一人では解けない問題に立ち向かうための「協働のデザイン」入門:連載「コ・デザインをめぐる問いかけ」第1回

一人では解けない問題に立ち向かうための「協働のデザイン」入門:連載「コ・デザインをめぐる問いかけ」第1回

上平 崇仁

2020.08.14/ 7min read

限られた専門家だけでなく、実際の利用者や利害に関わる人々が積極的に加わりながらデザインを進めていく「コ・デザイン(Co-Design)」という考え方があります。日本語では「参加型デザイン」と訳されるこの考え方は、厄介な問題(Wicked Problem)に立ち向かわなければならない時代に、新しい視座を与えてくれるでしょう。『いっしょにデザインする コ・デザイン(協働のデザイン)における原理と実践(仮)』を今秋に出版予定の上平︎崇仁さん(専修大学ネットワーク情報学部教授)による新連載「コ・デザインをめぐる問いかけ」が始まります。

目次
いまの延長線上で「未来」を描けない時代のデザイン
『烏合の衆』と『三人寄れば文殊の知恵』
いざ、コ・デザインをめぐる旅へ!


「手作りのアップルジュース、試飲できます」

そんなキャッチコピーに釣られ、ある夜、私は家族と共にそのイベントのブースの前まで行ってみました。眩しい灯りの下で、列になった人達が賑やかに作業しているのが見えます。みんなで手分けして包丁を手に取り、カゴの中のりんごのヘタや汚れ部分を取り除いています。次の人達は、それを適当な大きさに切り刻んでいます。どうやら作業しながらも、少しずつ列が進んでいるようです。列の先頭にはビア樽ぐらいの大きな絞り器があり、数人がかりでそのレバーを一生懸命廻しています。そうして絞り出されてきたジュースを紙コップで受け取った人は、列から離脱しています。一連の流れを眺めてみると、要するに、このブースでは完成物をふるまうのではなく、つくるための材料や道具を人々に提供し、列に並んだ参加者たちが自力でつくることを「手作り」と称しているのでした。

ずいぶん投げやりな出し物ですが、全部の過程を見せることで、どのくらいのりんごからどのくらいの量の果汁と絞りかすが生み出されるのかが、一目瞭然になっています。それに加えて見ず知らずの人達が、ジュースをつくるために和気あいあいと協力しあっているのがとても印象的で、ここにはプロセスを共に経験することでコミュニケーションを生み出すデザインが施されているのだ、と気づかされました。

実はこれは日本ではなく、コペンハーゲンで行われたカルチャーナイトというイベントにおいて、デンマーク環境庁が出展していたものです。そしてよく考えてみれば、このアップルジュース生産装置は極めてこの国らしい仕組みに基づいていることがわかります。貢献すればだれもが等しく扱われる〈平等性〉。ものごとが進んでいく因果関係を見えるようにする〈透明性〉。見ず知らずの人でも協力し合う〈信頼性〉。それらを、遊び心を持って仕組み化し、いっしょに取り組めるようにする〈協働性〉。

この国の人々が大事にしているそんな約束事を経験的に学べる場がごく普通にあり、街の中に埋め込まれているのです。行列が和やかな雰囲気で進んでいくのを眺めながら、社会の中に溶け込んだデザインが人々の行動をかたちづくり、同時にそれこそが人々の社会性を育くむものであることを垣間見た気がしました。

いまの延長線上で「未来」を描けない時代のデザイン

翻って今、自分のまわりを見回してみると、私たちは自分たちの社会をつくるために、どんなことをしているでしょうか。どこかに学べる場があるでしょうか。そんな問いが頭の中に立ち上がってきます。

二一世紀に入り、私たちの生きる社会では過去から引き継いできたやり方に対して、はっきりと大きなひずみが見えるようになりました。未来はどうやらこれまでの延長線上には描くことはできないようです。

次々と困難が襲いかかる中、私たちは他者と力をあわせながら懸命に今の時代を生きています。最近では、国境を越えて行き交うことも盛んになり、言葉や文化の異なる人々とコミュニケーションをとる機会も増えています。チームで何かのデザインに取り組むことも、まったく特別なことではありません。

しかし、一見ふつうのことに見えて「いっしょにデザインする」ことは、そのとらえ方次第でどこまでも深くなっていくテーマです。なぜなら、それまでの前提を一つ一つ外してみることによって、デザインすることはいったい何をすることで、そもそも誰が決めることなのか、当たり前に思えていたことが、実は当たり前ではないことに気付かせてくれるからです。

この点をふまえて、近年では限られた専門家だけでなく、実際の利用者や利害に関わる人々が積極的に加わりながらデザインを進めていく、コ・デザイン(Co-Design)と呼ばれるデザインの取り組みが行われるようになってきました。

コ・デザインは、一人では解けない問題に立ち向かうために、さまざまな場面で模索されています。このような取り組みの名称は、日本語では「参加型デザイン」として知られてきましたが、後述する理由でここでは使いません。この連載は、コ・デザインを実践することにむけて、その考え方と枠組みについてやさしく理解することを目指すものです。

はたして、なぜ私たちは「いっしょにデザインする」ことを実践していこうとするのでしょうか。人間はみな自我を持ち、一人一人違います。そういった異なる人々が何かに取り組むことは、決していいことばかりではないはずです。

『烏合の衆』と『三人寄れば文殊の知恵』

たとえば、ことわざでも『烏合の衆』というじゃないか、質の高いモノをつくるためなら、強い目的意識やスキルを持つ個の力が結局は大事なのであって、普通の人たちが集まったところで相乗効果を生むわけがない。口だけで何も生み出すことができないだろう、と言う人がいます。

その一方で、いやいや、ことわざを引くなら、『三人寄れば文殊の知恵』ともいうじゃないか。凡人でも力をあわせることできっといい知恵を生み出すことはできるはずだし、実際に私たちはそんなやりかたで進めている、と言う人もいます。

どちらも一理ある気がしますが、個別の状況が違えば方法も変わるのが普通であって、どちらか一方が正しいというものでもないでしょう。古いアフリカのことわざとされる有名な言葉に、「早く行きたければ一人でいきなさい。遠くに行きたければみんなでいきなさい(If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together)」があります。この言葉は、目的に応じた使い分けが肝要であること、そしてひとりぼっちでは行けないところまで到達するために、他者と協力することの意義を教えてくれます。

仲違いするかもしれない。裏切られるかもしれない。だれかと協働する中で起こりうるネガティブな面を考えると、誰もが他者と手を結ぶことには及び腰になりがちです。協働することの意義を見出すためには、そんなリスクを抑えて希望が見えるような、広い視座を得なければなりません。学問は、そのためにあります。

いざ、コ・デザインをめぐる旅へ!

かつてマンガの神様、手塚治虫はマンガ家になりたい子供に向けて、質の高いマンガを書くためにマンガ以外の分野から教養や知識を得る重要性を指摘し、「マンガ本ばかり読んでいてはダメである」と諭しました。デザインも同じです。デザインはさまざまな学問や創造の領域を統合しながら取り組まれていくもので、栄養サプリのように効率よく吸収できるような固形物があるわけではありません。

しかし、これまでのデザインの領域の言葉は、創造するための方法論や仕事の事例に焦点を合わせられることが多く、その行為を成り立たせている周辺の要素については、あまり語られてきませんでした。

実はデザインのプロセスには、目指す目的のものごとを決めていくと同時に、私たちの関わり方を決めていくという二重の意味があります。それは決して人任せにしてすませられることではなく、私たち一人一人が自分の人生の中で取り組んでいかなくてはならないことです。そのために広い視野を持つことが必要になるのです。

それでは、遠い祖先の時代から脈々と続く、デザインにおける協力関係を巡る旅を始めていきましょう。


本連載の第2回目はこちら

「いっしょにつくる」ことが、予定調和を超えたデザインの可能性を示す:連載「コ・デザインをめぐる問いかけ」第2回
https://cultibase.jp/1321/

ライター:上平 崇仁
専修⼤学ネットワーク情報学部教授。グラフィックデザイナーを経て、2000年から情報デザインの教育・研究に従事。近年は社会性への視点を強め、デザイナーだけでは⼿に負えない複雑な問題や厄介な問題に対して、⼈々の相互作⽤を活かして⽴ち向かっていくためのCoDesign(協働のデザイン)の仕組みや理論について探求している。15-16年にはコペンハーゲンIT⼤学客員研究員として、北欧の参加型デザインの調査研究に従事。秋頃にCoDesignに関する書籍(単著/NTT 出版)を上梓予定。

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