となる「個人の学習」について理解を深めます。
そしてさらに学習の主語を「組織」に拡張したときに、「正統的周辺参加」の考え方は有用なのか。すなわち「組織レベルの正統的周辺参加」は検討可能なのかについて、考察していきます。
正統的周辺参加(LPP)とは何か
正統的周辺参加とは、学習過程を示した理論である以前に、学習の捉え方(学習とは何か)の新たな価値観を示した理論でもあります。
正統的周辺参加では、学習を、コミュニティに参加する経験を通じて、コミュニティにおける立ち振る舞いや技能を獲得しながら「一人前」としての自覚が生まれていくアイデンティティの変容過程として捉えます。
言い換えると、学習を「頭の中に情報をインプットする過程」ではなく「コミュニティへの参加の過程」として捉える点、その成果を「知識の増加」や「行動の変化」ではなく「アイデンティティの変容」に置いている点が、その特徴です。
要するに、いわゆる「新参者」が、コミュニティの中で徐々に「空気が読める」「役に立てる」ようになりながら、次第に「中心的な役割」を担えるようになっていく。そうして、やがて「自分は一人前だ!」と思えるようになり、コミュニティの中核を担う「古参」となっていく。そんなプロセスこそが「学習」なのではないか、と捉えたのです。
コミュニティの学びは「周辺」だけれど「正統」な役割から始まる
あなたがこれまで所属してきたいくつかのコミュニティを思い出してみてください。「新参」が「古参」になっていく「参加による学び」の循環が生まれるコミュニティには、必ず「新参」が気軽にアクセスすることができる「周辺的」だけれど「正統性」のある活動が用意されていたのではないでしょうか。
ここでいう「周辺的」とは、すでに「一人前」である先輩たちが担っているような「中心的」な仕事ではなく、下っ端の「新参」でも担当できるような、難易度とリスクの低い仕事であるけれども、それはコミュニティにとってなくてはならない「正統的」な仕事であるような、そんな塩梅を指しています。
特定のコミュニティで「一人前」の地位を築いた「古参」のメンバーは、誰しもが初めは「新参」でした。そんな「新参」のメンバーでも、少しずつ「周辺」の活動に参加する過程で、徐々に「中心」に近づいていきながら、やがて「一人前」になっていく。その特徴を踏まえて、「正統的周辺参加」と呼ばれているのです。
コミュニティを取り巻く多様な学習軌道
前述のとおり、正統的周辺参加で想定される学習軌道は、周辺的な参加から中心へと近づいていくものです。しかし、「正統的周辺参加」の提唱者の1人であるエティエンヌ・ウェンガーは、その後「正統的周辺参加」を取り巻く理論を発展させ、単純に「新参」→「メインメンバー」→「古参」といったように、直線的に捉えられるものではなく、多様な軌道が描かれることを明らかにしました。
例えば、中心的なメンバーの役割を期待された新人が、うまくコミュニティに馴染めず「周辺」に滞ってしまうパターンもあるでしょう。あるいは逆に、長年「ボランティアスタッフ」や「非常勤スタッフ」として、付かず離れずの距離感を保ちながら、あえて「周辺」に身を置き続けることを好むパターンもあるはずです。
他にも「古参」になったばかりメンバーが、次の居場所を求めて積極的にコミュニティの外側に巣立っていく軌道もあれば、コミュニティに愛情を持ちながらも、絶えず「外」に越境することで、他のコミュニティとの接続にやりがいを感じるような異端的なメンバーもいるかもしれません。
特定のコミュニティから離脱することは必ずしも悪いことではなく、そこでの経験を糧に、また別のあるコミュニティに参加することで、学習は継続するのです。
このように多様な軌道が想定されるなかで、さまざまな葛藤のなかで、技術と態度を洗練させ、アイデンティティを変化させていくこと。これが、正統的周辺参加を取り巻く学習観の中で想定されている個人が「一人前」になっていく学習過程です。
学習観としての正統的周辺参加は、組織における学習環境デザインにもいくつかの手がかりを与えてくれます。一律な成長モデルを規定せず、多様な参加の軌道を用意し、それを奨励する評価制度を整備する、などです。
しかし本記事では「組織における個人の学習環境」について掘り下げることはせずに、あえて「組織学習」そのものの理論的発展の可能性について、以下に考察を続けます。
“業界コミュニティ”における企業の正統的周辺参加
正統的周辺参加論の本質は、個人の学習を「インプットによる知識増加や行動変化」ではなく「コミュニティへの参加によるアイデンティティの変容」に置き直した点でした。
このパラダイムシフトの構造を「組織学習」の理論にも適応するならば、組織学習を「知の保存」「ルーティンの変化」として捉えずに、「コミュニティに対する参加を通じたコーポレート・アイデンティティの変容過程」と捉えてみる、ということになります。
企業が所属するコミュニティとは、市場において関係性を構築する複数の企業による集合体、すなわち「同業者コミュニティ」です。たとえば「デザイン業界」や「研修業界」などの企業集合体を思い浮かべると、わかりやすいでしょう。
組織レベルの正統的周辺参加(筆者の試論的想定)
組織学習を、同業種コミュニティに参加する経験を通じて、業界における「一人前」としての自覚が生まれていくコーポレート・アイデンティティの変容過程と捉える考え方
この前提に立つならば、同業者コミュニティに参入した企業は、どのようにして「一人前」の地位を築くのか?というリサーチクエスチョンが生まれます。
もちろんビジネスにおける同業者コミュニティは、基本的には「競争関係」であるため、協力関係にある個人で構成されるコミュニティとは、前提や意味合いは異なります。けれどもたしかに、どんな会社も、創業時は「業界コミュニティにおける新参」から始まります。最初はリソースも実績も十分でないため、いきなり歴史ある大手企業が手掛けるような「業界における中心的な仕事」に参与することはできませんから、その市場における「周辺的だけれど正統性のある仕事」から経験を積んでいくことになります。
大多数の「新参」企業は、創業から数年で「周辺」の壁を突破できずに倒産すると言われていますが、それでも生き残った「新参」たちは、やがて同業種の「先輩企業」と協業したり、情報交換をしたりすることによって、徐々に同業種コミュニティのなかで「空気が読める」「役に立てる」ようになりながら、次第に「業界の中心的な役割」を担えるようになっていく。そんなふうに、個人レベルの正統的周辺参加と類似した軌道を想定することができます。
このようにして、同業種コミュニティを俯瞰して捉えてみると、自社が「一人前」になっていくために、どんな軌道が考えられるか。同業種の先輩・後輩企業たちとどのようなコミュニケーションを取るべきか。新たな選択肢や課題が見えてくるかもしれません。
本記事では試論としての切り口の提案に止めますが、組織学習を単に「知識と習慣の変化」の次元に閉じ込めずに、業界コミュニティに対する参加を通じたコーポレート・アイデンティティの変容過程と捉えてみると、また違った”組織学習”の景色が広がるはずです。
CULTIBASE編集部でも、引き続き考察を続けていきたいと思います。