CULTIBASE Radioは、人やチームの創造性を高める知見を音声でお届けします。 CULTIBASE Radio マネジメントの29回目では、CULTIBASE編集長の安斎勇樹と株式会社MIMIGURI Co-CEOのミナベトモミ、株式会社ミミクリデザインの和泉裕之が「人々はわかりあえない?対話の意義を再考する」をテーマにディスカッションしました。
※今回は、先日YouTube LIVEにて公開収録したものを、トピックごとに編集してお届けします。
- 先日、CULTIBASE Radioにて「相手の、今は見えていない部分への関心と想像をもつこと」を対話の教科書の1ページ目に書くべき基本としたが、和泉によると「人と人はわかりあえない」という点も付け加えたいという。
- 一緒に長い時間バスを待っている相手がいたとすると、バスが来たときにただ「来ましたね」とだけ言い、「バスが」という言葉は省略するだろう。これが私たちの日常に起きていることであり、危険性を孕んでいる。
- 「わざわざ確認しなくてもいいか」「こういう場合はこう考えるものだろう」と思ってしまうが「我々は、ほぼ違う星からきた生物だ」という認識である方がいい。
- そう聞くと「わかりあえないんだったら、一人でいよう」と戦意喪失してしまいそうになるが、まずは「対話はやらなければならないもの」という認識を変えてみたい。
- 他者とは「自分の知らない世界を知っている人」だ。そもそも、なにか新しいことを知ったり、新しい世界を見たりするのが好きな人は多いだろう。例えば、旅行をしたり小説を読んだりすることにはそういう楽しみがあるが、その選択肢の1つに「対話」があると考えたい。「違う」ということは、怖くもあり楽しくもあることなのだ。