組織がイノベーションを生み出すためには、日常から変化をし続けることが必要です。特集「組織学習の見取図」では、組織の変化のメカニズムに迫る「組織学習(organizational learning)」領域の理論と実践知について探究していきます。
これまで整理してきた「組織学習」の特徴は、以下のようなものでした。
- 組織の学習とはいえ、その発端は「個人の学習」である
- 個人の試行錯誤によって新たに得られた知識に対して「組織の正当性」が認定されることで、組織に知が保存される
- その結果として、再現性のある組織の習慣としての「ルーティン」が変化したときに、「組織は学んだ」と考える
本記事では、組織学習の起点である「個人の学習」に焦点を当て、個人の「技」の習熟について考えていきます。
マニュアル化しきれない、個人の暗黙知と芸風
組織学習を考える上で、組織を支える一人ひとりが仕事の「技」に磨きをかけていくことは、とても重要です。
現代のような複雑で不確かな状況においては、計画通りに業務を遂行する技能だけでなく、環境や状況の変化に柔軟に対応する創造的な技能が求められます。
具体的には、アイデア発想、コミュニケーション、問題発見と問題解決に関わるような技能領域です。CULTIBASEで扱っているファシリテーション、マネジメント、デザインなど組織のイノベーションを支える専門知は、まさにこうした領域といえるでしょう。
このような創造的な仕事の技は、多くの場合、当人の身体的な感覚や、現場の勘、すなわち「暗黙知」によって支えられています。
もちろんある程度は「形式知」として言語化し、マニュアルに記載して組織のナレッジとして共有することは可能です。それでも、実際の仕事のなかで形式知を実践するなかで、膨大な試行錯誤を通して「自分の血肉」として習得されなければ、パフォーマンスとして実行されない類の知識です。
また、創造的技能には「個性」が存在するところも興味深く、そして厄介です。
拙著『問いのデザイン』では、ファシリテーターの芸風の4類型について解説しましたが、ファシリテーションに限らず、どのような職種でも「技」の発揮の仕方は、その人らしさやこだわり、性格の違い、主義や信念に深く結びつくため、芸風が存在するはずです。あなたの身の回りのデザイナー、マネージャー、セールスパーソンなどの多様性を思い浮かべれば、わかりやすいでしょうか。
創造的技能が必要とする職種においては、ひとりひとりが暗黙知や芸風を大切にしながら仕事の「技」に磨きをかけていくことが、組織の学習の基盤になるのです。
実践知と適応的熟達
このような「技」は、アカデミックには「実践知(practical intelligence)」と呼ばれます。
そして実践経験を通して、実践知を蓄積していく学習過程を「熟達(expertise)」といいます。熟達によって熟練した実践知を保有する実践者のことを「熟達者(expert)」といいます。
仕事をはじめたキャリアの序盤は、自分らしい芸風を育てたり、暗黙知を発展させていく余裕はまだありません。業界にもよりますが、早くても1年間、3年間くらいのあいだは、まずは決まった仕事をミスなく素早く効率的に実行できるように「慣れていく」ことが、熟達に不可欠です。このような過程を「定型的熟達(routine expertise)」といいます。
上述した創造的技能の熟達は、ルーティンがこなせるようになってからが本番です。複雑な課題や新しい状況に対して、工夫しながら柔軟に取り組めるようになる「適応的熟達(adaptive expertise)」を通して、終わりなき鍛錬の道を歩んでいくのです。
エキスパートの実践知の構造
適応的熟達を積み重ねることによって、実践者の「実践知」はどのように発展していくのでしょうか。ビジネス書に書いてあるような知識が増えることでしょうか。あるいは、現場で活用できるテクニックが増えることでしょうか。
認知心理学者である波多野誼余夫氏と稲垣佳世子氏が1983年に発表した世界的に引用されている研究によれば、エキスパートが持っている実践知は「手続的知識」「概念的知識」「メタ認知的知識」の3つの知識によって構成されるといいます。
手続的知識: 繰り返し用いられる手順(routine)を表しており、「こういう時には、こうする」といった形式で、条件と行為の対の集合によって記述される知識
概念的知識:手続きの対象を含む世界を理解するためのモデルであり、なぜその手続的知識がうまく働くのか、意味付けするための知識
メタ認知的知識:手続的知識と概念的知識の活用と獲得に関わる知識であり、熟達の方向性に影響を与える
エキスパートが保持する「手続的知識」と「概念的知識」の両者は緊密に結合しており、 そのメタ水準にある「メタ認知的知識」は、現場の仕事における成長を支える基礎となることが、波多野に指摘されています。
認知科学の研究領域では、このような異なる性質を持った知識の構造に着目し、実践者が環境をどのように知覚し、どのように行為を決定するのか。その認識のメカニズムの解明とモデル化を試みてきました。たとえば、カーネギーメロン大学のジョン・R・アンダーソンが開発した「ACT-R(Adaptive Control of Thought–Rational)」モデルなどが有名です。
筆者は、これらの先行研究を参照しながら、適応的熟達者としての「エキスパート」が持つ実践知の構造を、以下のようにモデル化しました。
事例:ファシリテーションの技の構造から読み解く
構成するそれぞれの要素について、ファシリテーションの技を具体例に説明します。
まず、エキスパート・ファシリテーターは会議やワークショップなどの場面において、外部環境、すなわち参加者のふるまいやコミュニケーションに対して、観察をすることで「知覚」します。たとえば、「半数以上の参加者が、背もたれに体重を預け、腕を組み、目線は下を向いている」といった情報のキャッチをします。
それに対して、自身の実践知に基づいて、適切だと思われる「行為」による介入をします。たとえば、「会議の趣旨を丁寧に説明する」「特に険しい顔をしているキーパーソンに声をかけ、何にモヤモヤしているのかを尋ねる」などです。もちろん判断によっては「まだ様子を見る」「何もしない」という判断も、重要な「行為」です。
このようにして「知覚」と「行為」を繰り返すことが、ファシリテーションという営みです。しかしこれらはあくまで実際に現場で行われたパフォーマンスであって、重要なのは、その判断の基準となっていた実践知です。
エキスパート・ファシリテーターは、適切な「行為」を決定する際に、膨大な「技の引き出し」から、アクションを選んでいます。この引き出しに保存されたノウハウが「手続的知識」です。たとえば「空気が悪い時は、イントロを丁寧に説明したほうがよい」「イントロでは、何をやるかよりも、なぜやるかを説明したほうがよい」「モヤモヤしている人には、その要因を質問してしまったほうが早い」などです。これらは「Pならば、Qする」といった形式で、条件付きの手順として保存されています。
しかしこうしたテクニックをたくさん持っているだけでは、現場において正しい意思決定はできません。エキスパート・ファシリテーターは、現実を正しく理解するための「メガネ」を持っています。これが「概念的知識」です。たとえば「腕を組んでいる参加者は、警戒していたり、心を開いていなかったりする可能性が高い」「人は活動に没入しているときは、重心が前のめりになりやすい」など、「Aという事象は、Bという意味である」といった形式で記述される人間の心理や集団の性質に関わる理論や経験則に基づいて、現場の状況を正しく「知覚」する助けとしているのです。
エキスパート・ファシリテーターは、これまで多大な実践経験を積んでいるだけでなく、さまざまな書物や研修などの学習機会によって知識や理論を身につけています。そのなかで培った「手続的知識」と「概念的知識」を相互に結び付けて参照することで、外部環境を正しく「知覚」し、適切な「行為」を決定しているのです。
そして経験年数が豊富なエキスパート・ファシリテーターは、必ずといっていいほど、自分の実践を支える信念や価値観を持っています。これが「メタ認知的知識」です。たとえば「会議では、全員が発言するべきである」「対話の場では、全員がオープンマインドになったほうがよい」などで、ファシリテーションにおける「望ましさ」を規定する「ものさし」のようなものです。これはエキスパート・ファシリテーターに共通するものもありますが、実践者によって異なる「芸風」に関わる知識でもあります。
以上、エキスパートの技がどのような構造になっているのか、解説してきました。組織学習を支える「個の熟達」を考える上で、単にノウハウ(手続的知識)だけを教えればよいわけではないことが、このことからわかります。熟達による構造的な実践知の形成が、組織学習の基盤になるのです。個人と組織が学ぶべき知識の構造を意識することは、人材育成カリキュラム設計やOJTの活用、また組織学習の「知の保存」の仕方についても、ヒントになるでしょう。
CULTIBASE編集部では、組織イノベーションを支える実践知について、学術的な研究を継続しています。ファシリテーション領域の実践知の研究成果については、筆者らの論文「ワークショップ熟達者におけるファシリテーションの実践知の構造に関する記述研究(安斎・東南 2020)」をご覧ください。