なぜ「発信」するのか?

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なぜ「発信」するのか?

2024年も残りわずか。CULTIBASEは今年、すべてのコンテンツを無料化するとともに、コンセプトを人と組織の探究メディアにリニューアルしました。

「探究(Queest)」は私たちが設立以来ずっと大切にしてきた言葉です。この“Quest”は「冒険」の訳語であると同時に、「問い(Question)」の語源とも深く結びついています。そして、「探究」は運営会社であるMIMIGURIが提唱する新時代の整合性モデル:Creative Cultivation Model(CCM)にも通じる概念です。事業を通じて社会的価値を探究する一方で、社員一人ひとりの自己実現をも諦めない――CCMは、まさに「冒険的組織」を育む営みそのものを象徴しています。

そんな「探究」と「冒険」の精神を体現する企画、MIMIGURIアドベントカレンダーが12月1日から始まりました。今年のテーマは「わたしたちの冒険」。MIMIGURIのメンバーがどんなレンズを通して世界を見て、どんなふうに楽しんでいるのか。その独自の視点で描かれる冒険的世界観を、連日の記事としてお届けしています。

MIMIGURI Advent Calendar 2024 #わたしたちの冒険

今回はこの企画の中から、DAY25の代表取締役Co-CEO 安斎勇樹の記事をピックアップしてご紹介します。それぞれの視点で綴られる冒険記を、ぜひ味わってみてください。


2024年は、私にとって30代最後の年でした。振り返ってみると、これほど「発信」という行為に打ち込んだ年は、これまでの人生でかつてなかったように思います。

4月に始めた音声プラットフォーム「Voicy:安斎勇樹の冒険のヒント」は、ほぼ毎日15分程度、本日時点で246本の音声コンテンツを配信。今では欠かせない発信ルーティンになっています。[Voicy]安斎勇樹の冒険のヒント

そして何より、4年ぶりの単著・最新刊『冒険する組織のつくりかた「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法』を書き上げ、2025年1月24日に出版できることになりました。448ページの大著で、これまでに集大成と呼べるような「組織論」の実践書。予約がまだの人は、早期予約特典キャンペーンがある年内のうちにぜひ!

さらに今年は、組織論に並行するかたちで、「探究の技法」や「キャリアデザイン」に関する探究も深まり、Voicyやnoteの記事を継続的にアウトプットし、こちらも多くの反響をいただきました。[note]探究の方法論

そんなわけで、とにもかくにも人生で一番「発信した」一年だったと実感しています。

しかし意外に思われるかもしれませんが、私は本来、自分の意見を積極的にアピールするタイプではありません。飲み会やイベントでは必要以上に話しませんし、完全に内向型、消極的な人見知り人間。20歳の若き自分に「将来、毎年本を書いて、毎朝ラジオ配信しているよ」と言ったら、きっとまったく信じないでしょう。

そんな私が、なぜ毎朝のように声を届け、文章を綴り、新たな本を書き続けるのか。誰に向けて、何を伝えるために活動しているのか。本記事では「発信の動機」を改めて言語化してみたいと思います。

発信の動機(1)自分自身の「創作」のため:快楽とケアとしての表現

高尚な動機を書き連ねたかったのですが、第一に頭に浮かんだのは、誰のためでもなく「自分のため」にやっているということです。経営のためとか、社会的な課題解決のためとかではなく、とにかく「楽しいから」やっている。これが根源的な理由です。発信によって、私は得も言われぬ快楽を得ている。

私はもともと「何かを作りたい」という欲求が強く、デザイナーや芸術家、建築家など、わかりやすく目に見える作品を表現できる職種に憧れを抱いていました。父親や芸術家だったことにも影響を受けているかもしれません。

しかしそうした創作の衝動をうまく活かせないまま青年期を迎えていたわけですが、とあるきっかけで大学院に進学して、「研究の方法論」を学んだことが、私の表現者としての大きな転機となりました。

自分の興味関心を言い当てるオリジナルの研究テーマを設定して、関連する文献を渉猟しながら自分なりの答えを論文・書籍にまとめあげる。──この一連の作法を身につけたことで、自分の好奇心と抑圧を「作品」に昇華させることができるようになり、人生における「娯楽」と「セルフケア」の手段を同時に手に入れた想いでした。これが、私が今「探究論」として語っているものの土台になっています。

さらに、一つのテーマを探究し尽くして、それについて発信し続けることは、それに「飽きる」ことと表裏一体でもあります。ある対象を徹底的に見つめ、問いを掘り下げ、答えをまとめあげ、饒舌に語れるようになった頃には、自然と頭には「次の問い」が浮かび、「次の対象」に関心が移ろいでいる。

この循環に身を置くことで、いつまでも「ゲームをクリアしてしまった」「楽しみにしていた連載が終わってしまった」状態に陥ることなく、永久に創作を楽しみ続けることができる。ドラクエの新作を無限に自己生成する術を身につけたわけですから、道楽者としては一生安泰です。これが、私の第一の「発信の動機」です。

発信の動機(2)共感する実践者を"エンパワメント"する

せっかく発信するのであれば、誰かの役に立ちたい。ただの「独り言」ではなく、社会に価値ある発信につなげたい。私にも当然そのような想いはあります。

しかし大事なこだわりとして、どうせ何かを発信するのであれば、誰かを貶めたり、現状を悲観的に批判するのではなく、誰かを元気づけたい。つまり「実践者のエンパワメント」をしたい。ここに、僕の発信者としての矜持があります。

かつて受けた批判「ワークショップなどという"神々の遊び"では、社会は変わらない」

ワークショップについて研究していた20代の頃。私は学校の制度や規範の「外部」で実施されるワークショップの可能性に興味惹かれ、参加者の創造性を解放する学びの場づくりについて探究していました。

しかし、私のワークショップ論には、いわゆる教育社会学系の専門家からは、批判や疑問の声もありました。それは、以下のような主張です。

あなたが主催するワークショップに参加している子どもたちは、主体的で頭がよく、家庭も裕福だ。そうした「恵まれた子どもたち」が非日常的な遊びに興じる様子は、いわば暇を持て余した"神々の遊び"のようなものである。本当に学びの機会を届けるべき子どもたちは、そこには参加していない。ワークショップは分断を生むだけで、"教育の問題"は解決されないのではないか?

これは概ね正しい「正論」だったため、当時の私は「そうかもしれないな。自分の研究は、社会の役に立たないのかもしれないな…」と、内心では凹んだ時期もありました。

しかしそもそも私は「学校教育の問題」を解決するために研究していたわけではないですから、割り切って、自分にとって最高に面白くて創造的なワークショップの方法論を追い求めて、約10年間、研究を続けました。

"神々の遊び"が、10年かけて民主化されて、社会にインストールされた

すると、次第に共感してくれる読者が増え、私の著作を読んでくれた実践者の方々から「草の根で続けてきた活動に、光を当ててもらえた」「暗黙知を言語化してもらえたことで、勇気が出た」などと声をかけてもらえるようになりました。代表作である『ワークショップデザイン論』『問いのデザイン』『問いかけの作法』は、結果として、多くの学校教育関係者に参照いただける本となりました。

今では、義務教育にも「探究学習」が導入され、"ワークショップ的な学び"は教室において民主化されました。このムーブメントに私の研究がどれだけ貢献できたのかは定かではありませんが、長期的な変化のなかで、実践者にとって多少なりとも価値を持っていたのだと、今では自負しています。

世の中を変革していくには、長い時間がかかります。その意味で、社会の現状を批判して「こんなにまずいことになっている」「このままでいいのか?」と厳しく指摘して、危機感を煽る役割はとても重要です。しかし私自身はあえてそういうアプローチではなくて、希望を持って実践する人たちを励まし、新たな視点と、効果的な方法論を提供したい。これが、私の発信のもうひとつの動機なのです。

新刊『冒険する組織のつくりかた』で広がる、実践者のコミュニティ

最新刊『冒険する組織のつくりかた』もまた、社会の現実に目を向ければ、以下のような批判が容易に想像できます。

  • すべての従業員が自己実現欲求と自我を持ったら、職場の秩序は崩壊して、経営の目標を達成できるはずがない
  • 業界や職種によっては、まだまだ軍事的なマネジメントのほうが合理的に決まっている
  • そもそもほとんどの人間には主体性がない。そういう人たちは、組織の"歯車"として働くほうが、何も考えずに済んでラクなのではないか
  • 冒険的世界観などは、前向きな目標を持てる一部の会社だけが実践できる絵空事で、ほとんどの中小企業は現状維持すらままならない
  • これはMIMIGURIのような、外部資本が入っていない特殊なベンチャー企業だから実践できる"神々の遊び"なのではないか?

….などなど。そしてやはりこれらも、「正論」なのかもしれません。それでも私は、冒険する組織づくりに希望を持っていて、共感してくれる実践者の方々に向けて、エンパワメントをしたいのです。

大変ありがたいことに、すでに発売前から札幌大阪京都静岡高知、福岡など、全国各地で共感してくれる実践者の方々が「読者コミュニティ」をつくろうと奔走してくれています。出版後は全国行脚で忙しくなりそうですが、私が「面白い」と思って編んだ知見が、誰かの実践の役に立つのであれば、どこにでも喋りにいく所存です。

昨今、企業において管理職は"罰ゲーム"で、働いていたら探究どころか本を読む余裕すらないのだそうです。人々を疲弊させ分断を生むそうした構造的課題についても向き合わなければなりません。しかし私は、それを悲観的に糾弾するのではなく、あえて主体的に目を逸らすことで、まったく別の視点から「その手があったか!」という前向きな方法を、社会に示したいのです。

ワークショップが「教室」にインストールされていったように、10年後に振り返ったときに「少しずつ、冒険的世界観が当たり前になってきたね」と言える未来を期待して、2025年も私は創作と発信に励みたいと思います。


追伸:MIMIGURIは4期目を迎え、約80名の組織となりました。"全員探究"を掲げて今年も楽しくやってきましたが、それぞれのメンバーの今年の探究の成果がアドベントカレンダーで発信されています。ぜひ他の記事も読んでみてください!

MIMIGURIアドベントカレンダー #わたしたちの冒険

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