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事業の成功の裏側には、必ず「組織開発(Organization Development)」がセットで必要です。しかし「組織開発」のスコープは非常に曖昧で、その定義は立場によって様々です。そもそも「組織開発」とは何を指すのか。その定義について考察した以下の記事では、その理論アイデンティティが「プロセス」に対する働きかけにあることを指摘しました。

改めて”組織開発”の定義を探る:連載「組織開発の理論と効果」第1回 | CULTIBASE | 組織イノベーションの知を耕す。

よい事業を生み出していくには、その土台となる組織が健全な状態であることが欠かせません。 そんな健全な組織を作り出すために、組織開発はここ数年で実務的にも数多く取り入れられ、その用語も頻繁に用いられるようになりました。 しかし、その広まりとともに、組織開発が誤って理解されてしまったり、組織開発が安直に取り入れられてしまったりすることもあります。 …

本記事では、改めてイノベーションの源泉としての組織の「プロセス」の重要性について、掘り下げていきたいと思います。

目次
組織における「プロセス」と「コンテント」
トップダウン型の改革で蔑ろにされる「プロセス」
事業開発では途端に軽視される「プロセス」の価値
創造性の土壌としての「プロセス」を耕す


組織における「プロセス」と「コンテント」

組織開発における「プロセス」とは、組織開発の源流の一人であり、グループ・ダイナミクスの専門家であるクルト・レヴィンが提唱した言葉です。

組織開発のニュアンスを誤解せず理解する上で気をつけなければならないのは、ここでいう「プロセス」とは単なる仕事の過程や手順などを指しているのではない、という点です。それよりももう少し広い意味合いで使われているのですが、その定義は、組織における「コンテント」という考え方とセットで捉えることで、その実態が見えてきます。

これらの概念はよく「氷山モデル」で説明されます。まず「コンテント」とは、組織において水面に顔を出している部分で、実際に話されている内容や、飛び交っている情報、取り組まれている課題や業務の内容です。いわゆる”What”を指している、という説明もよくなされます。

他方で「プロセス」とは、表面には可視化されていない集団の関係性の質や、人間の内面的なものを指しています。個人がどんな感情で、どんなモチベーションで、どのような関係性のなかで、どのように影響を与え合い、どんな風土のなかで、どのようなコミュニケーションが背後で進められているのか。いわゆる“How”の要素にあたります。ヒューマンプロセス、もしくはグループプロセスなどと表現されることもあります。

トップダウン型の改革で蔑ろにされる「プロセス」

組織における実際の業務フローや価値創造そのものを表しているのは「コンテント」ですから、合理的に考えれば、トップダウン型で事業戦略や経営資源を変化させたり、業務構造や組織の仕組みそのものを構造改革したほうが、組織変革の方法としては「手っ取り早い」という考え方もあるかもしれません。しかしそうしたトップダウン型の改革では、戦略や業務を支えている現場の集団の関係性や風土、またその構成員である一人ひとりの内面的な「プロセス」は蔑ろにされがちです。

組織の問題は病気や怪我のように客観的に測定可能な事実で、外側からシステムを切り裂いて”手術”をすれば治療できるものではなく、あくまで内部に所属している人間の認識の問題であり、人と人の関係性やコミュニケーションの中で構成されるものです。

したがって、組織開発ではあくまで「プロセス」に目を向け、集団の対話を通して「プロセス」に関する気づきを生み出すことで、組織を機能させていく。それが、組織開発の中心にあるパースペクティブであり、暗黙の前提なのです。

プロセスを重視することで、組織の「関係の質」が良くなり、気づきが生まれ「思考の質」が変わり、それによって主体的に「行動の質」が変化し、従って「結果の質」が高まり企業の成果につながる、という因果関係は、ダニエル・キムの「組織の成功循環モデル」としてよく説明されますが、このようにプロセスから生産性につながっていくことを「プロセス・ゲイン」といいます。余談ですが、筆者(安斎)の博士論文も、実はこの視点から、いかに集団の創発的なコラボレーションプロセスを喚起することができるかをずっと研究してきました。

事業開発では途端に軽視される「プロセス」の価値

上記の知識は「組織開発」を少し勉強した人からすれば、ごく当たり前の常識でしょう。ところが、事業開発のためのイノベーションの手法論に軸足を移した途端に、この「プロセス」の重要性は、暗黙の前提どころか、あまり語られなくなります。新奇なアイデアを発想するためのメソッドばかりにスポットライトが当てられ、それを生み出す作り手の「プロセス」の問題に、関心が向かないのです。

筆者がこれまで担当してきた様々なプロジェクトの経験を振り返ってみても、事業開発がうまくいかない要因は、アイデアの質(コンテント)にあるわけでは決してないということです。

質の高いアイデアを出すこと自体は、それほど難しいことではありません。技術資源や優位性を活かしながら、ときに生活者リサーチの手法を活用して市場の現状や手がかりを掴み、場合によっては企業や作り手のビジョンを明確にしながら、新規性のある意味と仕様に落とし込んでいく。これ自体は、プロジェクトのプロセスデザインを間違えなければ、ファシリテーションの難易度はそう高くはありません。極端な話、成果物としてのアイデアが欲しいだけなのであれば、創造性の高い外部のクリエイターや代理店、デザインコンサルタントから、アイデアを外注すればいいわけです。

ところが実際に課題となっているのは、そもそもの作り手であるはずのチームの関係性の質が低かったり、コラボレーションをする土壌ができていなかったり、そもそも一人ひとりの創造的な衝動が枯渇していることや、組織の風土としてリスクのあるチャレンジが奨励されていないことなど、まさに、組織の「プロセス」の部分にあるために、持続的にアイデアが生まれ続ける状態が維持できないことなのではないかと思うのです。

創造性の土壌としての「プロセス」を耕す

事業開発を成功させる第一歩は、まず組織やチームの「プロセス」を創造的な状態にすることです。CULTIBASEが基盤とする“Creative Cultivation Model(CCM)”は、創造的な組織の状態を、コンテントを生茂る樹木、プロセスを目に見えない土壌に喩えて、モデル化したものです。

Creative Cultivation Model(CCM)

革新的な組織と事業(コンテント)の根っこには、必ず従業員の一人ひとりの「創造的衝動」があります。個人の衝動が枯渇した状態では、どんなに栄養を与えても、よい作物は生まれません。組織ファシリテーターの役割とは、メンバーの衝動を解放し、チームの「創造的な対話」を促進することで、次々に新たな意味が生まれる「プロセス」の創造性を保つこと。それが、組織のイノベーションを支える「創造性の土壌」を耕すということなのです。

限られた専門家だけでなく、実際の利用者や利害に関わる人々が積極的に加わりながらデザインを進めていく「コ・デザイン(Co-Design)」というアプローチがあります。『いっしょにデザインする コ・デザイン(協働のデザイン)における原理と実践(仮)』を今秋に出版予定の上平︎崇仁さんによる連載の第3回目では、コ・デザインの必要性を考えるときに検討するべき4つの視点のうち、「問題の違い」「かかわり方の違い」について紹介していきます。

▼前回の記事はこちら

「いっしょにつくる」ことが、予定調和を超えたデザインの可能性を示す:連載「コ・デザインをめぐる問いかけ」第2回 | CULTIBASE | 組織イノベーションの知を耕す。

CULTIBASEでは、「イノベーション」「経営・マネジメント」「デザイン」「学習・人材育成」「ファシリテーション」を切り口として、「組織のポテンシャル」を引き出し、クリエイティビティ溢れる組織づくりやイノベーティブな事業の創出に役立つ様々な考え方やノウハウを紹介していきます。

目次
取り組む「問題の違い」から考えてみる
厄介な問題にいかにしてアプローチするか?
人々の「かかわり方」からとらえてみる


なぜコ・デザインが必要になるのでしょうか。必要性を考えるためには、視点ごとに何が違うかをおさえていくことが有効です。コ・デザインの必要性は、「問題の違い/かかわり方の違い/アプローチの違い/ミッションの違い」の4つの視点から整理できます。本稿では、「問題の違い」「かかわり方の違い」について検討してみます。

取り組む「問題の違い」から考えてみる

何よりもまず、今の社会ではデザインの対象が広がり、難しい問題が飛躍的に増えている点が挙げられます。一言で「問題」と言っても多様なものがありますが、一般的に「デザインの問題」は、その特徴から、大きく3つのタイプに分けられます。「シンプルな問題」、「複雑な問題」、そして「厄介な問題」です。それぞれの質に焦点を当てて、それらの違いを見てみましょう。例では、読者のみなさんが第三者的な視点で考えられるように、X町に住むA氏を主役にしてみます。

1)シンプルな問題(Simple problem)

「A氏は自分の経営するお店の中がなんだか暗いことに気付いた。お客さんに明るい印象を持ってもらうためにはどうすればいいか?」

この場合、解決すべき問題と解決方法がそれぞれ明確に定義できます。「暗い」のは、光量の不足や内装による印象の問題です。壁の色を明度の高いものに変える、照明のワット数を上げる、または外光を取り入れたリフォームを行う、などのいくつかの解決方法によって、明るい印象をつくりだすことができるでしょう。A氏が解決したいことは明確ですので、業者に代行してもらうという選択肢もありそうです。このような問題は「シンプルな問題」と呼ばれます。変数が少なく、具体的な解き方も出そろっており、客観的な正誤の判定が可能なタイプの問題です。

2)複雑な問題(Complex Problem)

「A氏らは店の経営の合間に、地域振興の市民団体を運営している。X町への観光客を増やすためには、何ができるだろうか?」

お店の中から外の地域コミュニティへと、枠組みが広がりました。解決すべき課題も解決方法も複雑で、それぞれを定義しないことには議論も始められません。X町でお客さんを呼べるような観光資源やコンテンツは何か、そして自分たちのスキルや予算はどのくらいあるのか、そういった要素を洗い出した上で自分たちのできる範囲との接点を摺り合わせ、さらに実行していくマンパワーも必要になります。こういったものは容易には解けない「複雑な問題」です。しかしながら「観光客数の増加」という指標は明確ですので、それが「できた」か「できなかった」かについての客観的に判定を行うことはできそうです。複雑な問題は、試行錯誤に時間はかかっても、何からの方法で答えに到達できるタイプの問題です。

3)厄介な問題/意地悪な問題(Wicked Problem)

「X町は急激な人口減少が進んでいる。A氏たちはどんなまちづくりをすべきか?」

さらに視点をX町の人口減少という社会問題へと移します。多くの日本の自治体が同じ問題を抱えていますが、これには複合的な要因が考えられます。問題の枠組みをとらえる人ごとに切り取られるものは異なり、何が問題なのかを定義することすら困難です。このように非常に多数の因果関係が絡み合っていて、解けそうもない問題は、「Wicked Problem(ウィキッド・プロブレム)」と呼ばれます。日本語では「厄介な」または「意地悪な」問題と訳されます。この言葉を作った数学者のホルスト・リッテルは、厄介な問題の10の特徴を挙げています。

1)正解がない、2)「解けた」という状態が見分けられない、3)客観的な正誤は存在せず、まあまあ好ましい(better)か、好ましくない(worse)としかとらえられない、4)テストするすべがない、5)どんな解決策も一時的な操作にすぎない、6)要素分解できず、操作しようにも説明するすべがない、7)それぞれが他に存在しない固有の問題である、8)別の問題の症状として発現している。逆に言えばどんな解決を行っても、新たな問題が生じることは避けられない、9)さまざまな切り口で説明できても、全貌はつかめない、10)でも、計画する者は間違いを許されない。

ポストイットを思わず投げ出したくなるような、文字通りの意地悪な特徴ばかりです。X町の場合でも、自力で産業を起こすのか、誘致するのか、海外から他の国の人を呼ぶのか、近隣と合併するのか、はたまた集団移転するのか、なんとか解決案を決めて実施したところで、往々してその解決案はまた別の問題を生んでいくものです。だからといってリスクを恐れて何もしないでいると、その間にも事態は刻々と悪い方向に進んでいきます。正しさや間違いを判定できるような客観的な指標は存在しません。つまり「正解はない」のです。それゆえ、「厄介な問題」と「複雑な問題」は区別されます。

さらに輪をかけて難しいことは、厄介な問題を、人々に説明することもまた厄介だ、ということです。単純にとらえることができない出来事は、その人の中にある思い込みによって受け止め方が大きく変わります。たとえば、新しい取り組みをはじめようと仮説ベースの案を出している人に対して、執拗に前例や根拠を求める人がいます。リスクがゼロでなければ首を縦に振らない人もいます。どこかに悪者がいてコントロールしていると思い込む人がいます。すべてを一つのパターンでとらえてしまう人々に対して、〈正解がない〉、〈すべての人が満足することはない〉、というグレーな対応しかできない性質の問題があることを理解してもらうことは、それもまた困難を極めることです。

あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず。現代ではこういった要因が複雑に絡み合いすぎて途方にくれてしまうような問題が急増しています。人口の集中、過疎、気候変動、感染症、災害対策、資本主義の歪み、少子高齢化、難民問題 etc。 

厄介な問題にいかにしてアプローチするか?

ここで紹介した3つの問題のタイプのうち、1)のシンプルな問題は、多くの人が個人で対処できる問題です。やるかやらないか、だけです。しかし、2)の複雑な問題になると、変数が増えて個人では解けなくなります。問題を共有する人々が手を組んで、ともに協力していく必要性が生まれます。そして最後の、3)厄介な問題に至っては、解決しようにも何をもって解になるのかまで不明瞭です。一般的な問題解決の考え方では手に負えません。したがってまず必要とされることは、お互いが納得し、承認しあえる落としどころを探ることになります。自分たちは「どうしたいか」という意思をそれぞれが醸成し、社会的な合意をつくるしかありませんし、その困難に立ち向かっていかなければなりません。

地球上のあちこちに厄介な問題が浮上している現代は、さまざまな意味で私たち人類の想像力や行動力、総合的な知恵が試されている状況にあると言えるでしょう。コ・デザインのアプローチは、こういった問題に対処するための可能性の一つと言えます。絶対的な解決案は無いとしても、立ち向かうことすらできないわけではありません。問題に介入し、その厄介さの性質を理解した上で、関係する人々が知識や経験、創造性を持って集約し、トライアンドエラーの中で納得解を探索して行くことはきっとできるはずです。

人々の「かかわり方」からとらえてみる

次に「かかわり方」の視点です。コ・デザインは、誰かと誰かが協働すれば万事オーケーというものではありません。デザインのプロジェクトにおける人々の関わり方には、さまざまなレベルが想定されます。アーンスタインは市民の力という観点から、住民参加の形態を8段階に整理しました。

半世紀ほど前の、1969年の記事で行われた分類ですが、そのまま今にも通じるクリアな整理です。皮肉めいた「1)セラピー」や「2)あやつり」は論外としても、「3)懐柔」、「4)意見聴取」、「5)お知らせ」などの「名目のための住民参加」は今でもよく見られます。いわゆる「参加型」は、この段階のレベルの形骸的な参加のことを漠然とイメージしている人も多いかもしれません。しかし、この一段階上の「6)パートナーシップ」「7)委任されたパワー」「8)住民によるコントロール」にあたる「住民の力が活かされた住民参加」こそが、要するに「協働」の領域で、受身的な態度から能動的な態度への転換があるのは明らかです。コ・デザインにおいても、このレベルの関わり方を探らなければ、名目的な活動となって終わってしまうでしょう。

そのためには、人々が関与できる権限について考えなければなりません。住民や実際の利用者が決める権利を持つこと、それと同時に、人々の側も自覚することが重要です。このような、個人や集団が自らの生活を自分でコントロールしている感覚を獲得し、周囲を変えるように働きかけていくことを、「エンパワーメント(empowerment)」と言います。抑圧されがちな人々が潜在的な力を発揮できる、公平な社会をつくろうとする合意がまず必要になるわけです。

つまり、コ・デザインが世界各国で活発に取り組まれるのは、決め事に関わるという権利をどう保持するかという、「政治的」な意味もあるのです。特に南半球にあるアフリカ、南米、オーストラリアなど、欧米との力関係による複雑な歴史を持つ国々の取り組みには、その点を強調する傾向があります。日本の場合は「政治的」と言うと、多くの人が距離を感じてしまうでしょう。政治は私たちの生活の場と縁遠い議会の中で、選ばれた人同士の忖度によって行われているものとして受け止めてしまいがちです。

しかし、利害がぶつかるところには、基本的にどこでも政治は発生します。デザインにつながる示唆的な事例を見てみましょう。地方自治体がつくる「おみやげ」の公式パンフレットです。特産品を紹介するパンフレットはどこでも自分たちの街で作っており、特に珍しいものではありません。しかし、見栄えを整える前に、そこに掲載する商品はいったいどんな基準で選ばれるのでしょうか。作る側の目線で言えば、長年地域経済に尽力してきた老舗企業や、多額の広告費を支払うような会社の商品が優先されることになります。けれども実際に商品を買う人が参考にしたい基準はなにかというと、地元の人たちが本当に支持している商品でしょう。買う前に「地元民のおすすめを聞く」という方法を取る人は実際に多いはずです。実際、パンフレットは編集の段階でそれに割かれるスペースと掲載情報を巡って、さまざまな権力による内部事情のバトルが繰り広げられるものです。

ここに「公式」とは一体何かについての対立構造が生まれ、それを決めるための利害を調整する行為──すなわち政治──が必要になります。神奈川県の小田原市は、こういった着眼点から、市民による完全他薦方式でチョイスされたパンフレットをつくる事業、「小田原セレクション」を行いました。有用な情報を必要としている観光客にとって真に役立つものにするために、長年商品をよく知っている地元民の目線を取り入れてデザインするという、公式のものとしては「ありそうでなかった」取り組みです。小さな、といっては何ですが私たちに馴染みのあるおみやげ情報すらそうなのですから、もっと複雑な課題におけるデザインに政治性の問題が発生するのは、いうまでもないことです。

市民とは、学んで「成る」もの

本当の意味での協働を実現していくことは、それなりに困難です。住民参加の例で言えば、面倒なことを避けてなるべく計画通りに進めたい自治体側に、なるべく関わりたくない受け身で消極的な市民の側。そんな構図が容易に想像できてしまいますが、それは「ことなかれ」をよしとする日本の社会が共犯的に作り上げてきた面もあるのでしょう。しかし、厄介な問題があふれる今の時代に持続的に対処していくためには、コミュニティの中に主体性を育てる仕組みを持つ必要がありそうです。

英国の国家カリキュラム(日本で言う学習指導要領)の「デザイン&テクノロジー」という科目の学習の目的の項目には、「児童たちは、機知に富み、イノベーティブで、進取的かつ有能な市民になるために、いかにリスクを冒すかの方法を学ぶ」という一文があります。「市民になるために」と、はっきり書かれています。市民という権利は、住民票と連動して自動的に与えられるわけでなく、学んで「成る」ものだ。こういった強い意志を感じさせる観点は、日本ではほとんど見かけません。コ・デザインは、ものごとに自分から関与していくことで、主体的な態度を育成するためのひとつの機会ともなるでしょう。

ライター:上平 崇仁
専修⼤学ネットワーク情報学部教授。グラフィックデザイナーを経て、2000年から情報デザインの教育・研究に従事。近年は社会性への視点を強め、デザイナーだけでは⼿に負えない複雑な問題や厄介な問題に対して、⼈々の相互作⽤を活かして⽴ち向かっていくためのCoDesign(協働のデザイン)の仕組みや理論について探求している。15-16年にはコペンハーゲンIT⼤学客員研究員として、北欧の参加型デザインの調査研究に従事。冬頃にCoDesignに関する書籍(単著/NTT 出版)を上梓予定。

事業開発において注目される「意味のイノベーション」について理解を深める上で、そもそも「意味」とは何か、その前提を整理しておきましょう。※意味のイノベーションの定義や特徴については以下の記事をご覧ください。

「意味のイノベーション」とは何か:最新の研究動向を抑える | CULTIBASE | 組織イノベーションの知を耕す。

CULTIBASEでは、「イノベーション」「経営・マネジメント」「デザイン」「学習・人材育成」「ファシリテーション」を切り口として、「組織のポテンシャル」を引き出し、クリエイティビティ溢れる組織づくりやイノベーティブな事業の創出に役立つ様々な考え方やノウハウを紹介していきます。

目次
技術×意味によるアプローチの整理
アイデアは意味と仕様の結びつきである
技術主導のアプローチは悪か?
技術主導の意味のイノベーションの可能性


技術×意味によるアプローチの整理

意味のイノベーションの提唱者ロベルト・ベルガンディ教授は、2016年に著書『Overcrowded』(日本語版『突破するデザイン』)の中で、体系的な意味のイノベーションの理論を提案しました。しかし実はその7年前、2009年に出版した前著『デザイン・ドリブン・イノベーション』において、イノベーションのアプローチを技術の変化意味の変化の二軸で整理する説明を好んで使っていました。

技術革新によって事業開発する「1.技術主導」のアプローチは、ソニーの「ウォークマン」のように生活者の文化や行動を書き換えてしまう可能性もありますが、必ずしも技術スペックの向上が、生活を革新するとは限りません。むしろ多くの場合、新たな技術による機能改善は、製品の「意味」そのものは大きく変えないことのほうが一般的なように思います。

ユーザーニーズに基づいて事業開発する「2.市場主導」のアプローチは、現在のユーザーニーズに応えるため手堅いですが、ユーザーが予想もしない新たな意味の革新は起こりにくいという意味で、左下に位置づいています。

他方で、企業側、デザイナー側が作り手のビジョンに基づいて新たな意味を生活者に提案するアプローチを「3.デザイン主導」としています。任天堂の「Wii」など、技術主導でも市場主導でもない、企業側が作りたい世界観に基づいて進められるイノベーションのアプローチがありえることを踏まえ、このような整理がされています。現在の「意味のイノベーション」は、「デザイン主導」のアプローチを体系化したものと言えるでしょう。

アイデアは意味と仕様の結びつきである

技術の変化とは、言い換えれば商品やサービスの「仕様の変化」とも言えます。そう考えれば、どのような事業であっても、あらゆるアイデアは「意味」と「仕様」の結びつきによって構成されていると捉えることができます。

仕様があるからこそ意味が実現し、意味を実現する手段として仕様は切り離せないため、この2つは相互に関連しますが、事業開発のプロセスにおいては意味と仕様を区別することがとても重要です。

アイデアの構造

たとえば、iRobotが提供するお掃除ロボット製品「ルンバ」を例に考えてみましょう。「ルンバ」の仕様は、形状が「円盤形」であり、内部に「フロアトラッキングセンサー」が付いていることなどが挙げられます。しかしユーザーは「フロアトラッキングセンサー」を購入しているのではありません。

内部の機構よりも、あくまで「自分がいない間に部屋を綺麗にしてくれる」という意味を購入しているのだと考えられます。しかし同時に、フロアトラッキングセンサーがついていなければ、この意味は実現できていない、という点も重要です。

ルンバのアイデアの構造

事業開発のプロジェクトにおいては、意味の議論と仕様の議論をきちんと区別しながら、それぞれを相互作用的に結び付けながらアップデートしていくファシリテーターの技量が必要です。そうでなければ、ある人はアイデアの意味を発展させたつもりが、別のある人はそのアイデアの仕様を批判する、といったすれ違いが多発します。意味と仕様は切り離すことができませんが、きちんと識別した上で、意味のあるプロダクトを生み出すことが重要なのです。

技術主導のアプローチは悪か?

このようにイノベーションのアプローチや事業開発における認知過程の解像度が高まるたびに、「技術主導はダメで、市場主導で商品開発をすべきだ」「市場から革新的なアイデアは生まれない。ビジョンに基づいてアイデアを提案すべきだ」など、「従来のアプローチ」のアイデンティティを否定するような「あのやり方は、もうダメだ」という意見が強調されがちです。

しかし筆者は、このような整理を踏まえてもなお、技術主導のイノベーションアプローチが「もうダメだ」とは考えていません。もし従来の技術主導のやり方に問題があるとすれば、それは技術を単なる「仕様の問題」としてのみ解釈し、アイデアの「意味のポテンシャル」に目が向けられなくなってしまっている態度が「もうダメ」なのではないかと考えています。

ルンバのユーザー価値は、確かに「自分がいない間に部屋を綺麗にしてくれる」という意味にあるかもしれません。しかしそれを実現している要因は、あくまで「フロアトラッキングセンサー」などの仕様であるはずです。「仕様しか考えない」ことと「仕様を起点に意味を生み出すこと」は、大きく異なります。

技術主導の意味のイノベーションの可能性

技術主導のイノベーションは、いまや圧倒的な技術革新を起こさない限り、実現できないものだと思われがちです。しかしながらたとえ使い古された既存の技術であったとしても、その技術や、それによって実現される仕様に潜む「新たな意味の可能性」に目を向けさえすれば、新しいかたちでの”技術主導の意味のイノベーション”も十分に可能になるはずです。

筆者はこれまで、技術を強みとする数多くのメーカーで、商品開発のプロジェクトのファシリテーションを実践してきました。その経験を振り返ると、たしかに多くの場合「仕様」の話が9割を占め、放っておくと「意味」の話はほとんど登場しません。そして技術者本人は、そのことを自覚してすらいないケースが大半です。つまり何も工夫がない状況においては、「仕様に閉じた技術主導」の発想に陥ってしまう。そうした傾向は確かにあるでしょう。

しかし技術の解釈をリフレーミングするための「問いのデザイン」に気を配り、戦略的にプロジェクト設計とファシリテーションを推し進めることで、「技術から、新たな意味の可能性を読み解く」アプローチは十分に可能となります。

技術主導はもうダメだと諦めるのではなく、技術があるからこそ実現可能な意味のイノベーションを目指して、自社のリソースのポテンシャルを最大限に活用しようとする。それが、これからの組織イノベーションのファシリテーターに求められる信念なのかもしれません。