多くの企業が挑み、そして頭を悩ませている新規事業づくり。新規事業担当者からは「孤立感を感じている」「他部署からの理解が得られない」といった声が聞かれます。経営者として、イノベーションを生み出す人材育成・組織づくりに四苦八苦している方も少なくないでしょう。
チームで円滑に新規事業を推進していくためには、どういった点に気をつけると良いのでしょうか? はたまた、「新規事業がうまくいくチームづくり」とは一体どのようなものなのでしょうか?
そんな問いに対する答えを探るべく、『「事業を創る人」の大研究』『チームワーキング ケースとデータで学ぶ「最強チーム」のつくり方』の著者である田中聡さん(立教大学 経営学部 助教)をゲストにお招きし、「新規事業が生まれるチームづくりのコツ」を学ぶイベントを開催。
本記事では田中さんによる講義内容をレポートします。新規事業を「つくる人」「支える人」「育てる組織」に関する田中さんの講義は、新規事業の担当者だけでなく、多くのビジネスパーソンに示唆を提供する内容となりました。
「つくる人」「支える人」「育てる組織」──新規事業を生み出すために必要な、三位一体の改革
田中さんはまず、このイベントでは、世の中を抜本的に変えていくようなイノベーション創出にまつわる話ではなく、「ある企業における新たな事業、.商品・サービスの立ち上げ」に関する話だということを前提として語られました。
これらを前提に設定された本イベントのテーマは「新規事業が生まれるチームづくりのコツ」。田中さんは、新規事業に関する研究を進めるためのフィールドワークを通して、ある違和感があったそうです。
田中 大企業が「これから新規事業をつくるチームを立ち上げるぞ」となったとき、本当に見事なまでに、どの会社も同じアプローチを取ることに違和感を持ったんです。既存事業のオフィスから完全に離れた場所におしゃれなインキュベーションオフィスを用意したり、業界の有名人を新規事業担当役員に招聘したり、成果も出ないうちにメディア露出を増やそうとしたり、メンバー層はとりあえず粋の良さそうな若手で固めたり……といった具合です。あとは、既存事業の社員はスーツなのに、新規事業チームだけはなぜかTシャツ・デニムでOK、というケースも多い。
つまり、何が言いたいかというと、大企業における新規事業部門は、「自分たちは新規事業部門です!」というアイデンティティを強調しすぎているように感じたわけです。もちろんそこに悪気など一切ないのですが、新規事業チームに属するメンバーたちは、無意識のうちに「既存事業と新規事業の境界線」を引いてしまっているのではないかと思ったんです。
しかし、「新規事業をつくるチーム」とは、新規事業を担当するチームだけのことを指すわけではありません。会社全体を「新規事業をつくるチーム」と捉えなければならないと、僕は考えています。
新規事業は「全社のミッションを達成するために、既存事業ではカバーできない領域を埋めるため」に生み出されます。それこそが新規事業の存在意義でしょう。しかし、いつの間にかこの大前提が忘れ去られ、「新規事業を成功させること」を目的化してしまうというのです。だからこそ、田中さんは「新規事業をつくるチームとは、新規事業を担当するチームだけではなく、“会社全体”を指す」と強調します。
田中 全社のミッション・ビジョンや経営目標を達成するために、既存事業チームと新規事業チームが手を取り合いながら前進していくことが、理想の姿なんです。
しかし、そうした理想的な姿を実現できている企業は少ない。むしろ、既存事業と新規事業が会社の限られたリソースを奪い合う対立関係になってしまっているケースを数多く目にしてきました。
だからこそ、新規事業を生み出すチームを考える際、チームの枠組みを捉え直すところから始めなければならないのではないかと思うんです。
「本論に入る前にこういった回りくどい説明をするのには理由がある」と田中さん。「どこまでをチームとするのか」にこだわる理由は3つあるといいます。
田中 新規事業は、一人のイノベーターによって生み出されるわけではない。僕らは「突出した才能を持った社員のアイデアから新規事業は生まれる」と考えがちですが、これは誤解です。新規事業の創造とは、ある個人の物語ではなく、組織的なプロセスなんです。これこそが、僕がチームの定義にこだわる1つ目の理由です。
2つ目の理由は、新規事業を立ち上げる際は必ず、既存事業で培ってきたノウハウや知見を有効活用する必要があるということ。「離れ小島」になってしまった新規事業はうまくいかないんです。
そして、最後の理由は、ゴールにまつわるもの。新規事業の目的とは、革新的なアイデアを生み出すことではなく、マーケットに価値を提供して経済的な成果を生み出すことです。つまり、自社に利益をもたらすことが目的なので、全社をあげて取り組むべきものであり、全社をチームとして捉える必要があると考えています。
新規事業を生み出すために必要なのは、三位一体の改革だといいます。「三位」が指すのは、「事業をつくる人」「支える人」、そして「人を育成する組織」です。
田中 「事業をつくる人をいかに生み出すのか」に焦点を当てた議論が多いように思いますが、それだけは不十分だと考えています。新規事業を生み出すチームをつくるには、既存事業を担当するメンバー、経営層なども含めた「支える人」と、つくる人と支える人を育成できるような組織をつくっていく必要がある。
イノベーション研究においても、人と組織にフォーカスした研究はあまり進んでいないんです。2010年に発表されたあるメタ論文によると、過去30年の歴史の中で人や組織をテーマとしたものは全体の5%ほどしかない。戦略論やマーケティングに関する研究がほとんどだったんですね。
人や組織も、新規事業を生み出し、企業に利益をもたらす重要な資源のはずなのに、研究が進んでいない。この事実が、僕をこの領域の研究に向かわせたんです。そうして取り組んだ研究成果の一端を、これからお話していきます。
事業を「つくる人」の前に立ち塞がる“敵”は、社内にあり
最初のテーマは「つくる人」です。事業を生み出す人に求められる条件に関する、ある研究結果の紹介から、このパートは始まりました。
田中 野村総合研究所が行った研究で、「経営層が考える『事業を生み出すために必要な力』と、実際に新規事業づくりで成果を出した人たちが挙げた必要な力は、大きく異なっている」という結果が出たんです。
経営層が重視したのは、推進力や構想力、挑戦心を持っていること。歴史上の人物で言えば、坂本龍馬のような人物が新規事業には向いていると考える人が多かった。一方、新規事業で成果をあげた人たちの多くは、人を見る力や他者を活用する力、あるいは過去の成功体験をアンラーニングする力が重要だと答えた。たとえるならば、豊臣秀吉のような人でしょうか。
田中さんが行った調査においても、新規事業の創造において重要なのは「観察力」や「他者活用力」であることが分かったといいます。これらの研究や調査が示す、経営層と現場の乖離。ここに、新規事業づくりの難しさが隠されています。
田中 簡単に言えば、新規事業に携わっていない人は、新規事業づくりのことを分かっていないわけです。それどころか、批判的な目を向けていることも少なくない。僕たちが行ったある調査では、新規事業に関わった経験がある24%のビジネスパーソンが「身内から『自社の新規事業はお金の無駄遣いだ』と思われた経験がある」と答えています。また、経営層は新規事業よりも既存事業の業績に高い関心を示す傾向があることも分かっています。
要するに、新規事業立ち上げの“敵”は、身内にいるということなんです。事業をつくる人たちは、アイデアをいかに生み出すかよりも、いかに周囲から支援や協力を得るかということに苦心している。だからこそ、事業をつくる人は「観察力」や「他者活用力」が重要だと答えるわけです。
新規事業に取り組むメンバーたちには、社内から懐疑的な目が向けられ、非協力的な態度を取られることが多い。そういった思いがけない“敵”の存在が、新たなアイデアをマーケットに送り出すことを阻害する要因になってしまっているんです。
本来ならば新規事業の担当者は、市場や顧客に向き合う時間を増やさなければなりませんが、こういった“敵”が存在することによって、社内の火消しや、協力を得るために既存事業のキーマンを一人ひとり訪ねる「既存事業詣で」に時間を費やすことになってしまうのです。
問題は”敵”の存在だけではありません。誰に「つくる人」を任せるかも、新規事業を生み出す上では大きな問題となります。
田中 この図は、既存事業の経験年数と新規事業でのパフォーマンスの関係を表したものです。既存事業を全く経験したことがない人に新規事業を任せても、パフォーマンスを発揮しづらいことが分かります。
よくあるのは、中途で新規事業担当者を採用し、立ち上げを任せるケース。これはなかなかうまくいきません。ただ、在籍期間が長ければ長いほど上手くいく確率が上がるかといえば、そうでもないんです。既存事業に過剰適応してしまうと、新規事業で活躍できなくなってしまうことも明らかになっています。
また、こうした話をすると「在籍期間にかかわらず、自ら手を挙げた人に任せるのが一番なんですね」といった反応が返ってくることが多いのですが、そういうわけでもなさそうなんです。
最近では自ら希望して新規事業部門に異動したり、社内の事業立案コンテストに入賞して立ち上げを任せられたりする人も増えました。しかし、それでも現状は全体の3分の2は会社の意向によって新規事業を担当することになった方々です。では、「どんな人が新規事業で成果を残しているのか」を調べてみると意外な事実が分かりました。それはハイパフォーマーの多くは後者、つまり会社の意向で新たな事業を任されることになった人たちだということです。
ただし、その差はわずかなもの(「会社都合で新規事業をやっていた人」が18%、「自分の新規事業プランが採用された人」が16%)で、統計的に有意な差が出たわけではありません。ですので、この調査の結論を厳密に言うとすれば「異動の経緯は、新規事業におけるパフォーマンスに対して影響を与えない」ということになります。では、何がパフォーマンスに影響を与えるのか。それは、新規事業に対する「意味付け」なんです。
既存事業でいくら大きな成果を挙げていても、新規事業に取り組むことを「自らのキャリアにとって損なことである」といったようにネガティブに捉えている人は、成果を出しにくい。対して、新規事業を担当することを「学びの機会」だと考えている人ほど、パフォーマンスを発揮しやすいことが分かっているそうです。
「高い学習目標志向性を持った人」が、新規事業を成功に導く
実際、新規事業は経営人材を育てるための絶好の機会になることが分かっているといいます。新規事業を経験した人材は、以下のようなプロセスで成長するそうです。
田中 既存事業で高い成果を残し、かつ高い成長意欲を持った人が、新規事業に異動したからといって、いきなり大きな成長を遂げたり、ものの見方が変わったりするわけではありません。
新規事業を担当して最初に訪れるのは「他責思考期」です。これまで既存事業で順風満帆にキャリアを謳歌してきた人が新規事業に移ると、そこで待ち受けているのは「修羅場の連続」です。とにかくあらゆることが前に進まないわけです。すると、うまくいっていない現状を冷静に受け止めることができず、異動を決めた経営層や上司、非協力的な既存事業部門、また共に働く同僚や部下のせいにしようとするんです。期間は人によってまちまちなのですが、新規事業部門に異動した後、半年から1年ほどはこの「他責思考期」を過ごすと言われています。
次に訪れるのは「現実受容期」です。思うように物事が進まない状況が続くと、多くの人は「そもそも自分はなんでこの会社で働いているのか」「自社の事業は顧客にどんな価値を提供しているのか」と思考し、さまざまなことに意味付けするにようになります。そうすると、現在自らが置かれている「不運な状況」をメタ的な視点で捉えられるようになり、徐々に現状を受容していくようになるといいます。
田中 現実受容期の先にあるのは、「反省的思考期」とよばれるフェーズです。既存事業部門にいたときの振る舞いや、現在の仕事に対する向き合い方を批判的に省みるようになる。「既存事業部門では自分はリーダーだと思っていたけど、結局は上から言われたことをそのままメンバーに下ろすだけのフォロワーだったのではないか」「これまで自分はポジションパワーを利用して、あまりにも自分本位な仕事の進め方をしてきたのではないか」などと考えるようになるんです。
そして、最後のフェーズが「視座変容期」です。この時期まで来ると視座が変わり始めます。いわゆる「管理職としての視座」から「経営人材としての視座」へと、ものの見方・考え方が大きく変わっていきます。自部門の短期業績を追いかける視点から、社会の動向や会社全体を俯瞰し、中長期的な視座を持って事業づくりに取り組めるようになることが分かってきている。
これが、新規事業で人が育つプロセスです。とりわけ僕が重要だと思っているのは、不遇の日々を過ごす中で、その会社にいる意味や事業の価値、働く理由を見つめ直す第2の現実受容期のフェーズです。。新規事業の立ち上げは、そういった根本的なWhyの部分を問い直すきっかけを与えてくれるんです。
そして、「この会社で働くこと」「この事業の立ち上げにコミットすること」に意味付けし、うまくいかない現状を受容し、乗り越えられる人が自らのパースペクティブを変容させ大きな成長を遂げることをこれまでの研究が明らかにしています。
ここで田中さんは重要なキーワードを提示しました。そのキーワードとは「学習目標志向性」です。「新規事業を担当することを『学びの機会』だと考えている人ほど、パフォーマンスを発揮しやすい」と田中さんが語ったように、事業をつくる過程で自らを成長させ、生まれ変わろうとする人が、結果的に新規事業を成功に導くのです。
既存事業においては「業績をあげること」にコミットする、業績目標志向性が高い人が大きな成果を残していることを示す研究もあるそうですが、新規事業はその逆。業績目標志向性ではなく、自ら学び、成長しようとする高い学習目標志向性を持った人物が、業績に好影響をもたらすことが明らかになっているといいます。
なぜ新規事業においては学習目標志向性の方が重要なのでしょう。田中さんはその理由をこう説明します。
田中 業績目標志向性が高い人と、学習目標志向性が高い人の違いから説明していきましょう。大きな違いは「知能や能力の成長に対する考え方」にあります。強い業績目標志向性を持った人たちは「個人の知能や能力には限界があり、ある年齢でピークを迎え、あとは下降していく」と考えています。一方、学習目標志向性が高い人は、能力はトレーニングをすることによっていくらでも伸ばすことができる、つまり「限界は無い」と考えるんです。
知能や能力の成長に対する考え方の違いは「どんな仕事を好むか」にはっきりと現れます。どっちが良い悪いという話ではないのですが、仕事の好き嫌いが分かれるわけですね。能力に限界があると考えている、業績目標志向性が高い人たちは、「好きな仕事を選んでいいよ」と言われると、自らが得意とする仕事、言い換えれば過去に成果を残した仕事に近いものを選ぶ傾向がある。対して、学習目標志向性が高い人たちは、誰もチャレンジしたことがない仕事、少なくとも自分は挑んだことのない仕事を積極的に選ぼうとするんです。
こうした好き嫌いが生じる理由は、能力に対する理解の差異が両者の「失敗に対する考え方」を規定しているからだと説明します。
田中 業績目標志向性が高い人たちは、何か新しいことに挑み、失敗に終わってしまったとするとその結果の原因を「自らの能力の限界」に求めます。つまり、才能がないと捉える。誰しも能力の限界や才能がないことを自覚することは避けたいですよね。だから、そうした挫折感を覚える可能性が低い、成功を収めた経験がある仕事を好むわけです。
一方、強い学習目標志向性を持つ人は、失敗の原因を「アプローチを間違えたこと」、あるいは「努力が足りていなかったこと」だと捉えられる。ですから、「じゃあ、次はやり方を変えてみよう」「これまでとは違うまなざしで課題を捉え直してみよう」と考えるわけですね。
新規事業を「つくる人」にアサインすべきは、高い学習目標志向性を備える人物なのです。「ただし、業績目標志向性が高かった人が、学習目標志向性を持つようになるケースがあることも分かっている」と田中さん。ポイントは、「反省的思考期」に適切な内省を促すことだといいます。上司が反省することをサポートし、責任の所在は外部ではなく、内部にあることを自覚させ、行動の改善に導くことができれば、次第に学習目標志向性が高まっていくことが明らかになっているそうです。
新規事業の命運は「経営層」と「社外の新規事業担当者」が握っている
ただし、高い学習志向性を持った「つくる人」だけでは、新規事業はうまくいきません。次のテーマは「支える人」です。
田中 このスライドは、米国経営学会で発表されたあるイノベーション研究の論文です。「優れたアイデアが出ないのは、本当に『アイデアが無いから』なのだろうか」という素朴な問いをきっかけに始めた研究内容の一部を抜粋したものです。
横軸は従業員が持っているクリエイティビティ。縦軸が「その創造的なアイデアを会社の中で実行しようと思うかどうか」の度合いだと捉えてください。創造的なアイデアを持っていれば、それを実行しようとするのではないかと思いますよね。ですから、グラフは右肩上がりになるはずなんです。
しかし、ご覧いただくと分かるように、ある条件が揃わなければグラフは右肩上がりにならない。つまり、環境によってはアイデアを持っている人が、そのアイデアを「実行しよう」と思えないということなんです。
アイデアを持っている人が実行に移そうと思うための条件とは「実行に移したとき『社内からのサポートを得られる』と感じていること」と「自らが周囲のサポートを得られるだけのネットワークスキルを備えていると自覚していること」。
逆に、いくら優れたアイデアを持っている人でも「周囲からのサポートを得ることに対する期待」と「サポートを獲得する自信」のどちらかが欠けていれば、形にするための行動を起こさない可能性が高くなるというのです。
では、どういった人の、どういったサポートがあれば、アイデアを形にするための行動を喚起し、新たな事業を成功に導くことができるのでしょうか。田中さんは、経営層、社内の他部門、社外の新規事業担当者という3つの主体からのサポートについて調査を行ったそうです。
田中 新規事業の業績に良い影響を与えるのは、自社の経営層と社外の新規事業担当者からのサポートであることが分かりました。
経営層が与えるべきなのは「内省のサポート」、これは先ほど申し上げた学びのプロセスを支援するためのものですね。社外の新規事業担当者からは、業務に関するより具体的なサポートを受けると好影響が期待できます。事業計画の書き方や、新規事業における理想的なP/Lとはどのようなものなのかなど、より実務的なサポートを受けることが、新規事業の好成績に結びつくことが明らかになりました。
「言い方を変えれば、この2者以外からのサポートは直接的に新規事業の業績に影響しない」と言います。重要な「支える人」は経営層と社外の協力者なのです。
田中 多くの企業の経営層がおかしがちな失敗の一つは、完全に任せてしまうこと。権限を委譲するといえば聞こえはいいですが、新規事業部門に任せっきりにしている会社と、経営層が先頭に立って、新規事業にコミットしている会社との間では、担当者のパフォーマンスに歴然とした差が生じるんです。
もう1人の重要なサポーターである、社外の協力者は、先程申し上げたように事業そのものに好影響を与えます。事業をブラッシュアップするための知見はもちろんですが、外部の人とのつながりを持っておくと「あの会社もこういう風にやっている」と経営層に説明することで、なぜか稟議が通りやすくなるといった効果も期待できますね。
そして、社外とのつながりを持つことの最大のメリットは、「知の探索」を促進しやすくなること。イノベーションを生み出すためには、自組織が持っている知見を深掘りする「知の深化」と、新たな知を取り入れるための「知の探索」が必要だとされています。
しかし、多くの会社は「探索」ができていない。知の探索を進める上で効果的だとされているのが、会社の垣根を超えて学び合う越境学習。新規事業の担当者同士がつながり、知見を交換することは「知の探索」を推し進め、イノベーションを創出する源泉になりうるわけです。
そう聞くと、「つまり、オープンイノベーションを促進すれば良いのか」と考えてしまいそうですが、「安易に飛びついてはいけない」と警鐘を鳴らします。
田中 ここ5年ほどで、オープンイノベーションに取り組む企業は一気に増えましたよね。企業と企業の出会いを促進するプラットフォームや機会もかなり多くなりましたが、「とりあえず他社と出会い、コミュニケーションを図ればイノベーションが生まれる」と考えている人が多いのではないかと危惧しています。
たしかにオープンイノベーションは「知の探索」を促進するいい機会になります。しかし、まずは「社内にはどんな知があるのか」を明文化し、その上で「どのような新たな知を求め、社内にある知と新たな知を掛け合わせることでどんな方向に進みたいか」をはっきりさせておかなければ、オープンイノベーションによる効果は期待できません。それどころか、中途半端に取り組んだ上で、「オープンイノベーションには効果がない」と安易に結論づけてしまう恐れすらあります。これは非常にもったいない。
まずは「知の深化」ありきなんです。フィールドワークを行う中で、自社にどんな知見があるのかする把握できていない企業を目にしてきました。まずはしっかりと自社の知を深めるところから始めるべきでしょう。
みなさんは自社の他部門がどんな知見やノウハウを持っているのか知っていますか? 大企業であればあるほど、部門間の交流が全くなく、自社に存在する知の全体像を把握できている人が一人もいないといった場合が多い。まずは足元から見つめ直し、知を深め、その上で知の探索を進めること。それがイノベーションを生むためのステップだと考えています。
新規事業を育てる組織をつくるために、まず言葉を変えよう
最後のテーマは、組織について。既存事業を成長させながら、新規事業を育てられる「両利きの経営」を可能にするのは、どのような組織なのでしょうか。組織行動論の研究者であるオライリーとタッシュマンは、共著である『両利きの経営──「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』の中で、両利きの経営を実現するための条件があると述べています。
その条件とは、「探索(新規事業)と深化(既存事業)が必要であることを正当化する明確な戦略意図をもつこと」「成熟部門と新規部門が最適な距離感にあること」「新規事業の育成と資金供給に経営陣が積極的に関与すること」「成熟部門と新規部門に共通するアイデンティティがあること」です。
田中 ここでは、「成熟部門と新規部門が最適な距離感にあること」と「新規事業の育成と資金供給に経営陣が積極的に関与すること」について詳しく述べていきたいと思います。
新規事業を推し進めるにあたって最も重要なことは、先程申し上げたことと重複しますが、既存事業がどんなノウハウや技術を持っているのかを知ることなんです。それらをうまく活かせるかどうかが新規事業の成否を決めると言っても過言ではありません。
既存事業のなかで当たり前とされているような事業管理のあり方やマネジメント手法をそのまま新規事業に引き継がない方が良いこともありますが、すべてを完全に遮断してもいけません。人や顧客、あるいは販売のチャネルや技術は積極的に接続すべきですし、それらを融通し合える関係を構築することが重要です。
また、メンバーの多くが新規事業に対してポジティブな感情を持っている会社の方が、そうではない会社と比較し、新規事業の成功確率が高いことが、調査によって明らかになっているそうです。そうした風土を生み出すのは、「新規事業に対する経営トップのコミット」だといいます。
田中 経営層が新規事業への本気度を行動で示すこと。これが、全社の新規事業に対するポジティブな感情を生み出します。トップが株主やメンバーに向けて「これからは新規事業に本気で取り組んでいく」と言うことは簡単ですが、自信を持って「トップが新規事業にコミットしている」と言える会社は少ないのではないかと思っています。口ではなく、行動で示すことが重要なんです。
あとは、組織の観点でいうと、「つくる人」が損をしない仕組みづくりを徹底することが大事だと思います。仮に新規事業の立ち上げがうまくいかなかったとしても、社内での担当者の立場が悪くなったり、その後のキャリアに悪影響を及ぼしたりすることを防ぐ評価制度や配属の仕組みを整えることが求められます。
加えて「言葉を変えること」も、事業を育てる組織をつくるための有効な手段となりうるといいます。
田中 これは東レのある方から聞いたことなのですが、これから立ち上げる事業のことを「新規事業」と呼ぶから「既存事業」が生まれるのだと。新しい事業に取り組んでいる人に「どんな仕事をやっているんですか」と聞くと「新規事業の立ち上げを」と答える人が多いですが、既存の事業を担当している人は「既存事業です」とは言いませんよね。
「新規」があるから「既存」が生まれる。そう考えた東レさんは新規事業を「育成事業」と、既存事業を「基盤事業」と呼び替えるように全社に号令をかけたそうです。たかが言葉と思うかもしれませんが、これは重要な視点だと思います。
言葉は人の思考を形づくる。「新規事業」と「既存事業」という言葉が、会社のビジョンを実現するという同じ目標に向かっているはずのチーム内に思わぬ分断をつくってしまうんです。言葉を変えれば人の思考が変わり、人の思考が変われば組織の思考が変わる。その結果、組織の構成員の行動が変わる可能性は大いにあると思います。
「トップが新規事業にコミットすること」「『つくる人』が損をしない仕組みを整えること」、そして「言葉を変え、新規事業と既存事業の垣根をなくすこと」──事業を育てる組織をつくるためのこれらのポイントに加えて、「新規事業部門任せにしないこと」も挙げて、田中さんは講義を締めました。
田中 最後に強調しておきたいのは、事業の立ち上げを新規事業部門だけに任せてはならないということです。新規事業の立ち上げは、会社の未来をつくる重要なミッションであるはずです。本来、経営層はもちろんのこと、全社をあげて取り組むべきテーマのはず。
そんな重要なテーマを一部門に任せっきりにしている会社の経営陣のみなさんは、今一度そういった現状が全社とその未来にどんな影響を及ぼすことになるのか、問い直してほしい。
「つくる人」「支える人」「育てる組織」が一つのチームとなって、新たな事業を生み出す会社が1社でも増えればいいなと思っています。