「計画」に対抗して生きる。イマ・ココを味わう身体感覚を呼び戻す:上平崇仁による新連載『「計画」を超えて』第1回

「計画」に対抗して生きる。イマ・ココを味わう身体感覚を呼び戻す:上平崇仁による新連載『「計画」を超えて』第1回

上平 崇仁

2021.07.06/ 8min read

好評連載『コ・デザインをめぐる問いかけ』を担当いただいた上平︎​崇仁さんによる新連載が始まります。テーマは『「計画」を超えて』。ビジネスの現場でも支配的な考え方となっている「事前に計画すること」は、わたしたちのいま・この瞬間に焦点をあわせる感覚を弱体化しているのではないか? その領域を考えることで、人間の創造性の新しい方向を探れるのではないか? 連載の第1回では、このような問いを起点とした本連載の見取り図が示されます。

目次
身体感覚、使っていますか?
いま・この瞬間に焦点をあわせる力の弱まり
「計画」を超えて
新しい「見方」のために


身体感覚、使っていますか?

例えば、外出前にGoogle マップで目的の場所や移動経路を調べすぎて、もはや現地では、調べた場所以外に何があるのかに目を配ろうとしない。あるいは、オンラインのイベントに参加したが、アーカイブを視聴できることに油断して、他のことに気をとられてしまう(そして結局見返さない)。誰もが、多かれ少なかれそんな経験に思い当たるのではないでしょうか。恥ずかしながら、わたしもそうです。

わたしはデザインの研究者として、デザインする実践を生活者視点から捉えるための理論的枠組みづくりに取り組んでいます。ここ、『CULTIBASE』へも「コ・デザイン」のキーワードで何度か寄稿してきました。

今日、デザインの概念は幅広い領域において共通言語として用いられるようになってきました。その一方で、デザインが言語化され、世の中に普及していくのに合わせて、研究者としては研究対象をより未開拓な領域へと少しづつ比重を移していくことになります。

たとえば光だけでなく、影も見ること。枠組みの外側に立って、見えなくなっている死角を照らし出すこと。そうしてデザインする実践を相対化し多角的に読み解いていくことは、ときに不愉快な現実を直視しなければならないこともありますが、わたしたちが進む道を再び方向づけしていくためには必要なことです。

そこでわたしの中にずっと残り続けているのが、冒頭の悩みです。おびただしく張り巡らされた情報網の底で、わたしたち生活者から見えている世界は少しづつ組み替えられ、リアルタイムに目の間で起こっていることに対するわたしたち自身の経験の「焦点」は、どんどん合わせにくくなっているんじゃないか――。

お前の注意力が足りないだけだろう。そう言われれば、もちろん反論できません。しかし見渡してみれば、デジタル機器に接する場に限らず、さまざまな場面で起こってる現象でもあるようです。料理研究家の土井善晴氏は、中島岳志氏との対談において、こう言います。

中島「…私たちはどうしても、このレシピでこれを作るんだと言うことで身構えて、それでものを買いに行くと見えなくなるものがあるかもしれないですね」

土井「先に結果を考えていると、自分の感覚所与をほとんど使わない。結果がレシピのようなもので決まっているとしたら、それは料理をしていることになるのかと言うことですよね。私でさえ自分のレシピを使用すると、感覚を使わなくなります。 なにかに頼った瞬間に自分はサボりだす。自分のレシピであるとしても、レシピどおり作ったとしたら、それは70点以上にはならない。自分の感覚を使いながら作ると、100点、あるいは120点のものが出てくる可能性もある」(『料理と利他』P111[*1])

ドキリとさせられる言葉です。多くの人が日々行っている料理すら、決してレシピ通りに再現される予定調和な出来事ではなく、本来は、その日の天候や季節、食材の旬や鮮度、食べる人々の気分や体調、そんな微細な情報を作り手の全身の身体感覚を駆使してキャッチしつつ、そのつど構成される、絶え間ない変化とともにあるものなのです。しかし、そんな基本的なことすら、わたしたちは言われるまで思い出せません。

いま・この瞬間に焦点をあわせる力の弱まり

情報技術によって時間と空間の軸が広がり、さらにサブスクの「し放題」サービスが普及することによって、出来事の再現性・共有性は飛躍的に高まりました。その一方で、ものごとが密度高くデザインされ、さまざまな選択肢が事前に準備されればされるほど、土井氏が指摘するような、わたしたち自身が、いま・この瞬間に焦点をあわせ、唯一の身体をもって他者と対峙するライブな感覚は弱まりつつあることに気付かされます。

言い換えれば、人間はその場に存在することの応答(response)の責任から逃れる方向にテクノロジーを使っています。それは外界のすべてを細かくキャッチできない「弱さ」をカバーしているとも言えますが、際限のない「欲張り」さの現れでもあります。

時代が安定していれば、そんな方向性を追い求めるのもひとつの道かもしれません。しかし、ふと周りを見渡してみれば、わたしたちが生きる地球は、想定できないレベルの災害が相次ぎ、変わらない明日がくるという確信はいつの間にか消え失せています。まるで重大な故障を自覚しながら、深い霧の中を進まなければならない船のようです。

そんな時代に生きていながら、応答することから逃れようとするあまり、目の前で起こっていることを直視しない姿勢のまま突き進んでいくことは、やはり問題でしょう。何かがおかしいことを自覚しながらも手続き的にやらなければならない状況になった時、人は嘆息してこう言います。「しょうがない―」と。

「計画」を超えて

近代以降、「計画すること」は言うまでもなく重要な位置づけを占めてきました。起こりうることを想定し、入念に準備しておくことは危機を回避するための基本的な知恵ですし、たくさんの人が関係する大規模なプロジェクトを進める場合にも念入りな段取りは不可欠です。

ビジネスに広く浸透している“PDCAサイクル”のPはPlan(計画)のPで、各省庁の予算は前年度の概算要求をもとに決定されていきます。しかし、計画は前提が変わらないからこそ成り立つもので、その前提は実際のところ、常に不安定なものです。

それゆえ、わたしたちは日々の現実の中でさまざまなジレンマを感じます。リスクを避けるために事前にプロセスを取り入れることを選ぶけれども、いつのまにかそれを予定調和的に進めることの方に主眼が置き換わってしまう。そして、何かをする際には面倒臭さを減らす方向を「よい」と信じて選ぶけれども、本当のところは手間暇をたっぷりかけて、身体全体で経験を味わうことなしに心からの喜びは生まれない。

社会を動かしているものをすべてを否定するつもりはありませんが、本来は計画は下絵に過ぎず、随時修正したり手放したりもできるはずです。しかし、その場の状況とのそぐわなさに対する「現在の自分」の直感よりも、「過去の自分」による下絵を優先してしまうことには、わたしは違和感を覚えます。

その瞬間しか存在しないはずの主客未分化な経験を軽んじ、焦点を定まらなくさせているのは、念入りにデザインされた世界の中で改変されてきた“わたしたち自身”でしょう。人間は、せっせとそんな環境をつくってきましたし、環境はそれに適応した人間──すなわち、“従順なユーザー”をつくりだしてきました。

新しい「見方」のために

この連載では、すべてが前のめりに計画されていく傾向が強まる時代のなかで、いかにして、わたしたち生活者がそれに「対抗」して生きることができるのかについて、デザインの視点から考えてみようと思います。

上述した問題意識を解きほぐしてみることは、デザインを産業の側に提供してもらうのではなく、自分自身が行う実践としての意味を改めて理解し、明日の選択肢を見直していくことに(ほんの少し)貢献するでしょう。

思い起こせば、支配的な風潮に対抗し、人が生きる意味を問いかけ回復しようとした挑戦は、アーツアンドクラフツ運動を率いたウイリアム・モリスの頃から、デザインにおける基本的な態度でもあります。

一方で、人間の身体と世界の関係性への問いは古くから過去の賢人たちによって考えられてきたことであり、さまざまな学問領域に豊富な知見が蓄積されています。

たとえば、
・計画されたことに対する状況的行為(状況論)
・油断なく気を配る「行為の中の省察(Refrection in Action)」
・インプロビゼーション(即興)の身体知
・人間とコンピュータのインタラクション(HCI)
・ヴィリリオの「速度学(dromologie)」
・他者と“ともに”学ぶ「人類学」
・稽古(稽古照今)の思想と道文化
・初期仏教が伝える心と身体の捉え方
などの思想を通じて言語化されてきたことは、「いま・ここ」で立ち上がる自己のありかたを再考するための手がかりにできそうです。

このような過去の優れた知見と今日的な問題を新しく接続しつつ、今後の5回のコラムの中で考察してみるのが、この連載の主旨となります。それを通して、人工物や生活環境、わたしたち自身の態度について、読者の中から新たな見方が生まれてくることを願っています。その見方を変えてみることで、これからも人間を撹乱しつづけるであろう情報網の中で生きるわたしたちが、少しでも正気を保ちつづけることができるように。あるいは、しなやかな知と活動の可能性を拡げ、生きる可能性を拡げることができるように。

[*1]土井善晴, 中島岳志『料理と利他』ミシマ社 2020 P111


ライター:上平 崇仁
専修⼤学ネットワーク情報学部教授。大阪大学エスノグラフィーラボ招聘研究員。グラフィックデザイナーを経て、2000年から情報デザインの教育・研究に従事。近年は社会性への視点を強め、デザイナーだけでは⼿に負えない複雑な問題や厄介な問題に対して、⼈々の相互作⽤を活かして⽴ち向かっていくためのCoDesign(協働のデザイン)の仕組みや理論について探求している。15-16年にはコペンハーゲンIT⼤学客員研究員として、北欧の参加型デザインの調査研究に従事。単著に『コ・デザイン― デザインすることをみんなの手に』がある。

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