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組織開発にせよ、事業開発にせよ、人材育成にせよ、組織の課題を解決するためのプロジェクトの出発点は、問題の本質を捉えて「何が本当に解くべき課題なのか」を特定することです。これを拙著『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』では「課題のデザイン」として、手順を解説しています。

課題のデザインが難しい理由は、いくつかあります。大前提として、組織のステークホルダーの一人ひとりがとらえる”問題”は、たとえ同じチームに所属していたとしても、それぞれの認識によって解釈が異なるため、合意形成が困難であるからです。上司にとっての問題設定は、部下にとっての解くべき問題とは限りませんし、階層が同じでも、これまでの経験や役割によって問題の解釈は異なります。課題をデザインする際には、組織に多様な立場と暗黙の前提が存在することを想像しなければなりません。

また、もし仮に「これが解くべき課題だよね」と組織内で合意が形成されていたとしても、その設定が適切とは限りません。往々にして、問題の渦中にある人が課題設定を行うと、狭い視野から設定されていたり、重要な視点が抜けていたりするケースが多く、課題設定の段階で失敗している場合が少なくないのです。

そうしたケースに目を向けてみると、うまくいかない課題の設定の仕方にはいくつかの共通項があります。今回の記事では、『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』で紹介している5つの失敗パターンに新たに2つを加え、よくある7つの失敗パターンを紹介します。

目次
課題設定の罠(1)自分本位
課題設定の罠(2)自己目的化
課題設定の罠(3)ネガティブ・他責
課題設定の罠(4)優等生
課題設定の罠(5)壮大
課題設定の罠(6)考え続けよう
課題設定の罠(7)矮小化

課題設定の罠(1)自分本位

課題を設定する際に、設定者にとっての利害にフォーカスしすぎているために、関係者全員にとって建設的な課題になっていなかったり、解決する社会的意義が欠如していたりするパターンです。

どうすれば売り上げがあがるか?どうすれば地域に人が呼び込めるか?といったような自分の利益を守るための課題設定は、外部の協力者が得難いほか、最終的にユーザーや観光客など課題解決の価値を享受するステークホルダーの視点が抜け落ちるリスクがあります。多様なステークホルダーにとって建設的であり、社会的意義のある課題に再定義する必要性があるでしょう。

課題設定の罠(2)自己目的化

本来の目的について十分に検討せぬまま、手段が自己目的化してしまうパターンもまた、少なくありません。最初は何か目的があって具体的なツールやソリューションの導入を検討していたはずなのに、気づかないうちにそれが自己目的化してしまう..というのはあるあるですね。たとえば

「イノベーションのために「デザイン思考」の研修パッケージを導入したがうまくいかない。どうすれば、デザイン思考が現場でワークするか?」

みたいなケースですね。”流行りの手法”を導入したい場合などには起こりがちです。

課題設定の罠(3)ネガティブ・他責

課題の設定が後ろ向きになっているパターンです。同じ問題状況であっても、それに対峙した際に状況をポジティブに解釈するのか、ネガティブに解釈するのか、人によって異なります。

たとえば「潰すべき組織の問題は何か?」「我々はこのままで良いのだろうか?」と問うのと「この状況を楽しく乗り越えるために、私たちはどのようなコラボレーションが必要か?」と問うのとでは、目の前の出来事に対する見え方は変わるはずです。関係者を巻き込みながら創造的に問題を解決していくためには、関係者の多くが「前向きに取り組みたい」「解決したい」と思える課題設定にしておくことが重要です。

また、ネガティブパターンのうちよくあるのは、他責的な考え方で課題を設定してしまうパターンです。人材育成などの現場で起こりがちです。つまり、問題の原因を、学び手の努力や能力不足として捉えてしまうパターンです。

課題設定の罠(4)優等生

課題の設定が前向きなのだけれど、ファシリテーションがうまくいかないケースもあります。それは、課題の設定が”お利口さん的”というか、誤解を恐れずに言えば”優等生的”になっているケースです。たとえば「持続的な社会を作るにはどうすればいいか」「ポイ捨てを減らすにはどうすればいいか」といったような課題設定です。大事な問いではありますが、社会通念的に「良し」とされていることが前提になりすぎていて、「わかっちゃいるけど..」となりやすく、それらしい意見は多数でるものの、議論や対話がブレイクスルーしないのです。こういう課題設定でワークショップをやると、どのグループも似たような結論に着地することが多いです。

課題設定の罠(5)壮大

設定された課題が壮大すぎるパターンです。組織の問題は複雑ですから、根本的に解決しようとすればするほど、本質的な課題設定になるため「100年後の人類を幸せにするプロダクトを作る」「全社員を巻き込んで理念を刷新し、さらに評価システムも作り替える」など、問題のサイズが大きくなりがちです。

課題設定が壮大すぎると、当事者にとって自分ごとになりにくく、具体的にどこから考え、何からアクションすればよいかわからないため、現実的な解決に向けて対話を進めていくことが難しくなります。もう少し当事者の目線で言い換えたり、現実的な時間スケールで捉え直してみたり、問題をいくつかに分割するなど、課題のサイズを現実的なサイズに落とし込む工夫が必要でしょう。

課題設定の罠(6)考え続けよう

ここからは書籍『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』では紹介していない失敗パターンです。

これは「課題設定の罠(5)壮大」の派生系になります。「環境問題」や「これからの働き方」など大きな問題をテーマとしている場合、そのテーマを構造化したり鋭く切り取ったりすることなく、そのままワークショップで引き取ってしまい、「この問題についてみんなで深く考えよう」という「思考」そのものが目標になっているパターンがあります。

こうした場合、どんなに対話をしても、落とし所が「SDGsについて考え続けることが大事」「withコロナ時代の在り方を考え続けることが大事」といった着地しかできず、かえって思考停止を招いてしまいます。考え続けることはとても重要ですが、課題解決を前進させるためには思考の「切り口」が必要です。

課題設定の罠(7)矮小化

同様に「コロナ時代を乗り切る」など、大きな問題に切り込もうと、問題をブレイクダウンしていくうちに「チームワークが重要」といった切り口に着地し、結果として「みんなでパスタを高く積むことを通して、チームワークを高めよう」といったワークショップに着地してしまうパターンがあります。

チームワークはたしかに重要ですし、パスタを積むのはアイスブレイクとしてはいいかもしれませんが、パスタを積んでコロナ時代を乗り切れたら苦労しません。問題が大きなままでも解決できませんが、些末な部分だけ切り出して小さくまとめても、本質的な解決にはつながりません

このような失敗パターンに陥らないように注意するだけでも、問題の本質を見誤らず、課題を定義する際の建設的な指針になるでしょう。


組織の問題の本質を見抜き、適切な課題を定義する思考法については、書籍『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』で体系的に解説しています。是非ご覧ください。

世界各地のデザインスクールを卒業したばかりのデザイナーが、その学びを振り返る連載「世界のデザインスクール紀行」。第4回に登場するのは、カタルーニャ先進建築大学院大学(IAAC)のDesign for Emergent Futures(新興未来のためのデザイン)修士課程を卒業された神尾涼太さん。そこで学んだのは、今日の社会や地球からの微々たる信号(Weak Signal)を鋭くキャッチし、介入(=インターベンション)していくというデザイナーとしての態度だったと、神尾さんは振り返ります。


南欧にある小さな地中海都市バルセロナ、この街を一度訪れて魅了される人は少なくないはずだ。私もその一人だった。

デザインスクールといえば、ニューヨーク、ロンドン、北欧といった場所が思いつくのだが、私の中でしっくりくる「デザイン」はバルセロナの街そのものであった。それは、この街に生きる人たちが「どんな人生を送りたいのか?」を主体的に考え、次の世代に文化として残し、成熟していくための戦略を街の色んなスケールで実践していく、そんな行為だ。

バルセロナから「アーバニズム」という概念を世界で初めて打ち出したイルデフォンソ・セルダは、「人間の道徳的および知的能力が私たちの発展と個人の幸福を促進し、ひいては公共の繁栄を最大限発揮する。そのための建物とその集合体の規則や教義」を都市化(アーバニゼーション)だと定義した(「都市計画の一般理論」 1867年)。

デジタル時代において、人間の道徳的および知的能力はより一層グローバルに繋がり、交流されるようになった。そんなモノや情報に溢れる時代に生きる私たちは、成長ではなく、成熟するためにデザインという態度を身につけることが必要なんではないかと思う。

バルセロナという成熟都市から生まれた、一風変わった独立系大学IAACで経験した学びを共有することで、皆さんと一緒に新興未来について考え、議論できるきっかけになると嬉しく思う。

目次
バルセロナにおける都市計画の豊かな歴史
新興未来のためのデザインとは?
「どのように世界に介入したいのか」という態度を学ぶ
Weak Signalsをキャッチせよ!「Circular data economy」を考える
Material Driven Design – マテリアルとの対話から生まれるデザイン
課外授業編 – GDPR(一般データ保護規則)とDECODE
日本において「Emergent Futures」をデザインする現場へ

バルセロナにおける都市計画の豊かな歴史

「IAACで学びたい」という思いで日本からバルセロナに飛び立ったわけでなく、MDEFに入学した時点ですでにバルセロナに住んで4年が経とうとしていた。

それまでは、バルセロナ大学大学院で都市地理学の修士課程を取り、主にスペインにおける日本人移民の研究や、バルセロナが進める都市計画スーパーブロックとジェントリフィケーションのメカニズムを研究していた。

東京の大学での学部時代、ハンガリーのブダペスト大学へ留学し、たまたま休暇で訪れたバルセロナの生き生きとした都市の「空気」と、その当時の時代のコントラストを目の当たりにして、一気にこの街の虜になった。

私が初めて訪れた2012年は、まだ欧州経済危機の真っ只中で、スペインも国内の25歳以下の失業率が42.8%、つまり2人に1人が失業中という非常に厳しい経済状況だった(EU統計局調べ)。

そんな中、バルセロナの街はそんなことも感じさせないほどに活気づいており、豊かな公共空間に人が溢れ、通りゆく人も幸せそう(に見えた)で、都市計画の力を改めて感じた。バルセロナの都市計画の歴史を語り出すとキリがないので、この辺りは個人のMedium記事にまとめてあるので、そちらに譲りたいと思う。とにかく、単純に自分が知る中で一番魅了であると感じたこの街の都市計画を知りたいと思ったのが、私が最初にバルセロナに来た理由だ。

そんな充実した大学院生活を送っていたわけだが、当時の指導教官であり、大学内外で様々な研究グループを率いていた都市地理学者カルラス・カレラス教授から、「まだ若いのだから、今までリサーチしてきた都市問題を解決していく側にいくのがいいのでは」と助言をもらい、よりデザインの側を意識するようになったのはこの頃だった。

また、ファブシティという概念を世界へ強く発信していたファブラボバルセロナ代表のトマス・ディアスと出会った時期でもあった。自立分散型テクノロジーを通じた新しい都市のあり方、そのために必要な、真の多様性社会ひいてはデザインの考え方など……幸運なことに、このようなことをトマスとディスカッションする機会に恵まれ、その時に彼が構想していた「ファブシティ実現のためのスキルやマインドセットを学ぶ」プログラム、MEDFの第一期生として参加しないか?というお話をいただいたのだった。

新興未来のためのデザインとは?

Design for Emergent Futures(新興未来のためのデザイン)修士課程(以下、MDEF)は、カタルーニャ先進建築大学院大学(IAAC)と、ELISAVAデザイン&エンジニアリングの共同修士課程だ。

スペインはカタルーニャ州バルセロナにある独立系建築大学として2001年に設立されたIAACは、「来たるデジタル時代と建築・デザインのあり方」を探究する先進的な研究機関として、イノベーション地区22@(ポブレノウ地区)にメインキャンパスを構える。

一方で、ELISAVAはスペイン最初のデザインスクールとして、1961年に開校した伝統あるデザイン教育機関であり、2018年この新旧教育機関に加えて、「ファブシティ構想」の実践と開発を進めてきたファブラボバルセロナが、その新たな都市への介入(デザイン)を体系化し、教育を通してネットワーク化していくために生まれたのがMDEFだ。そして、その一期生として私はこのプログラムに参加した。

クラスメイトの誕生日に、IAACの前で(ティラノザウルスの彼の誕生日)

MDEFは、現代そして未来の社会における「厄介な問題(wicked problems)」に立ち向かうための次世代デザイナーを育てることを目標とした学際的なデザインコースだ。

Design for Emergent Futures(新興未来のためのデザイン)という名前から想像できる通り、デザイン行為を広く捉え、壮大な社会あるいは生態系の問題に取り組むことをミッションとしているわけだが、決してムーンショット的なアプローチを学ぶプログラムではない。

むしろ、このプログラムでは、今日の社会からの微々たる信号を鋭くキャッチしながら、「スモールスケールの介入(=インターベンション)」をデザインすることを繰り返し、wicked problemsを解決していくようなある種”地道な”アプローチを志している。ファブラボひいてはファブシティの理念がよく反映されたプログラムであると言える。

「どのように世界に介入したいのか」という態度を学ぶ

MDEF – Design for Emergent Futures(新興未来のためのデザイン)修士課程は、4つの軸:① Instrumentation(技術の習得)② Exploration(探索)③ Reflection(ふりかえり)④ Application(実装)、から構成されている9ヶ月間のプログラムだ。

① Instrumentation(技術の習得)に関しては、MDEF受講生はFab Academyへの出席が義務付けられているので、デジタルファブリケーションスキルを基礎としながら、AIや機械学習、合成化学など、デジタルからバイオまで9ヶ月という短期間で網羅的に学習することになる(この辺りはテクノロジーを習得するというより、簡単なプロトタイプができるレベルまで学び、あとは興味のあるものを自主的に深堀りしていくというスタイル)。

② Exploration(探索)は、様々な切り口から試行錯誤を繰り返し、MDEFの中でも一番時間をかけ、自分自身の「デザイナーとしての態度」を言語化/可視化していく重要なプロセスとなる。

MDEFでは、プログラムの最終制作をゴールというよりは、これからデザイナーとしてどのように世界に介入していきたいかというインターベンション(介入)を生み出すデザインすることを目的としているため、Exploration(探索)を通して、来たる新興未来に対して丁寧にナラティブを作り上げていくことが求められる。

1学期は、各クラス1週間単位でこの4つの軸を反復するという構成になっており、講師はIAACやELISAVAのメンバーだけでなく、ヨーロッパ中(中にはアメリカ、中国からも)からMDEFの授業のために集まるという、なんとも贅沢なプログラムになっている(ヨーロッパで学ぶことの利点の一つはなんと言っても、物理的な距離の近さであると改めて感じる)。

Weak Signalsをキャッチせよ!「Circular data economy」を考える

Exploration(探索)のアプローチの1つとして、「Atlas of Weak Signals」というナラティブをデザインする授業があった。Weak Signalsは文字通り「弱い信号」のことで、まだ問題として表面化されていないが、これから間違いなく社会や産業、人類ひいては地球の課題になっていくような事業を総称して、MDEFではそう呼んでいた。

Attention protection – 注意力保護
Dismantling filter bubbles – フィルターバブルの解体
Circular data economy – 循環データ経済
The truth wars (Fake news) – フェイクニュース 
Redesigning social media – ソーシャルメディアのリデザイン 
Manipulation – 情報操作
Longtermism – 長期主義 
Fighting anthropocene conflicts (movement of species)  – 人新世のコンフリクト(種の移動)
Carbon neutral lifestyles – カーボンニュートラルな生活様式
Interspecies Solidarity – 種族間の連帯 
Climate Consciousness – 気候への意識 
Future Jobs – 未来の仕事 
Human-machine creative collaborations – 人間と機械の創造的共創 
Fighting AI Bias – AIによるバイアスとの戦い
Tech for equality – 平等のためにテクノロジー 
Making UBI work – ベーシックインカムを機能させる
Making world governance – 世界政府の実現
Rural futures – 地方の未来 
Pick your own passport – 自分のパスポートを選べ 
Refugee tech – 難民とテクノロジー
Non heteropatriarchal innovation – ヒーローのいないイノベーション
Imagining Futures that are non western centric – 西欧主義でない未来の想像 
Reconfigure your body – 体の再構成
Gender Fluidity – ジェンダーの流動性 
Disrupt ageism – 高齢化社会の崩壊 
Metadesign to reclaim the technosphere – テクノスフィアを取り戻すためのメタデザイン

参加型で考える、Weak Signals – 未来の職業コレクション Job From Future
Credit: Wongsathon Choonhavan

例えば、私の最初のグループワークは、Circular data economyというWeak Signalを選んだ(余談だが、Circular data economy、Interspecies SolidarityやNon heteropatriarchal innovationなど、上に並んでいるシグナルたちは、非常に斬新でウィットに富んでおり、鋭い言葉たちが多い。これらの言葉たちはアートキュレーターやFab Cityメンバー達から生まれたものだ)。

Circular data economyは、サーキュラーエコノミー(循環経済)とデータエコノミー(データ経済)の造語であり、私のグループはまずデータを通常のモノづくりのサプライチェーンに置き換えて考えてみた。

そうすると、モノは生産・消費・廃棄あるいは再資源化のプロセスの中で少なからず形状が変わっていくのに対して、データはほぼ形状が変わらずに保存されることが多いことが議論に上がった。

また、Data Scraping(スクレイピング)を活用し、Circular data economyのキーワードをウェブ上から集め出し、自分たちだけのWikiを作成することで、より包括的に議論の材料・データを漁る作業を行った。

そうすると、データのオーナーシップやプライバシーから、データ保管にかかるエネルギーと温暖化や大気汚染といった環境問題など、様々なキーワードが浮かび上がってきた。そこで、私のグループは、この授業の最後にデータもモノと同じように「廃棄あるいは再資源化」することが選択できる架空のサービス・Funeral Homes for Data(データの墓場)を考え、発表した。

スクレイピングによるWeak Signalsウィキ
Weak Signal「Fighting anthropocene conflicts (movement of species)」を未来の新聞にしてみる

このAtlas of Weak Signalsの授業では、大きく3つの視座を与えてくれたと思う。一つは、今日の社会や地球ですでに起きているが初期段階の問題を鋭く捉え、未来の厄介な問題(wicked problems)として認識すること。

二つ目は、ウェブ上にある膨大なデータをソースにしながら、他のWeak Signalsと常に関連付けながら考えること。そして、3つ目はこのWeak Signalsが今日の社会でどこで一番顕著に現れているか、つまりWeak Signalsが結晶化されている事象(crystalized pieceと呼んでいた)はなんなのか、日常生活の中から、メディアの中から、常に目を光らせて発見する力だ。そして、その事象にこそ、インターベンション(介入)のデザインが必要であるということだ。

地球レベルから個人までのナラティブ(リサーチ)、crystalized pieceへの介入(デザイン)、そしてそれによって望ましい未来を作っていく(スペキュレーション)、これらの値によってインターベンションのデザインが生まれる
Credit: Tomas Diez in collaboration with Kate Armstrong (Fab City Global Initiative)

Material Driven Design – マテリアルとの対話から生まれるデザイン

Atlas of Weak Signalsは、デザイナーとしての態度やこれからデザイナーが取り組むべき事象を理解するためのExploration(探索)プロセスであったが、MDEFはデザインディグリーなので ④ Application(実装)の様々な手法やテクニックを学ぶ機会もある。

その一つが、Material Driven Design (MDD) の授業だ。MDDは「マテリアル=素材をデザインの中心においたデザイン手法」で、マテリアルのポテンシャルを十分に探索、実験し、マテリアルの能力次第で最終的にどのようなものがデザインできるかが決まる方法論だ。

産業革命以降、主にプロダクトデザインの領域で発達してきたような、完成図を念頭に素材を準備するというアプローチとは全く逆のものになる。モノに溢れる今の時代だからこそ、マテリアルの側から丁寧に設計していくことが、真の循環型社会やサステイナビリティの達成や、ファブシティの実現に寄与する事になると考える。

授業は、KEA – Copenhagen School of Design and Technology(コペンハーゲン・デザインアカデミー)内にあるMaterial Design Lab設立者・Mette Bak-Andersen氏が、バルセロナに駆けつけ、教鞭を取った。授業の中身はと言うと、5週間で「生ゴミの中から、循環型産業モデルを可能にする新たなマテリアルの発掘」で、そこにいくつかの条件が追加された。

1.産業レベルで大量に(少なくともトン単位/週で)排出される生ゴミであること
2.デザインを最初から頭に浮かべないこと
3.どのようなテクノロジー/ツールがマテリアルのポテンシャルを高める可能性があるかを考えること
4.原材料を超えるような量の追肥はしないこと

この授業では、まず自分が扱いたいマテリアルを先生にプレゼンするところから始まる。そして、これがなかなかOKが出ないのである。この授業では”循環型産業モデルを可能にする”という点が1つのポイントになっており、多くの生ゴミにあるように油分あるいは化学的物質が複雑に混ざっている場合、それを素材として使えるようになる状態までに必要な時間的・金銭的負荷が大きいため、産業レベルで応用できないので不適切なマテリアルということになる(先生から、マテリアルのお許しが出るまでがなかなか大変な道のりだった…)。

マテリアルチェックの様子(「これはダメね」と言われる3秒前)

私のグループは、バルセロナで流行っていたクラフトビールブームに目をつけ(単にビール好きが集まったグループでもあった)、ビール工場から出る廃棄物を第一ターゲットとした。

ビールの基本材料は、水・大麦・ホップ・イースト菌ととてもシンプルなもので、協力いただいた学校近くのクラフトビアーバーでも約300Kg/週の大麦が廃棄されており、量的にも十分であった。

一度マテリアルが決まると、そこからはとにかく「マテリアルと対話しなさい」と、触る・壊す・煮る・焼く・蒸す・干す・炙る、顕微鏡で観察する、一緒に寝る、など思いつく限り全て試すこととなる。

化学的な成分表やウェブ情報をデータベース化しつつも、大事にしていたのは五感を使って得た感覚(匂い、手触り、見た目)をその都度ドキュメンテーションしていくことだ。マテリアルを五感で捉え、言語化することは、どんなものをデザインするかにおいて非常に重要な材料になるだけでなく、そのマテリアルにまつわる文化背景を深く理解することにつながった(実際に5週間の講習のうち4週間は、この「対話」のプロセスに時間をかけた)。

2週間目が過ぎると、段々とキャンパス内が変な匂いが漂い始め、
他のコースの人たちから白い目で見られ始める

私たちはしばしばスケッチやモックアップ、なんらかの設計モデルを使ってデザインプロセスをスタートさせるが、前述の通りMDDは全く逆のプロセスからスタートする。マテリアルの性格や能力の理解に注力し、その「正しい」応用を模索する。

この授業を通して、クラスメイトとの議論の中で出たおもしろい着眼点の一つに、「MDDは一見、新素材開発の手法のように理解されがちだが、実はクラフトマンシップ(工芸技術)と非常に近い関係にある」ということ。

(話が逸れてしまうのだが…)先日、九州大学大学院芸術工学研究院と弊社リ・パブリックで開催したCircular Design Challenge 2021(今年は廃ペットボトルを課題素材にした)の中でも、「Circular Craft」というコンセプトとそのプロトタイプを発表したチームがいた。

様々な領域で大量生産・消費・廃棄を前提としてきた線形経済からの脱却が叫ばれ、ファブシティもある種の解決策を提示してきたわけだが、デザインの領域においては今後MDD、およびクラフトマンシップの現代へのアップデートが一つの鍵になりそうな気がする。

Circular Design Challenge 2021(サーキュラーデザインチャレンジ2021)の様子

課外授業編 – GDPR(一般データ保護規則)とDECODE

土木技師イルデフォンソ・セルダが手掛けた、一辺約130メートルのブロックを150個以上配置し、産業革命以降に爆発的に増えた人口を支えながらもその後の経済成長を後押しした「バルセロナ市街地拡張プラン」(1859年)。

バルセロナオリンピック(1992年)の前後で行われた「バルセロナモデル」と呼ばれる大規模な都市計画プロジェクトの数々や、今日ではスーパーブロックによる歩行者空間計画など、バルセロナが歴史的に都市計画や都市戦略の分野で、世界的な評価を受ける先進都市の一つであることに疑いの余地はないだろう。

バルセロナ市街地拡張プラン「プランセルダ」(1859年)と、
イルデフォンソ・セルダ晩年の大書「都市計画の一般理論」(1867年)
Credit: Museu d’Historia de la Ciutat, Barcelona(左)
IAAC in collaboration with the Diputació de Barcelona and the Generalitat de Catalunya(右)

そして、そのダイナミックに動く理論と実践を日々の生活で感じながら、あるいはその中に入り込みながら、デザインを学べる都市は世界を見渡してもそう多くない。

特に21世紀は、スマートシティという概念が台頭し、バルセロナもいち早くスマートシティ化を進めてきた。そして、その時代において建築家やデザイナーが担う役割を模索するために生まれたのがIAACという学校である。

その一方で、バルセロナはスマートシティがしばしば生み出す搾取の構造により、都市の分断をいち早く学んだ都市でもあった。そんな経緯もあり2015年、バルセロナはジェントリフィケーションに対する草の根運動を牽引してきた社会活動家アダ・コラウ氏を市長に選んだ。そこから「スマートシティのその先へ – Beyond Smartcity」を掲げた社会包摂型デジタルシティの推進を進めてきた。

なかでも2016年4月に制定された「GDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則)」を受け、従来のスマートシティに警鐘を鳴らし、データプライバシーの保護と個人データの民主的活用について先進的に実証実験を行ってきた。そして、その代表的なプロジェクトにEU内2都市(バルセロナ・アムステルダム)で行われたDECODE(DEcentralised Citizen-owned Data Ecosystems)プロジェクトがある。

DECODEのバルセロナパイロットの運営メンバーがファブラボバルセロナであり、私はMDEFの授業とは別にそのパイロットメンバーとして参加することができた。

ファブラボバルセロナは、その前にSmart Citizen Kitという安価なセンシングツールを使い、地域の騒音問題を市民と一緒にデータ収集、分析そしてプロポーザル立案までを行うボトムアップ型まちづくりの事例Making Senseプロジェクトを成功させた実績がある。

今回のDECODEの焦点は、「市民がデータを供給する側にまわりながら、個人データを管理し、どのような条件で社会に還元するか」を、自分たちでデータをセンシングし、市のオープンデータ基盤に共有しながら、実践的に学ぶ(Learning by Doing)ことであった。

Documentary: Citizen Science Revolution – Making Sense:https://youtu.be/hvn5LyACUYw
Credit: Fab Lab Barcelona

つまり、このプロジェクトはSNSを始めとするプラットフォームビジネスに個人データを委ねること。またはオープンソースとして誰もがアクセスできるようにする2つの一般的な方法に対して、3つ目の選択肢を提示した。

個人と組織の間にデータコモンをつくり、市民が能動的に自らのデータを供給し、そのプロセスも市民に対して透明性が保たれる、新しいデータインフラの形を模索した。実際には、Smart Citizen Kitでセンシングできるような環境汚染データがどのように個人のプライバシーと結びつくのか、様々なシチュエーションを議論しながら学ぶ。

また、プロジェクトの後半にはアプリを通して、個人のプロトコルや条件を設定しながら、自らセンシングしたデータを元に参加型合意形成プラットフォーム・Decidimに政策提案する。

DECODEでは、単に個人情報の漏洩を啓発するプライバシー保護運動ではなく、市民が自ら作り出したデータ、または日常のデジタル環境で知らず知らずに作り出している個人データを「コモングッド」のために、どのような条件や対象ならオープンにできるかを考えるためのボトムアップ型デジタルシティのエクササイズである。「次世代の石油」と言われるデータが企業や個人だけでなく、コミュニティ主導でも生成され、活用する選択肢を増やすことで、社会包摂型デジタルシティを目指す。

「まずはビール(赤い缶)」バルセロナが育んできた市民参加のスタイルなのだ。
Credit: Fab Lab Barcelona / DECODE

こうした街を巻き込んだ壮大な社会実験に入りこめることは、本当に稀有な例であり、IAACで学ぶことの大きなメリットだと言えるだろう。

日本において「Emergent Futures」をデザインする現場へ

2019年夏、バルセロナ大学大学院とIAACでの修士課程期間、計5年を経て日本へ帰国した。現在は在学中から携わっていたトランスローカルマガジンMOMENTを発行する、Re:public(リ・パブリック)に声をかけてもらい、福岡オフィスでディレクターをしている。そして、その中でも立ち上げから中心で関わっているのが、鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市が進めるデジタル循環社会拠点・Satsuma Future Commonsの開発である。

衣食住+デジタル技術&基礎インフラの研究開発を行うSatsuma Future Commons(2023年、分譲開始)

薩摩川内市は、鹿児島県の北西に位置し、県内最大の面積を有する地方都市である。少子高齢化や若年層の減少など典型的な地方都市の問題を抱える一方で、川内原子力発電所(1・2号機)を持つ南九州のパワーグリッドとして重要な役割を持つ都市でもある。

Satsuma Future Commonsは、ファブシティの概念でもあるData In Data Out(データを世界中で共有し、製造をローカライズさせていくモデル)による循環経済の実現を目指しながらも、地方都市ひいてはアジアならではの新しい循環経済およびサーキュラーデザインを研究開発する拠点として構想している。

ヨーロッパでは特に大都市型の循環経済政策が非常に注目を浴びており、日本でもしばしばバルセロナを始め、ヨーロッパ主要都市の事例を様々な場所で聞くようになった。いろんな議論があると思うが、誤解を恐れずにいうと循環経済社会は「サプライチェーンの書き換え」、この一言に尽きると思う。

いき過ぎたグローバル資本主義によって激化された国際格差、資源・生産要素の私有化を促進してきたグローバルサプライチェーンを根本的に変える運動であり、それには欧米大都市圏で見られるような消費の側の政策だけでなく、アジアに多く見られるグローバル生産ハブ、ひいては鹿児島県のような生産圏からのサーキュラー化が必須だ(事実、廃棄物一つ取ってみても消費より生産の工程で生まれるものの方が圧倒的に多いのだから)と思う。

また、薩摩川内市の一大産業であるエネルギー産業を見てみても、川内原子力発電所は2024年で40年の運転期限を迎える(原子力規制委員会が認めれば最長20年延長可)。どちらにせよ約20年後には、今と同じような景色がこの街に残っている可能性は少ない。まさに、ここは「新興未来(Emergent Futures)のデザインの現場」であると言える。

生産と消費の距離が近いアジアや九州という場所には、循環経済社会の実現に必要な土着の知恵や技術がたくさん残されている。それは、クラフトの現代へのアップデート – Circular Craftという方法かもしれないし、あるいはデジタル技術によって世界中と繋がることで起こる製造のトランスローカルという現象かもしれない。

そんなことを卒業した今でも、恩師トマス・ディアスを始め、MDEFの中で出会った様々な人たちと、「21世紀のデザインとは?」「21世紀型都市のあり方とは?」を、世界中それぞれの現場から共有できるプラットフォームを作ってくれたMDEFというプログラムに感謝している。

2020年からインドネシア・バリに移住したトマスと、「アジアからこれからのデザインを創っていくんだ」と一致団結

ライター:神尾涼太
Re:public・ディレクター。福岡市在住のデザイナー/アーバニスト/リサーチャー。バルセロナ大学大学院・空間プランニング&環境マネジメント修士課程卒業後、カタルーニャ先進建築大学院大学(IAAC)・Design for Emergent Futures(新興未来のためのデザイン)修士課程卒業。バルセロナ大学大学院にて、バルセロナが進める都市計画スーパーブロックとジェントリフィケーションのメカニズム研究を経て、当時の指導教官で都市地理学者のカルラス・カレラス教授の助言と、ファブラボバルセロナ代表のトマス・ディアスとの出会いを経て、デザインの領域へ入ることを決意する。2019年、株式会社リ・パブリックに入社。新興テクノロジーを用いた自立分散型都市デザインのプロトタイピング、ビジョンニングを専門とする。

ビジネスをめぐる知識の専門化、細分化が進む昨今。企業のなかで、部門や領域の越境や連携が求められています。

組織づくりにまつわる知も同様です。人材開発や組織開発、採用、育成、人事制度設計——。人や組織をめぐる課題が複雑さを増すなか、領域ごとに分断された知をどのようにひとつに編み直すか。これはCULTIBASEが探求していきたい問いでもあります。

この問いと向き合うにあたり、お話を伺ったのが立教大学経営学部教授の中原淳先生です。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業における組織開発・人材開発を研究する中原先生は、かねてより「人材開発・組織開発という領域は消えてもいい。最後は、人事という実践だけが残る」と語り、部門や領域を超える大切さを指摘されていました。

中原先生は今、人や組織をめぐる課題解決をどのように捉え、取り組まれているのでしょうか。CULTIBASE副編集長の東南裕美と共に、これからの組織における人事の実践と、学習の重要性について語り合いました。

目次
細分化した専門知が向き合うべきハードル
組織の現場に必要な「野生の課題解決」
組織の理想状態や課題を自分たちで決める重要性
多様な持ち味を生かし、チームの即興的な課題解決を
一人ではできない「学び」をどう組織で行うか

細分化した専門知が向き合うべきハードル 

東南:今日はよろしくお願いします! 中原先生には、ぜひCULTIBASEに登場いただきたいと思っていたので、念願叶って嬉しいです。

中原:ありがとうございます。よろしくお願いします。

東南:初めにお伺いしたかったのが、組織づくりにおける領域や手法の分断についてです。

組織づくりにおいては、組織開発や人材開発、採用、育成などの領域が細分化しながら発展を遂げてきました。

その結果、現場で課題に向き合うときも「組織開発か人材開発か」あるいは「採用か育成か」と領域や手法に気を取られやすい傾向があると捉えています。

もちろん、領域や手法が発展すること、実践すること自体が間違っているわけではありません。ただ、それらにとらわれて本質的な解決から遠ざかってしまう状態は変えていきたいと考えているんです。

中原:なるほど、大事な観点ですね。たしかに、この20年で人事の世界は猛烈に高度化しています。人事の世界は「機能別人事」に分かれてますからね。やれ採用だ、やれ人材開発だ、やれ組織開発だと、機能に分かれ、お互いに協力できなかったりすることもありますよね。領域ごとに部門が縦割りになっていて他部門を巻き込もうとしても、課題や解決策が適切に共有できず、うまくいかないといった話はよく聞きます。今、必要なのは、人事部の「組織開発」であると、私は思うほどです。外からみれば、「同じ人事」なんだけどね。「領域」が主張されはじめると、分断が生まれる。

東南:そこでヒントになるのが、「人事という実践が残るのみ」と、中原先生が以前ブログで紹介されていた言葉だと思っています。

組織のぶつかる課題が複雑化するなか、領域や手法を越えて、融合的に取り組んでいく必要がある。その結果として「人事という実践」だけが残っていくのではないかというお話でした。この辺り、詳しくお伺いしてもいいですか?

中原:もちろんです。そのまえに、まず大前提として実務の現場には「領域」があるわけじゃないんです。そこには「課題」があるだけなんですよね。つまり「課題が先、領域はあと」なんです。

現場には、多くの場合、なんだかうまくいかないと思っているけど、原因がわからないという課題が、現象として存在しているだけ。ほとんどの場合は、ホワンと浮かんでいるだけ。

例えば「若手社員が、なんか、最近、立て続けに辞めちゃうんだよね」という現象があるとするじゃないですか。これが「課題」ですよね。現場には、つねに「課題」があるのです。そこには、まずは「領域」はない。

こうした現象が生まれる原因は、採用のミスかもしれない。「若手社員と中堅社員」の関係性かもしれないし、管理職の育成不全かもしれない。もしかすると、賃金制度や育成プログラムかもしれない。あるいは全部かもしれない。課題を深堀りしていくなかで、領域が意識されます。

つまり、課題が先で、そのあとで、はじめて「領域」が意識されるのです。だから、実践者にとって、まず意識するべきは「領域」ではなく「課題」だと思うんですよね。

組織の現場に必要な「野生の課題解決」

東南:たしかに、組織課題の多くは「こっちは組織開発」「あっちは人材開発」と機械的に分類できないですよね。

中原:その通りです。それは、組織開発や、人材開発を専門にしている人が、勝手に、分類しているだけです。あるいは、それぞれの専門家やプロフェッショナルが、お互いに、自分の領域を、主張しているだけです。

くどいようですが、まず意識するべきは「課題」です。その課題を「解決」しようとなったときに、つぎに領域を意識する。領域っていうのは「道具」でもあり「手段」です。そして、どの道具や手段を使って課題を解決してもいい。組織開発をやるのか、はたまた、人材開発をやるのか、組織開発も人材開発もやるのかとか、大して重要ではないと僕は捉えています。大切なのは「課題」をただしく認識し、解決するだけなんですから。手段は何を使ってもいい。

解決のために道具として使えるものは全部使うし、学ばないといけないものは全部学ぶ。以上!という感じです。ロールプレイングゲームで、主人公は、敵と戦いますよね。そのときに、もっている武器の選択は、敵に応じて変えるでしょう。大切なことは、敵を倒すこと、目標を達成することです。

東南:使えるものは何でも使うという捉え方は、非常に共感します。

少し前にMIMIGURIでも、とある人事コンサルの仕事で、組織構造の見直しや制度策定にあたって、組織デザインに詳しいメンバーが、組織デザインによる課題解決に、対話的な組織開発のアプローチを取り入れていました。あくまで「組織の構造や制度の策定」が範疇だったものの、当事者の方々の思いを引き出せるように問いをなげかけ、対話を通じて制度策定を進めていったんです。まさに「使える道具を使う」を実践した事例なのかなと感じます。

中原:そうそう。さっきも言った通り、現場にある課題は整理されているものではないから、あらかじめ解決策を緻密に計画するのは難しい。課題に応じて、手持ちの道具を柔軟に組み合わせていく必要があるんですよね。

現場で課題に直面してから、あるものを全部使って解決していく。人類学者のレヴィ=ストロースは、未開のひとびとの課題解決の様相を、「ブリコラージュ(器用仕事)」と表現しました。ブリコラージュとは、あり合わせの道具、ありあわせの手段を適当に組み合わせて、目標に到達することです。

現場のひとびとは、まさにブリコラージュ的な発想や思考を積み重ね、日々を生きています。その様相を、人類学者のレヴィ=ストロースは「野生の思考」と呼んでいました。これと同じなんです。組織の課題解決とは、「野生の課題解決」なんです。実践家は「野生」をサバイブしなきゃなんないです。野生に生きて、ありあわせの道具で、戦う。それが実践です。

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東南:一方で、そうした「野生の課題解決」と、専門知の範囲をめぐる問題の折り合いをどうつけるのかは難しいなとも感じます。まさに中原先生は、2016年に出版された著書『組織開発の探究―理論に学び、実践に活かす』のなかで、組織開発という概念は、人材開発や人材マネジメントなど、多様な概念を包摂しながら発展してきたと説明していました。90年代の米国では手を広げすぎた結果として「組織開発は死んだ」とも言われたのだと。

今の日本で組織開発や人材開発に携わる実践者のなかにも、組織開発があまりにさまざまな概念を飲み込んでいるゆえ、捉えづらさを感じている人もいるのではないかと思うんです。

中原:それは、その「領域の内部」だけで研究や実践をおさめようとする人にとっては、困るでしょうね。既存の「言葉」や「概念」が死んで、困るのは、その概念で食べているからでしょう。でも、そんなことは恐れることではないんです。もし自分の仕事が広がるならば、自分で定義すればいい。組織開発にかわる「新しい概念」をつくっていけばいいだけなんです。

正直にいうと、僕は「組織開発」や「人材開発」という概念自体が死んでも、全然構わないんですよね。概念が死んでも、今日も明日も、組織は「順調に課題」だらけですから。「組織開発とか、人材開発とかいう言葉をやめて、明日から、全部引っくるめてヒューマンプラクティスと呼びましょう」と言われても、「あぁ、いいですね!全然OKです」って答えるとすら思います。ただ、「ヒューマンプラクティスって、ダサいですね。ネーミングいまいちですね」とは、付け加えますけどね。

東南:なるほど……! 先ほどの話を踏まえると、いずれも「解決のための道具」だから、でしょうか?

中原:そうです。「手段」にしがみついても意味がないんです。90年代の米国においては、組織開発や隣接領域の研究者が、理論的に整合性がつかないから「死んだ」と言っていたわけですよね。私から言わせれば、歴史をひもといてみれば組織開発という概念は、もともと「あり合わせのブリコラージュ」で生まれた概念です。それをピュアに追求していこうとするのは無理があります。だから「死んで」上等なんですよ。しがみつかなくてもいいんです。大丈夫。「組織開発」という言葉は死ぬかもしれませんが、「組織をケアしなければならない」という社会的ニーズは、今なお、高まっているんですから。

同じように、今の日本でも組織開発はいろんな領域の知を取り込んで発展していますから、先鋭化した人たちが「死んだ」と言いたくなる気持ちはわからなくないです。

だけど、地に足をつけて現場と向き合ったら、これまで組織開発が掲げてきたことの大切さは、まだまだ伝わっていないって感じるはず。組織開発で大切と言われてきた対話やサーベイをちゃんと実践できている組織って、どれだけいますかと問いたいです。大丈夫です。概念が一時的に死んでも、その重要性は残っていますから。まだまだ活躍の余地がたくさんあります。

いち実践者として組織づくりに携わるのなら、言語や領域にしがみついたらダメだと思う。

東南:あくまでその実践を、一つひとつ丁寧に扱っていく必要があるんでしょうね。対話と聞いて、「円卓で向かい合って話し合えばいい」となってしまうのは違う。言語や領域にしばられず、現場の課題に対して真摯に取り組むことが重要なのだと感じました。

組織の理想状態や課題を自分たちで決める重要性

東南:少し話が変わりますが、中原先生の考える理想的な組織・どういう組織があるべきだとかって考えられたりしますか?

中原:組織に「一般論で語られるあるべき」も「理想」もありません。組織に「理想像」がある、と考える考え方そのものが「古くさい」と思います。そうした考えは、1960年代―1970年代の組織開発論ではないでしょうか。今、まともな研究者で「組織の理想像とはなにか?」に答える人はいないと思います。組織に「一方向的な発達ステージがある」という考え方も、古くさいです。まともな研究で、それを実証・検証しているものはないはずです。

組織は、組織が実現したいものに応じて、市場の変化に応じて、いかようにも変わっていいのです。そして、その発展は、線形ではなく非線形です。

場合によっては官僚制がめちゃくちゃ機能する場合もあります。そこにかかわる人たちが、組織のとりまく状況、組織がめざすものをみながら、自分たちで、あり方を決めていくほかはないと思います。

最も大切なのは、自分たちで組織の理想や課題を見つけることです。要するに、自分のチームや組織は自分でデザインせよってことです。

外部の専門家から「これをやってください」と押しつけられても、モチベーションも高まりづらいし、学習効率も低い。当然、課題の解決にもつながらない。

東南:まさに中原先生が研究してきた「学習」の領域で、教育学者のジョン・デューイが、学習の原動力は個人の内部から衝動的に生まれる欲求にもとづくと述べていますよね。

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中原:そうですね。もちろん、外部の専門家に頼るのがダメと言っているわけではないですよ。組織のなかにいると自分たちの特殊性や課題が気づけないことも多いですから。私も含め、外部の専門家が調査や聞き取りを行うことには、一定の意味があると思います。気づいてはいるけれど、言葉にできないものを、なんとか言葉にすることの契機は、組織の外部からもたらされることが多いものです。

ただし、理想状態や課題は、最終的には自分たちで決めてもらいます。もちろん、そのための情報収集や、手助けはしますよ。ちゃんと時間をとって、組織の現状と理想状態、何が課題かを考える。その上で「じゃあ、どう解決する?」という段階に進まないといけない。あなたの組織は「誰のためのもの」ですか? 僕のためのものではありません。あなたのためのものです。

多様な持ち味を生かし、チームの即興的な課題解決を

東南:外からの要請ではなく、自分たちを起点に発想する「インサイドアウト」的なアプローチですよね。

そうやって、あるべき姿や課題を見出し、言語化するのは重要であると同時に、非常に難しいことでもあるなと感じます。

組織における課題は先ほどから話している通り、綺麗に整理されていないですから、「そもそもどこが課題なのかわからない」とか、解くべき課題と認識しているものの他にも、実は別の課題があったというケースもあるように思います。

中原:僕に、「課題」だと持ち込まれたものの9割くらいは、課題ではありません。当初の「課題」は、調査やヒアリングを経て、変わってくると感じますね。

さっきも言った通り、だいたい課題って“ホワン”としてるんですよね。とりあえず「そうですよねぇ」と受け入れて実際に聞き取り調査をしていくと、大抵は表面から見えるのとは違う課題がいくつも出てくる。

組織の氷山モデルってあるじゃないですか。組織課題を解決するには、事業や業務といった目に見えるもの「コンテント」と、関係性の質や個人の認識「プロセス」の両方が大切。その両方を意識しながら、対話やコンセンサスづくりをやっていくしかない。

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社会学者の岸政彦さんは『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』のなかで「他者の合理性」という言葉で表現していました。合理に沿っていないように見える他者の行為も、その人にとっては何かしらの意味を持っているのだと。

組織においても、そうした「他者の合理性」を理解し合わないと、自分でハッと気づいて納得することは難しいと思います。

東南:コンテントとプロセスの話で思い出したのですが。MIMIGURIにはコンテントを見るのが得意なメンバー、プロセスが得意なメンバーがそれぞれいて、最初は噛み合わないこともあったんです。

ただ、違うところを見ているからこそ多様な打ち手が出てくることも多くて、今はとても可能性を感じています。そうした内面の多様なメンバーがいることも、いわゆる野生の課題解決には大切なのかもしれません。

中原:おっしゃる通り、見えないものを見えるようにするのが得意な人もいるし、行動観察が得意な人、ファシリテーションやサーベイが得意な人もいる。そういう人が集まって、持ち味を生かした、即興的で、ダイナミックなチームの動きが生まれると最強ですよね。ちょっとジャズの即興演奏にも似ているかもしれない。領域の違うプロ同士が融合して、一つのメロディを紡いでいくというか……。でも、そのとき大事なのは、それぞれのひとびとが、協奏に足る能力を、自ら磨いているか、ということです。即興できるのは、それぞれがプロだからです。アマチュアの奏でる即興は、聞くに堪えない「でたらめ」です。

そのために自分の得意な領域や分野を認識して、磨き続けていくのは大事ですよね。組織開発や人材開発に興味のある人、生業にしていきたい人は、自分自身の学びを手放しちゃいけないと思います。

一人ではできない「学び」をどう組織で行うか

東南:個人や組織の学びについてもぜひ中原先生とお話ししたかったんです。

一人ひとりが持ち味を磨き、野生の課題解決に取り組んでいく際、一人で学べる領域や分野には限界がありますから、他者と学び合うことが重要になると感じています。

中原先生はもともと協調学習を専門とされていましたが、企業における「組織学習」については、どのように捉えていますか?

中原: 組織学習は経営学にとって重要な概念です。ただし、私はそれに興味がありません。むしろ、個人が、人と関係をとりもちつつ、いかに学ぶかが、私の関心です。そもそも僕の強烈な信念は、「学びというものは、一人では達成できないものである」なんです。学びというのは、他者と出会い、話し合った先にあるのだと。これだけを信じて、20年弱研究してきました。

これまで協調学習、職場学習、経験学習、組織開発、チームビルディング、残業学、転職学……と、私の研究テーマは変遷しているように見えるかもしれません。しかし、当の本人は、全くそう思っていません。いつまでも、いつの日も、ずっと「学びというものは一人ではできない」と言い続けている感じなんです。毎回毎回、あきもせずに、手を変え、品をかえて、20年間、同じことを言っている気がします。

それをふまえたうえで「組織学習」について戻ります。組織学習理論の前提には「組織としてマニュアルやルーティンを蓄積し、個人が出入りしても同じ価値提供ができるようにする」という経営学的な発想があります。経営学だから、そういう発想があっていいとは思います。経営の観点からすれば、組織の構成員が「出たり入ったりする」のは、事業継続に問題があるので困るんです。だから、たとえ、人の出入りがあったとしても、組織の「内部」に、ルーティンを確立することが課題となります。そういう研究が重要だと思います。

ただ、僕は、そういうことに興味はない。「組織のなかで、個人は、他者と関わりながら、学び、変わるはずだ」という研究を、僕はしたいです。「組織がほにゃらら」という風に「組織」が主語になる概念には、興味がないのです。私は、どんなときでも「主語は個人」だと信じている人間です。

東南:まさに、先ほどのような「野生の課題解決」を前提としたとき、経営学的な観点からのみ組織学習を考えるのは、限界があるのかもしれないと感じることがあります。

組織学習の研究者であるHuberは、学習のプロセスを「知識獲得→情報分配→情報解釈→組織記憶」という順番に分類していました。そこでは組織学習のゴールとして、知識が「記憶化」されることが置かれています。

関連記事:組織学習とは何か:組織の成長を支える学習のメカニズム

ただ、このゴールが「記憶化」で十分なのかが気になっています。

一人の個人が「他者の助けや関わりを借りて変わっていく」のと同じように、組織も一つの生命体として、学び、変化し続ける必要があるのではないかと。

MIMIGURIがイノベーションが起こり続ける創造的な組織を図式化した「Creative Cultivation Model(CCM)」も生命体としての組織を前提にしているんです。

中原:生命体ですか。興味深いですね。東南さんの主張に、あえて「問いを差し上げる」のだとしたら、「組織が生命体だ」と東南さんが言うとき、それは、具体的にどのような「光景」のことを言っているのでしょう。誰が、誰とかかわり、どんな行動をして、何をなしたときに、東南さんは「組織とは生命体だよね」と思うのでしょうか。そうした光景を、解像度をあげて話していただけると、わかりやすいかと思います。

東南:「組織が学習する」については、個人の学習が組織に変容を促して、それが別の個人に影響するといったように、個人と組織が有機的につながっていく状態を考えているんです。

ただ、それが具体的にどのような光景を指すのか、そもそも組織とは何なのかは、探究し続けていこうと思います。

改めて、今日お話を伺って、言葉や領域にしばられない融合的な課題解決の重要性や必要になる学習のあり方について、より思考が刺激されました。中原先生、今日は対談にお付き合いいただき、ありがとうございました!

中原:学びに満ちた人生を!


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これからの人事の役割:いま向き合うべき組織の“野生の課題“とはなにか