個人が創作活動を行う時、当人の頭の中にはどのような問いが浮かび、どのような思考が働いているのでしょうか。一流のクリエイターと新人のクリエイターとでは、自身に向ける問いにどのような違いがあるのでしょうか。
2020年10月、CULTIBASE編集長の安斎勇樹はクリエイターエージェンシーである株式会社コルクから依頼を受け、漫画家に向けた問いのデザインのワークショップを実施。参加した漫画家の方々による気づきがまとめられた漫画は、SNSでも注目を集めました。
これまで企業や地域、学校などの様々な組織でワークショップを手掛け、問いの技法を追求してきた安斎にとって、コルクでのワークショップは「ファシリテーションにおいて有効な問いのパターンが、個人の創作において有効とは限らない」という気づきを得るものとなり、問いのデザイン探求の新たなヒントとなりました。
このワークショップをきっかけに、1月の「問いのデザインゼミ」では、コルクの代表取締役社長 佐渡島庸平さんをゲストにお迎え。連載企画「『問いのデザイン』を拡張せよ」の一環として、「個の創造性を解き放つ問いのデザイン」について対談を行いました。
なぜ、漫画家に問いのデザインが必要なのか
安斎:漫画好きの方もたくさんいらっしゃると思うので、今回はゼミに参加されている皆さんにとっても注目の回なんじゃないかなと思います。
早速いろいろお話を伺っていきたいんですけど、僕がワークショップを実施するためにコルクにお邪魔した時、漫画家さんの創作活動が仕組み化されていることに実はとても驚いたんです。本来孤独であるはずの創作活動が、孤独ではなくなっている。定例ミーティングまで組まれていて、創作活動を協力して行う場所になっていますよね。
佐渡島:今はまさに、チームでの漫画作りに挑戦しているタイミングなんです。もともと僕は講談社に新卒で入社して編集者をしていたんですけど、20年前の当時は雑誌という媒体の影響力が強かったので、場を奪い合う競争の中で成長していた面があったんですね。ただ、時代が目まぐるしく変化する中で、「競争の中での成長は、社会にとって気持ちの良いものに思われなくなっているんじゃないか?」と感じるようになり、漫画の作り方を変えようと思ったんです。
安斎:佐渡島さんはご多忙な編集者である一方で、ご自身でも仕事に関する方法論などの著作も出版されていますよね。ご自身の中で、作家ではなく編集者であるというこだわりはあるんでしょうか。
佐渡島:僕は自分の出版物について、作品と認識してないんですよ。その境界線となるのは「フィクションか否か」が全てなんです。僕自身としては、あくまでも作家さんがフィクションのストーリーを作るためのサポートに徹している、という感覚。言うならば、社内でビジネスに関するマニュアルを作る行為とビジネス本を出版する行為は、僕の中ではアウトプットが違うだけで同じ行為なんですね。
安斎:あくまでも副産物的に生まれたものであり、世に出すことが目的というわけではないんですね。ストーリーを作るためのサポート、というところで、今回「漫画家には問いのデザインが必要だ」と思われた背景にはどのような問題意識があったんでしょうか。
佐渡島:作家本人たちが自走できる問いを投げ掛けたいなと、ちょうど思ってたんですよ。先程の話とも重複しますが、これまでは「競争の中での成長」が当たり前で、僕も編集者として「相手がより発奮することを言う」というスタンスで作家さんや新人さんと会話をしていたんです。でも時代は変わり、悔しさに火をつけるみたいな形でのコミュニケーションは滑らかじゃなくなってきたな、という風向きを感じていて。
加えて、本人たちが漫画を描きたいと思ってるのに全然描かないという問題もあって。「もしかすると、行動するための問いの立て方が下手なのかもしれない」と気づいて、頭の中にある“変な問い”を止めるような、問いのデザインができたら良いなと思っていたんです。
安斎:僕としては、意外だったんですよ。ファシリテーターが組織やチームの課題を解決するために書いた本だったので、作家が自身のクリエイティビティやサステナビリティのためにどのような問いを持つか?というのが、問いのデザインの一つの可能性にもなりうるんだなと。漫画家の皆さんとの実際のワークショップの中でも、皆さん一人ひとりの考え方が面白いなと思いました。
佐渡島さんから見て、数々のヒットを出しているような創造性の高い作家の方って、やはり良い問いを持っていたりするんでしょうか。
佐渡島:一流の人たちも、問いの立て方はそんなにうまくないのかも? と思っています。自分に対するハードルが高くて、自分を追い詰めて描く傾向が強いですね。楽しんで描くというよりも、苦しんで描くっていうか。良い作品のためには追い詰めるのは仕方ないことだよね、という“マッチョ”な精神論のようなものを感じます。
「楽しいと“楽”は違う」という言い回しがあると思うんですけど、僕はそれをやや前時代的に思っていて。「楽しい」と「楽」が重なり合うものを探さないといけない時代なのかなと思うんです。
漫画家には、正解のない問いに対して答えを探す作業が必要だ
佐渡島:僕がパーソナリティーを務めているNHKのラジオ「タマリバラボ」で、先日YOASOBIの二人に出演してもらったんですよ。彼らの楽曲「夜に駆ける」はYouTubeで1.5億回再生にも昇り紅白にも出演し、大ヒットしたアーティストなのに、すごく肩の力が抜けていたんですね。そんなふうに、楽しいままずっと自走することを作家自身ができるようにしたいなと考えているんです。
媒体の視点で考えると、漫画雑誌で新人漫画家に初めて来るチャンスって、ページ後方の読切掲載なんですね。そこで編集部だけじゃなく、世間の話題にもなる必要がある。代打なのにホームラン打たないといけない、みたいな状況なんです。
でも例えばYouTubeだと、1発目でバズるだけではほとんど意味がないですよね。コンテンツを大量に発表し続けて、ストックをすることが大事な時代になってきているんです。でも、もし作ることを苦しく思っていたら続けることができない。楽しく続けることの方が今の時代には必要なんです。
安斎:コルクの作家さんたちもまた、一流の作家をロールモデルとするというよりは、楽しさを追求する方の方が多いんでしょうか。
佐渡島:楽しさに加えて、一人ではなくみんなで、文化祭みたいにワイワイする力を鍛えたいと思ってるんです。「どうやったら楽しく描けるのか?」と、楽しく問いかけあうような。
例えば、「意味のイノベーション」では批判を大切にしていますが、もしかすると、問いのデザインに長けていればすれ違いも生じなくて、ぶつかり合う批判すら必要なくなるかもしれない。そう考えると意味のイノベーションもまた、マッチョな思考のアプローチなのかもしれない、とも思うんですね。
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安斎:意味のイノベーションで必要とされているスパーリング(信頼できるパートナーとペアを組み、疑問をぶつけ合うこと)をしながら新しい意味を探す価値観自体が、前時代的なマッチョ思考を抜け出せていないのかもしれない……というのは、面白い考え方ですね。
あともう一つお聞きしたいのが、「ヒット作を出し続けるために必要な問い」。漫画家の創作活動がうまくいかくなる呪縛の問いには、どのようのなものがあるんでしょうか。
佐渡島:一番は今に集中できていないことですね。「発表したらどうなるか」「こんなこと言われたらどうしよう」のように、取らぬ狸の皮算用な思考が頭の中でぐるぐるしていることがあって。この作品はどうしたら良くなるか?という問いになっていないんです。
安斎:つまり、ヒットを打ち続けるためには漫画家自身の中で「今」や「作品が良くなること」にフォーカスされた問いになっていることが重要なんですね。漫画家さんとのワークショップで個人的に興味深かったのは「ファシリテーションにおいて有効な問いのパターンが、個人の創作において有効とは限らない」ということでした。
例えば、僕らが普段商品開発とか組織開発で大切にしてる問いって、例えば化粧品なら「そもそも美しさとは」のような定義を大事にしているんですね。でも、漫画家の方からは「そもそもの面白さを考えたら何も描けない」という意見が出ていて。「即効性の問い」と「遅効性の問い」があるのかもしれない、と感じたんですよね。
佐渡島:ビジネスの現場ではなかなか立ち止まる時間がないから、企業を対象とする場合には立ち止まらせる瞬間を作る問いが必要になるのかもしれないですね。逆に、漫画家はずっと立ち止まって内省しているから、立ち止まることより動き出す問いが必要になるのではないかなと思います。
「即効性の問い」と「遅効性の問い」のお話で言うと、それに加えて、答えが出る問いと出ない問いがあると思うんです。例えば「面白さとは」の解は文脈により変わるので、正解ではなく今の自分にとっての仮説を出し続けた方が良い。漫画家は、正解のない問いに対して答えを探す作業が大切なんです。
創造性とは、自己評価ができるかどうかである
安斎:漫画家が連載を続けていく際には、どのようなアイデアの出し方を行なっているんでしょうか。コンセプト生み出すために最初にまとめてアイデアを出すのか、それとも日々の創作の中で新たに考え続けるのか。一流と新人の間に、何か違いがあるんでしょうか。
佐渡島:一流の作家と新人の作家の差が何かというと、一流の作家は直しの量が多いことなんです。原稿が締め切りギリギリになるのは、思いつかないからではなく何度も直すから。新人の作家たちは、頭の中にあるものを一回で完璧に出そうとする。新人はつまらないものを書いたら見捨てられる、と勝手に思ってしまっているんですね。
だから僕は、新人の作家には「一流が100回直しているのに、なぜ1回で完璧に描けると思うのか」と話すんです。一流の作家は、1回目のアイデアがつまらなくとも自分の才能がないとか凹んだりしない。新人は「一流の作家ができることをできてない」と、勝手に自分にダメ出ししている傾向が強いんです。
安斎:「完璧なものを世に出さなければ」という呪縛を突破するとき、ブレイクスルーの転換点となるのはどこなんでしょうか。
佐渡島:抜け出せる人の共通項は、メタ認知ができるようになることなんです。新人は僕の合格点を取ろうとしがちですが、そうではなく「作家自身が満足いくものを世に出すために、佐渡島が手伝ってるんだ」というメタ認知ができるようになる。そうなると、僕のアドバイスを参考意見として聞くようになるんですね。
安斎:佐渡島さんは作家さんの中にある正解を探す問いを投げかけているにも関わらず、作家さん側は佐渡島さんの正解を探そうとしてしまっているんですね。
佐渡島:テスト問題の正解を検索し続けるような感覚なのかもしれないです。でも、作家の仕事は自分の内側に目を向け、何がしたいのかを考える行為。つまり、外側の正解を調べるのをやめる行為でもあるんです。
安斎:これまでの競争型の時代は、自分がうまくいってるか否かのフィードバックがわかりやすい面もありました。でも、それがなくなった現代で自分の中の正解を世に出していく時、次世代型の波に乗れる作家は何が違うんでしょうか。
佐渡島:自分が楽しめるように、遊びモードに入っていることが特徴かもしれません。例えば、今日の自分の服装が何点かを自分の基準で採点できるか。ファッションの専門家など第三者の評価を受けて自分は何点、という話ではなく、昨日と今日の自分を比べて自分自身で評価できるかということ。創造性とは、自己評価できるかどうかでもあるんです。
安斎:誰かから評価してもらうのではなく、自分で評価できるようになること。確かに、個の創造性を表す象徴的な基準かもしれません。
世界で戦うためには、個人の思考とチームの思考の往復が必要である
安斎:心理学の古典にもアーティストは必ず孤独だという研究があり、他方では創造性にはコラボレーションが大事だという研究もあります。コルクでは個人とチームの間で、どのように創造性の折り合いをつけていくんでしょうか。
佐渡島:チームで創作するといっても、やはり脳が接続されているわけではないので、個人の時間とチームの時間をどう繰り返していくか、という話になっていくと思うんです。
例えば日本ではよく、職人作業は個でやった方が楽とされていますよね。でも、世界と戦うためにはチームからの質問も大事になります。頭の中だけであれば、宇宙と繋がるような抽象的な思考もできますが、他人とのコミュニケーションは具体的でないと成立しません。思考における抽象と具体の行き来と、個人とチームの行き来は同じだと考えているんです。
安斎:確かにワークショップの設計においても、抽象と具体を往復して問いをコントロールします。大事なのは、思考が抽象と具体を行き来したものになっているかどうか、ということかもしれないですね。
佐渡島さんのおっしゃるように、個の時間は抽象的な思考や創造性が育まれるのかもしれません。でも現代は、社会との接続を断絶するのが難しくなっている面もあると思うんですよ。例えば自宅で一人でリモートワークしていたとしても、Slackの通知が来てしまう環境があります。佐渡島さん自身のアウトプットも多元だと思うんですが、その創造性を保っているルーティーンは何かあるのでしょうか。
佐渡島:僕は自分が創造的だとは思っていなくて。ただ、“知的うんち”をしている感覚なんですね。例えば、僕は安斎さんとワークショップしたことをすぐにnoteに書いたりVoicyで配信したりしたんですけど、もしその僕の認識が違っていたら、次のタイミングで安斎さんから補足してもらえる可能性がありますよね。だから僕にとってはYoutubeもnoteもVoicyも、すべてアウトプットではなくて、インプットを完了させる場だという考え方なんです。
人間の身体も、食べたものは排泄しないとダメな仕組みになっていますよね。同じように、脳もすぐにうんちをしたほうがいいと思っていて。それを毎日続けていくうちに、ストックが蓄積していくというサイクルなんです。
自分自身にとっての作品はコルクであって、コルクがどういう場になるかが本当のアウトプット。だから、側から見えている僕のアウトプットは、僕自身がただインプットしたものを外に見えるように出しているだけなんです。
安斎:そうしたインプットも含め、佐渡島さんは常に周りを巻き込みながら取り組んできますよね。コルクの漫画家の方とのワークショップでも、参加した漫画家がその気づきを漫画として発信するよう、自然に促していたのが印象的でした。
同じワークショップに参加されていても、人それぞれで視点が違うんですよね。どういうストーリーで描くのかということ自体が、漫画家の皆さん一人ひとりからのフィードバックになっていて。僕自身も皆さんの漫画の内容を受けてnoteを書いたんですよ。ワークショップを実施した後にも改めて振り返りの場がセッティングされていたり、リフレクションも含めて佐渡島さんのフィードバックサイクルに入っているのだなと思いました。
佐渡島:側から見ると何かを発表してるように見えるかもしれないんですけど、僕自身としてはフィードバックを含めた人とのコミュニケーションをオープンにしているだけです。ただ1対1の対話を続けているだけなんですよね。僕は政治家ではないので、1対多の意識で話すことはしないんです。
安斎:あと、佐渡島さんとの取り組みは短期間で連続していくな、とも思っていて。僕がNHKラジオ「タマリバラボ」に出演させていただいたことに始まり、YouTube番組、コルクの漫画家さん向けワークショップがあり、そして次の新たな施策もリフレクションで浮かび上がっています。関係性が続きながら次々に物事が起こっていくっていうのは“佐渡島マジック”なのかなと思いながら楽しませていただいているんですけど、次に繋げるために意識していることはあるんでしょうか。
佐渡島:人間関係が始まる時には、接点が連続した方がいいと思っているんです。これだけ一緒に色々やっていると、例えばしばらく時間が空いた10年後とかでも、また気軽に声を掛け合ってパッと取り組めるんじゃないかなと考えていて。今って、人生100年時代じゃないですか。人間関係の時間スパンも変わって、数十年間かけて作られていくものになっているんじゃないかなと思うんです。
安斎:インプットは“知的うんち”として毎日のルーティンで取り組みながら、人との関係性は数十年単位で考えるというのは、佐渡島さん自身が時間軸の捉え方の感覚に長けているということなのかなと思いました。
佐渡島:僕は一期一会よりも、コンテキストによって意味が変わりストーリーが生まれていく関係性を好むんです。だから誰かと出会うと、長期間の関係を築こうとするところがあるんですね。情報に対しては早く回すけれども、人間関係はゆっくり進める。そういうスピード感を心掛けているところはありますね。
安斎:佐渡島さんとの取り組みは、着実に進みながらも焦りがなくて「今すぐはわからなくても、これから何か生まれるかもしれない」という期待に満ちた感覚があるので、その思考法を聞けて嬉しかったです。今日は色々なお話を伺えてとても贅沢な時間でした。ありがとうございました!
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