「野生の課題解決者たれ!」 中原淳先生と考える、領域や手法にしばられない組織づくりの実践とは?

「野生の課題解決者たれ!」 中原淳先生と考える、領域や手法にしばられない組織づくりの実践とは?

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2021.05.05/ 17min read

ビジネスをめぐる知識の専門化、細分化が進む昨今。企業のなかで、部門や領域の越境や連携が求められています。

組織づくりにまつわる知も同様です。人材開発や組織開発、採用、育成、人事制度設計——。人や組織をめぐる課題が複雑さを増すなか、領域ごとに分断された知をどのようにひとつに編み直すか。これはCULTIBASEが探求していきたい問いでもあります。

この問いと向き合うにあたり、お話を伺ったのが立教大学経営学部教授の中原淳先生です。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業における組織開発・人材開発を研究する中原先生は、かねてより「人材開発・組織開発という領域は消えてもいい。最後は、人事という実践だけが残る」と語り、部門や領域を超える大切さを指摘されていました。

中原先生は今、人や組織をめぐる課題解決をどのように捉え、取り組まれているのでしょうか。CULTIBASE副編集長の東南裕美と共に、これからの組織における人事の実践と、学習の重要性について語り合いました。

目次
細分化した専門知が向き合うべきハードル
組織の現場に必要な「野生の課題解決」
組織の理想状態や課題を自分たちで決める重要性
多様な持ち味を生かし、チームの即興的な課題解決を
一人ではできない「学び」をどう組織で行うか

細分化した専門知が向き合うべきハードル 

東南:今日はよろしくお願いします! 中原先生には、ぜひCULTIBASEに登場いただきたいと思っていたので、念願叶って嬉しいです。

中原:ありがとうございます。よろしくお願いします。

東南:初めにお伺いしたかったのが、組織づくりにおける領域や手法の分断についてです。

組織づくりにおいては、組織開発や人材開発、採用、育成などの領域が細分化しながら発展を遂げてきました。

その結果、現場で課題に向き合うときも「組織開発か人材開発か」あるいは「採用か育成か」と領域や手法に気を取られやすい傾向があると捉えています。

もちろん、領域や手法が発展すること、実践すること自体が間違っているわけではありません。ただ、それらにとらわれて本質的な解決から遠ざかってしまう状態は変えていきたいと考えているんです。

中原:なるほど、大事な観点ですね。たしかに、この20年で人事の世界は猛烈に高度化しています。人事の世界は「機能別人事」に分かれてますからね。やれ採用だ、やれ人材開発だ、やれ組織開発だと、機能に分かれ、お互いに協力できなかったりすることもありますよね。領域ごとに部門が縦割りになっていて他部門を巻き込もうとしても、課題や解決策が適切に共有できず、うまくいかないといった話はよく聞きます。今、必要なのは、人事部の「組織開発」であると、私は思うほどです。外からみれば、「同じ人事」なんだけどね。「領域」が主張されはじめると、分断が生まれる。

東南:そこでヒントになるのが、「人事という実践が残るのみ」と、中原先生が以前ブログで紹介されていた言葉だと思っています。

組織のぶつかる課題が複雑化するなか、領域や手法を越えて、融合的に取り組んでいく必要がある。その結果として「人事という実践」だけが残っていくのではないかというお話でした。この辺り、詳しくお伺いしてもいいですか?

中原:もちろんです。そのまえに、まず大前提として実務の現場には「領域」があるわけじゃないんです。そこには「課題」があるだけなんですよね。つまり「課題が先、領域はあと」なんです。

現場には、多くの場合、なんだかうまくいかないと思っているけど、原因がわからないという課題が、現象として存在しているだけ。ほとんどの場合は、ホワンと浮かんでいるだけ。

例えば「若手社員が、なんか、最近、立て続けに辞めちゃうんだよね」という現象があるとするじゃないですか。これが「課題」ですよね。現場には、つねに「課題」があるのです。そこには、まずは「領域」はない。

こうした現象が生まれる原因は、採用のミスかもしれない。「若手社員と中堅社員」の関係性かもしれないし、管理職の育成不全かもしれない。もしかすると、賃金制度や育成プログラムかもしれない。あるいは全部かもしれない。課題を深堀りしていくなかで、領域が意識されます。

つまり、課題が先で、そのあとで、はじめて「領域」が意識されるのです。だから、実践者にとって、まず意識するべきは「領域」ではなく「課題」だと思うんですよね。

組織の現場に必要な「野生の課題解決」

東南:たしかに、組織課題の多くは「こっちは組織開発」「あっちは人材開発」と機械的に分類できないですよね。

中原:その通りです。それは、組織開発や、人材開発を専門にしている人が、勝手に、分類しているだけです。あるいは、それぞれの専門家やプロフェッショナルが、お互いに、自分の領域を、主張しているだけです。

くどいようですが、まず意識するべきは「課題」です。その課題を「解決」しようとなったときに、つぎに領域を意識する。領域っていうのは「道具」でもあり「手段」です。そして、どの道具や手段を使って課題を解決してもいい。組織開発をやるのか、はたまた、人材開発をやるのか、組織開発も人材開発もやるのかとか、大して重要ではないと僕は捉えています。大切なのは「課題」をただしく認識し、解決するだけなんですから。手段は何を使ってもいい。

解決のために道具として使えるものは全部使うし、学ばないといけないものは全部学ぶ。以上!という感じです。ロールプレイングゲームで、主人公は、敵と戦いますよね。そのときに、もっている武器の選択は、敵に応じて変えるでしょう。大切なことは、敵を倒すこと、目標を達成することです。

東南:使えるものは何でも使うという捉え方は、非常に共感します。

少し前にMIMIGURIでも、とある人事コンサルの仕事で、組織構造の見直しや制度策定にあたって、組織デザインに詳しいメンバーが、組織デザインによる課題解決に、対話的な組織開発のアプローチを取り入れていました。あくまで「組織の構造や制度の策定」が範疇だったものの、当事者の方々の思いを引き出せるように問いをなげかけ、対話を通じて制度策定を進めていったんです。まさに「使える道具を使う」を実践した事例なのかなと感じます。

中原:そうそう。さっきも言った通り、現場にある課題は整理されているものではないから、あらかじめ解決策を緻密に計画するのは難しい。課題に応じて、手持ちの道具を柔軟に組み合わせていく必要があるんですよね。

現場で課題に直面してから、あるものを全部使って解決していく。人類学者のレヴィ=ストロースは、未開のひとびとの課題解決の様相を、「ブリコラージュ(器用仕事)」と表現しました。ブリコラージュとは、あり合わせの道具、ありあわせの手段を適当に組み合わせて、目標に到達することです。

現場のひとびとは、まさにブリコラージュ的な発想や思考を積み重ね、日々を生きています。その様相を、人類学者のレヴィ=ストロースは「野生の思考」と呼んでいました。これと同じなんです。組織の課題解決とは、「野生の課題解決」なんです。実践家は「野生」をサバイブしなきゃなんないです。野生に生きて、ありあわせの道具で、戦う。それが実践です。

関連記事:ケイパビリティ・ファシリテーション:チームの多様性を活かすためのケース難易度別のポイント

東南:一方で、そうした「野生の課題解決」と、専門知の範囲をめぐる問題の折り合いをどうつけるのかは難しいなとも感じます。まさに中原先生は、2016年に出版された著書『組織開発の探究―理論に学び、実践に活かす』のなかで、組織開発という概念は、人材開発や人材マネジメントなど、多様な概念を包摂しながら発展してきたと説明していました。90年代の米国では手を広げすぎた結果として「組織開発は死んだ」とも言われたのだと。

今の日本で組織開発や人材開発に携わる実践者のなかにも、組織開発があまりにさまざまな概念を飲み込んでいるゆえ、捉えづらさを感じている人もいるのではないかと思うんです。

中原:それは、その「領域の内部」だけで研究や実践をおさめようとする人にとっては、困るでしょうね。既存の「言葉」や「概念」が死んで、困るのは、その概念で食べているからでしょう。でも、そんなことは恐れることではないんです。もし自分の仕事が広がるならば、自分で定義すればいい。組織開発にかわる「新しい概念」をつくっていけばいいだけなんです。

正直にいうと、僕は「組織開発」や「人材開発」という概念自体が死んでも、全然構わないんですよね。概念が死んでも、今日も明日も、組織は「順調に課題」だらけですから。「組織開発とか、人材開発とかいう言葉をやめて、明日から、全部引っくるめてヒューマンプラクティスと呼びましょう」と言われても、「あぁ、いいですね!全然OKです」って答えるとすら思います。ただ、「ヒューマンプラクティスって、ダサいですね。ネーミングいまいちですね」とは、付け加えますけどね。

東南:なるほど……! 先ほどの話を踏まえると、いずれも「解決のための道具」だから、でしょうか?

中原:そうです。「手段」にしがみついても意味がないんです。90年代の米国においては、組織開発や隣接領域の研究者が、理論的に整合性がつかないから「死んだ」と言っていたわけですよね。私から言わせれば、歴史をひもといてみれば組織開発という概念は、もともと「あり合わせのブリコラージュ」で生まれた概念です。それをピュアに追求していこうとするのは無理があります。だから「死んで」上等なんですよ。しがみつかなくてもいいんです。大丈夫。「組織開発」という言葉は死ぬかもしれませんが、「組織をケアしなければならない」という社会的ニーズは、今なお、高まっているんですから。

同じように、今の日本でも組織開発はいろんな領域の知を取り込んで発展していますから、先鋭化した人たちが「死んだ」と言いたくなる気持ちはわからなくないです。

だけど、地に足をつけて現場と向き合ったら、これまで組織開発が掲げてきたことの大切さは、まだまだ伝わっていないって感じるはず。組織開発で大切と言われてきた対話やサーベイをちゃんと実践できている組織って、どれだけいますかと問いたいです。大丈夫です。概念が一時的に死んでも、その重要性は残っていますから。まだまだ活躍の余地がたくさんあります。

いち実践者として組織づくりに携わるのなら、言語や領域にしがみついたらダメだと思う。

東南:あくまでその実践を、一つひとつ丁寧に扱っていく必要があるんでしょうね。対話と聞いて、「円卓で向かい合って話し合えばいい」となってしまうのは違う。言語や領域にしばられず、現場の課題に対して真摯に取り組むことが重要なのだと感じました。

組織の理想状態や課題を自分たちで決める重要性

東南:少し話が変わりますが、中原先生の考える理想的な組織・どういう組織があるべきだとかって考えられたりしますか?

中原:組織に「一般論で語られるあるべき」も「理想」もありません。組織に「理想像」がある、と考える考え方そのものが「古くさい」と思います。そうした考えは、1960年代―1970年代の組織開発論ではないでしょうか。今、まともな研究者で「組織の理想像とはなにか?」に答える人はいないと思います。組織に「一方向的な発達ステージがある」という考え方も、古くさいです。まともな研究で、それを実証・検証しているものはないはずです。

組織は、組織が実現したいものに応じて、市場の変化に応じて、いかようにも変わっていいのです。そして、その発展は、線形ではなく非線形です。

場合によっては官僚制がめちゃくちゃ機能する場合もあります。そこにかかわる人たちが、組織のとりまく状況、組織がめざすものをみながら、自分たちで、あり方を決めていくほかはないと思います。

最も大切なのは、自分たちで組織の理想や課題を見つけることです。要するに、自分のチームや組織は自分でデザインせよってことです。

外部の専門家から「これをやってください」と押しつけられても、モチベーションも高まりづらいし、学習効率も低い。当然、課題の解決にもつながらない。

東南:まさに中原先生が研究してきた「学習」の領域で、教育学者のジョン・デューイが、学習の原動力は個人の内部から衝動的に生まれる欲求にもとづくと述べていますよね。

関連記事:組織変革は「個人の創造的衝動」から始まる─”CCM”の最初のステップ

中原:そうですね。もちろん、外部の専門家に頼るのがダメと言っているわけではないですよ。組織のなかにいると自分たちの特殊性や課題が気づけないことも多いですから。私も含め、外部の専門家が調査や聞き取りを行うことには、一定の意味があると思います。気づいてはいるけれど、言葉にできないものを、なんとか言葉にすることの契機は、組織の外部からもたらされることが多いものです。

ただし、理想状態や課題は、最終的には自分たちで決めてもらいます。もちろん、そのための情報収集や、手助けはしますよ。ちゃんと時間をとって、組織の現状と理想状態、何が課題かを考える。その上で「じゃあ、どう解決する?」という段階に進まないといけない。あなたの組織は「誰のためのもの」ですか? 僕のためのものではありません。あなたのためのものです。

多様な持ち味を生かし、チームの即興的な課題解決を

東南:外からの要請ではなく、自分たちを起点に発想する「インサイドアウト」的なアプローチですよね。

そうやって、あるべき姿や課題を見出し、言語化するのは重要であると同時に、非常に難しいことでもあるなと感じます。

組織における課題は先ほどから話している通り、綺麗に整理されていないですから、「そもそもどこが課題なのかわからない」とか、解くべき課題と認識しているものの他にも、実は別の課題があったというケースもあるように思います。

中原:僕に、「課題」だと持ち込まれたものの9割くらいは、課題ではありません。当初の「課題」は、調査やヒアリングを経て、変わってくると感じますね。

さっきも言った通り、だいたい課題って“ホワン”としてるんですよね。とりあえず「そうですよねぇ」と受け入れて実際に聞き取り調査をしていくと、大抵は表面から見えるのとは違う課題がいくつも出てくる。

組織の氷山モデルってあるじゃないですか。組織課題を解決するには、事業や業務といった目に見えるもの「コンテント」と、関係性の質や個人の認識「プロセス」の両方が大切。その両方を意識しながら、対話やコンセンサスづくりをやっていくしかない。

関連記事:組織のイノベーションは「プロセス」から生まれる

社会学者の岸政彦さんは『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』のなかで「他者の合理性」という言葉で表現していました。合理に沿っていないように見える他者の行為も、その人にとっては何かしらの意味を持っているのだと。

組織においても、そうした「他者の合理性」を理解し合わないと、自分でハッと気づいて納得することは難しいと思います。

東南:コンテントとプロセスの話で思い出したのですが。MIMIGURIにはコンテントを見るのが得意なメンバー、プロセスが得意なメンバーがそれぞれいて、最初は噛み合わないこともあったんです。

ただ、違うところを見ているからこそ多様な打ち手が出てくることも多くて、今はとても可能性を感じています。そうした内面の多様なメンバーがいることも、いわゆる野生の課題解決には大切なのかもしれません。

中原:おっしゃる通り、見えないものを見えるようにするのが得意な人もいるし、行動観察が得意な人、ファシリテーションやサーベイが得意な人もいる。そういう人が集まって、持ち味を生かした、即興的で、ダイナミックなチームの動きが生まれると最強ですよね。ちょっとジャズの即興演奏にも似ているかもしれない。領域の違うプロ同士が融合して、一つのメロディを紡いでいくというか……。でも、そのとき大事なのは、それぞれのひとびとが、協奏に足る能力を、自ら磨いているか、ということです。即興できるのは、それぞれがプロだからです。アマチュアの奏でる即興は、聞くに堪えない「でたらめ」です。

そのために自分の得意な領域や分野を認識して、磨き続けていくのは大事ですよね。組織開発や人材開発に興味のある人、生業にしていきたい人は、自分自身の学びを手放しちゃいけないと思います。

一人ではできない「学び」をどう組織で行うか

東南:個人や組織の学びについてもぜひ中原先生とお話ししたかったんです。

一人ひとりが持ち味を磨き、野生の課題解決に取り組んでいく際、一人で学べる領域や分野には限界がありますから、他者と学び合うことが重要になると感じています。

中原先生はもともと協調学習を専門とされていましたが、企業における「組織学習」については、どのように捉えていますか?

中原: 組織学習は経営学にとって重要な概念です。ただし、私はそれに興味がありません。むしろ、個人が、人と関係をとりもちつつ、いかに学ぶかが、私の関心です。そもそも僕の強烈な信念は、「学びというものは、一人では達成できないものである」なんです。学びというのは、他者と出会い、話し合った先にあるのだと。これだけを信じて、20年弱研究してきました。

これまで協調学習、職場学習、経験学習、組織開発、チームビルディング、残業学、転職学……と、私の研究テーマは変遷しているように見えるかもしれません。しかし、当の本人は、全くそう思っていません。いつまでも、いつの日も、ずっと「学びというものは一人ではできない」と言い続けている感じなんです。毎回毎回、あきもせずに、手を変え、品をかえて、20年間、同じことを言っている気がします。

それをふまえたうえで「組織学習」について戻ります。組織学習理論の前提には「組織としてマニュアルやルーティンを蓄積し、個人が出入りしても同じ価値提供ができるようにする」という経営学的な発想があります。経営学だから、そういう発想があっていいとは思います。経営の観点からすれば、組織の構成員が「出たり入ったりする」のは、事業継続に問題があるので困るんです。だから、たとえ、人の出入りがあったとしても、組織の「内部」に、ルーティンを確立することが課題となります。そういう研究が重要だと思います。

ただ、僕は、そういうことに興味はない。「組織のなかで、個人は、他者と関わりながら、学び、変わるはずだ」という研究を、僕はしたいです。「組織がほにゃらら」という風に「組織」が主語になる概念には、興味がないのです。私は、どんなときでも「主語は個人」だと信じている人間です。

東南:まさに、先ほどのような「野生の課題解決」を前提としたとき、経営学的な観点からのみ組織学習を考えるのは、限界があるのかもしれないと感じることがあります。

組織学習の研究者であるHuberは、学習のプロセスを「知識獲得→情報分配→情報解釈→組織記憶」という順番に分類していました。そこでは組織学習のゴールとして、知識が「記憶化」されることが置かれています。

関連記事:組織学習とは何か:組織の成長を支える学習のメカニズム

ただ、このゴールが「記憶化」で十分なのかが気になっています。

一人の個人が「他者の助けや関わりを借りて変わっていく」のと同じように、組織も一つの生命体として、学び、変化し続ける必要があるのではないかと。

MIMIGURIがイノベーションが起こり続ける創造的な組織を図式化した「Creative Cultivation Model(CCM)」も生命体としての組織を前提にしているんです。

中原:生命体ですか。興味深いですね。東南さんの主張に、あえて「問いを差し上げる」のだとしたら、「組織が生命体だ」と東南さんが言うとき、それは、具体的にどのような「光景」のことを言っているのでしょう。誰が、誰とかかわり、どんな行動をして、何をなしたときに、東南さんは「組織とは生命体だよね」と思うのでしょうか。そうした光景を、解像度をあげて話していただけると、わかりやすいかと思います。

東南:「組織が学習する」については、個人の学習が組織に変容を促して、それが別の個人に影響するといったように、個人と組織が有機的につながっていく状態を考えているんです。

ただ、それが具体的にどのような光景を指すのか、そもそも組織とは何なのかは、探究し続けていこうと思います。

改めて、今日お話を伺って、言葉や領域にしばられない融合的な課題解決の重要性や必要になる学習のあり方について、より思考が刺激されました。中原先生、今日は対談にお付き合いいただき、ありがとうございました!

中原:学びに満ちた人生を!


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これからの人事の役割:いま向き合うべき組織の“野生の課題“とはなにか

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